「少し、やせた」
「…………」
 互いに自分の酒杯を見つめた。
 やり切れない思いを押し止どめようとした。

 相手はあのシーラット侯爵家。
 裕福層といえど、ランスたちはただの庶民だ。
 想う相手すら遠い人だ。

 恋など、実るはずかない。
 芽吹いた瞬間、自らの手で摘み採らなければならない。

 想うだけで苦しい人。
 エザル子爵家セーラアンナ。

 大切な幼馴染み。



「最近、会ったか?」
 ルフェランは首を横に振る。
「今日は侍女が張り付いていた」
「見張り?」
「だろうな」
 同時に酒を飲み干して、同じ渋い顔をする。

 彼女が最初に婚約した時も、たしかこうして酒を呑んだ。
 子どもの頃の話をして、ティセットも引きずり込んで狂ったように笑い転げた。

 あの時はまだ良かった。
 盗み見た相手は紳士的な青年で、戸惑う彼女の手を優しく握り締めたのが印象的だった。
 少し歳が離れていること以外は許容してやった。

 まだ、あの紳士のほうが良かった。
 我慢できた。

 今は違う。
 相手があのエンドリクスかと思うと、腹の中がグツグツと煮える。
 なのに、何もしてやれない。
 所詮、自分たちは一庶民でしかない。



「…………」
 ランスが酒瓶を取るより早くルフェランが掴み、ランスの酒杯に並々と注いだ。
 キュッと飲み干して、今度はランスが注いでやる。
 多少、床に零れたが、そんな些細なことに構ってやれる余裕はなかった。

「呑むぞっ」
「呑め!」
 むむむっ、と睨み合って、やり切れない思いを酒と一緒に飲み込んだ。


   *  *


 トルクは枕が変わると眠れないらしい。
 実家からわざわざ持って来たという枕は随分くたびれていたが、大切にされているのがわかった。
「従姉がくれたんだ」
 トルクは自慢気に言った。

 エイトル司祭宅から戻ってきた寮室にはすでにトルクがいて、ティセットが使っていた寝台に敷き布を敷いていた。
 きっと西寮にいては、敷き布一枚敷けなかっただろう。
 ルフェランの教育の賜物だ。

「今度さ、朝一に行かないか、フロ?」
「……フロ……?」
 毎日最後の授業は武科に出て、街の風呂屋で汗を流すのがトルクの日課だ。
 今日もあの巨体軍団と行って来たのだろう。

「早いうちだったら人も少ないしさ。
 でっかいフロで泳げるんだ!」
「トルク………」
 非常に気を使われているのがわかる。
 トルクにしては最大限に使っているだろう。
「ありがとう。
 でも……遠慮するよ」
 そっか、とトルクは頭をかいた。



 試験も近いので、寝る前に今日の授業の復習をする。
 背中合わせの机だとトルクが質問しにくいようで、寝台を少しずらして机を横に並べた。
 教室みたいだ、とトルクははしゃいだ。

 トルクは勉強嫌いだが、物覚えが悪いわけではない。
 方法によっては飲み込みが早いし、夢中になるとあっという間に終った。

 左右の寝台にそれぞれ潜り込んでからもトルクのお泊り気分は落ち着かず、深夜まで話をしていた。
 そして何を思ったのか、こんなことを言い出した。
「男と口付けするのって、どんな感じ?」

 あまりに唐突だったので、ヨウスはぽかんとしてしまった。
 年頃の男子なら「女の子としたことある?」とか「今まで何人と付き合ったことある?」くらいが相場と思っていたのに。
 どうやらエンドリクスとの件で余計な好奇心を煽ったようだ。

 しかし、なぜヨウスが同性と口付けしたことがあると決めつけているのだろう。
 ……あるけど。
 近頃ではエンドリクスとか。



「……別に……フツウ」
「女とするのと変わんないのか?」
 身を乗り出したトルクの興味津々の顔。
「まぁ……性別が違うからって、唇にそう変わりはないから」
 そっか、そうなんだ、とトルクは感心した。
 そして意味ありげにチラリとヨウスを見る。
「…………」

 正直、失敗したと思った。
 生臭いとか気持ち悪いとかナメクジみたいだくらい言っておいたほうが、トルクの将来のためには良かったかもしれない。
 変な癖が付いたら、フェナッタ辺境伯から苦情がきそうだ。

「なぁ、ヨウス。
 一回だけさせて?」
「…………」
 なんて率直なんだろう。
 もう少し様子をみたり、遠回しに探りをいれたりしてもいいのに。
 やはりトルクはトルクだった。

「ダメ?」
「……クセになったら困るから、ダメ」
「うー……一回だけ!」
 なっ、とおねだりしながら寝台を抜け出し、トルクはヨウスの寝台の前に座り込む。
 寝台に肘を付いてニッコリと笑うと、月明りに白い歯が眩しかった。
 やるき満々だ。

「ヨウスとだったらオレ大丈夫!」
 何の根拠もない台詞に溜め息が出る。
 それからさっそく、午後の授業に二人を送り出したルフェランは、そのままトルクを談話室に監禁した。
「何だよラン!
 オレ剣術の」
「この前の小試験」
「はうっ!」

 この次期辺境伯はあろうことか、最下位から二番目だった。
 しかも最下位の生徒は途中で不調を訴えた上での最下位。
 実質、トルクはビリだったのだ。

「物覚えの悪い頭でヨウスの悩みを増やそうなんて、そうはいかないぞ」
「思ってないからそんなこと!」
「いいや!
 試験が近いのに、おまえみたいな藁頭のせいで勉強時間減らされるなんてかわいそうだ!」
「わら……っ!」

 その後、ある談話室からは、夜な夜な呻き声が聞こえるようになったとか。


   *  *


 東寮長ランスは、自分は雑用係りだと勘違いされていることに毎日腹を立てていた。
 ヨウスの一時的な同室にトルクを置いてもらうよう要請し、認可が下りるまでの数分の間に七つの質問を受け、二つの仕事を頼まれ、三つの書類を届けるよう、講師軍から依頼された。
 笑顔なんて振りまいていられるか!

 毎日がこんなことの繰り返しだから、寮長なんてやりたくなかったのだ。
 来年こそは、キッパリと断わろう。

「クォーズの同室?
 あぁ、まぁ、フェナッタ殿なら心配ないだろう。
 失礼のないようにな」
 東寮を担当する講師はまたか、と言いたげな顔で首を掻く。

「寮長、クォーズにはもう少しおとなしくしているように、言っておいてくれ」
 あんたらがあのクソ酒乱ガキふん縛ってシバいてくれたらいいんだよ……なんてことは言わず、ランスはただ「はい」と応えた。
 教室と事務室しか往復しない講師なんてこんなものだ。



 同室の件を報告しようと、図書室に隣接する談話室に向う。
 途中、本棚の間に見知った顔を見つけた。
 目が合って、目礼だけを返す。

 向こうは何か話したげにしていたが、ランスは面倒ごとは今抱えている書類までにしたかったので通り過ぎた。
「…………」
 と思ったが、引き返した。

「何かお探しですか?」
 小さな声で尋ねると、彼女は戸惑うように胸に手を当てた。
「……セー」
「彼は……大丈夫なの?」
「…………」
 学舎で「彼」に当てはまる人物は多すぎる。

 だがランスは、彼女に対しては卑屈な態度を取ることはない。
 今ならおそらく、あの無駄に目立つ顔の地味な性格のヨウス・クォーズだろう。

「特に変わりはないようです。
 今そこの談話室にいますが、お会いになりますか?」
 彼女は首を横に振った。
「良くない噂が流れているわ」
「例えば、『中等生のクォーズは床具合がいいらしい』とか?」
「!」

 彼女の顔は一気に青褪めた。
「カザーカ公国の商人の愛人だったとか。
 奉公先の奥方と不義を働いて追い出されたとか。
 ……飼い主を探してい」
 とん、と小さな拳に胸を叩かれた。
 痛いはずはないのに、息苦しい。

「やめて……ランス、やめて…………」
「…………」
 ランスの胸に手を当てたまま、彼女は俯いて訴えた。
 小さな肩が震えて壊れそうだった。
 抱き締めたいと思いながら、絶対にできないと悟った。

 求められているのは自分ではない。



「エザル様」
 彼女の背後に人が立った。
 ハッと彼女が顔を上げる。
「何をされておいでですか?」
 彼女の背後に立った女は制服を着た生徒ではなく、講師でもなかった。
 侍女だ。

 女を振り返った彼女が何かいう前に、ランスが頭を下げた。
「今日は亡くなった奥様のご命日でしたので、お悔やみを」
「あなたは?」
 女の冷たい視線が突き刺さる。
「エザル子爵様にご用をいただいております、ロール商会の者です」

 女はしばらくランスを吟味したが、まぁいいかと横柄な態度で頷いた。
「参りましょう、エザル様」
 彼女は即され、ランスをチラリと見てからその場を去った。

 まだ何か言いたげな彼女の顔が、しばらく忘れられなかった。



 夜になって、見回りを終えたランスは珍しいことをした。
「呑むぞ」
 寮室の扉を開けた途端、いつもと変わらぬ鉄面皮に言われて大いにルフェランは動揺しただろう。
 ランスは気付かなかったが。

 ルフェランは椅子に座り、ランスは寝台に腰掛けた。
「何だよ、急に」
 文句を言いながらもつまみを引っ張りだし、ランスが持参した酒に口を付ける。
「今日は、エザル夫人の命日だ」
「あ…………あぁ、そうか」

 二人にとってのエザル子爵夫人は存命中の人ではない。
 今は亡き人だ。

 優しい人だった。
 特別美人ではなかったが、微笑む姿は愛母の鑑と謳われた。
 早い死に悲しんだ者は多かった。

「……もう、十年か」
「…………早いな」
「あぁ、早い」
「セーラ様に会った」
「え…………?」
 酒を呑もうとしたルフェランが硬直した。
BlueLineBlue-DCF_0597オクラカレー.JPG
 ママンがしばらく食べてないというので、カレーを作りました。

 まだオクラが大量にあったので、トッピング。
 辛口で作ったので、辛いのが苦手なママンにはマヨネーズも追加。



 たまには女二人でキャイキャイ言いながら過ごすのも良いですねv
 今度は昼行灯さんにハンバーグを作ってもらおうね(・ω・)ノ