「これあげるから、泣かないで」
 差し出されたのは光る物体X。
 差し出したのは、蛍。

「…………………………………………」
 言葉も出ないというのはこのことで、夜道の角からひょっこり蛍が現れて、光る物体Xを差し出されればそりゃ呆然とするよ。

 でも、人間なりの礼儀として尋ねた。
「それ、なに?」
「お尻」
「いりません」
 何が悲しくて光る尻をもらわにゃあかんのだ。

 どうやら物体Xは、身の丈一メートルほどの蛍の尻のようだ。証拠に、巨大蛍の尻が欠けている。
 ってかデカイよ蛍。
 蛍ってホラ、手の平どころか指の先で摘まめるほど小さい虫だし。小指の爪ほどもないし。
 ついでにしゃべんないから。

「そんなこといわないで。がんばったんだよ」
「はいよくがんばりました。持って帰んなさい」
「遠慮しないで。ボクはもういいから」
 わたしも要らんわ。

 一歩後退って巨大蛍を避けていこうとしたのに、巨大蛍は目の前に立ちふさがり……転んだ。
 お尻がない分、バランスが悪いようだ。
 そんなことするからだよ。

 手を貸して助け起こしたら、貸してやった手に光る尻を乗せやがった。
「お願い。受け取って」
「要らないから」
「お願い」
「いーらーなーいっ!」
 怒鳴ると蛍が泣き出した。
 蛍って泣くっけ?

「お願いだから」
 巨大蛍はしつこかった。震えるか細い声で訴えた。
 キレて蛍の手と光る尻を振り払うと、ヒールを鳴らして歩きだす。

「要らないなんていわないで」
 背中に巨大蛍の声が突き刺さる。

「もう二度としないなんて言わないで。
 泣きたくないなんて、そんなの無理だよ」
 ヒールの音が止んで、背中に突き刺さった言葉から血が流れそうになった。

 ゆっくりと振り返ると、巨大蛍がふらふらしながら立ち上がろうとしていた。
「ボクはお尻しか光らないけど、ほんのちょっとしか生きられないけど、そのほんのちょっとの時間が僕たちのすべてで、お尻の光だけがボクたちの支えなんだ」

 巨大蛍は光る尻を差し出した。
「もう恋なんてしないなんて、ロマンチックじゃいられないなんて、そんなことは言わないで」

 尻が光る。
 ふわあん、と。

 ふわん
 ふわぁん

 いくつもの光り。
 小さな瞬き。
 夜空の星々が舞い降りてきたかのような幻想的な川原。

(きーれー)
(うわスッゲー)
(目ぇチカチカする)
(寝不足かよー)
 彼は笑った。
 そうじゃなくって、蛍の光がちかちかと瞬きするからだなんていっても、昨夜寝てないもんな、なんて言って聞いてくれない。

(うわっ。刺された!
 もう帰ろーぜぇ)
 蚊に刺されたくらいで彼は音を上げた。
 夏の夜の川近くに蚊が多いなんて当たり前で、蛍がきれいだって言って誘ったのも彼なのに。

 じゃぁ一体何をしに来たのか、ドライブ中の後部座席に用意されたものを見て呆れたものだ。
 毛布とタオルと箱ティッシュとウェットティッシュ、それからゴム。
 外なのか車内なのかは聞かないでおいた。だってもう萎えちゃってて、誘われても乗らない気だったから。

 着いて五分。
 帰ろうコールは始まった。

 コールから二分。
 彼は一人で車で帰った。

(おまえ結構オトメな。
 そういうの、ウゼェー)

 余計な一言。
 二度と鳴らない携帯電話。
 流れた日々はもう二桁。

 真っ白な陽射しが照らす歩道。
 彼の隣で笑う、自分以外の女。

 携帯電話のストラップがまだそのままで、近づいて行って返せと迫ったら、女のほうがキレやがった。
(このストーカー女!)

 長い爪が頬を切った。
 目の前がチカチカした。

 チカチカ

 キラキラ

 ほわわん

 ふわん

 ぽわん、とお尻が光った。
 切り取られて物体Xになったはずのお尻が。

「ボクは一生に一度の恋をしました。
 だからもう、君にあげます」
「……なんでお尻?」
 巨大蛍が首をかしげた。
「君が、キレイだって言ってくれたから。
 だからボクも、彼女に胸を張って言えたよ。
 ボクのお尻はキレイでしょって。
 ボクの君への気持ちは、こんなにキレイなんですって」

 吹き出して、止まらず笑った。
 笑わずにはいられなかった。

 お尻がキレイで許されるのは蛍だけだ。
 キレイだからって人間は、気持ちが通じ合うわけじゃない。
「バカ」
「ごめんね」
「ウソだよ」
「うそ?」
「ありがと」

 キレイなだけじゃ伝わらない。
 お尻一つ手に入れたって、恋のすべてがうまくいくわけじゃない。

 お尻を受け取る。けっこう重い。
「こんなの付けて飛ぶんだ。重くない?」
「重いよ。だってここに、ボクらの気持ちがつまってるんだから」
「そっか。気持ちって、重いんだね」
「うん。でも、キレイでしょ?」
「うん。キレイだね」

 蛍は無機質な目をくりくり回した。
 笑ったのかもしれない。

「ありがとう」
 ちょっと恥ずかしくて、小さな声で言ってみた。

「ボクも、ありがとう。
 一生に一度の恋ができました」

 ぽわん、とお尻が光った。

「今度は、君の番です。
 泣いてもいいけど、諦めないで。
 二度と恋なんてしないなんて言わないで。
 それから……」

 ぽわわぁん、とお尻が光って、眼も開けられない。
「なに? ちょっと! なぁにってば?!

 ……あ」

 光が収まってそこに見たものは、真っ暗な夜道だけ。
 巨大蛍も物体Xもない。

 でもなんか胸に残っている。
 あったかくて、見えないけれど光ってそうなもの。

 見えないけど、貰ったもの。
 バトンタッチした恋心。





 それから
 一生に一度の恋をしたら
 誰かにコレ、あげてくださいね

 ぽとり、と何かが頭にあたった。
 上を見て、足元を見た。
「……ぬいぐるみ?」
 彼はそれを拾い上げ、目の高さに掲げた。

 愛らしい人形だ。目元の釣りあがった髪のない男の子と、長い黒髪の丸い目の女の子の対。
 幼い少女が目にすれば、嬉々として手に取るだろう。



 それにしても、どこから降ってきたのだろう。
 世間は人形が飛ぶほど乱れてはいないと思うが。
 先年やっと、組織の内部清掃が済んで一息ついたところなのだ。もう面倒事は起きてほしくない。



 彼は使い魔を呼ぶと、匂いをたどって持ち主に人形を返すように命じた。使い魔は愛らしい縫いぐるみを足に括りつけられると、窮屈そうに飛び立った。
 使い魔を見送る彼を、誰かが呼んだ。

「ここだ、グイド」
 声をたどって、男が現れた。
「こちらでしたか」
「なんだ?」
「南から報告がありました。こちらをご覧ください」
 男から書類を受け取り、目を通す。読み進めるうちに彼の目に真剣さが増した。

「確認させますか?」
「いや、いい。見つかっただけで充分だ」
「他人の空にかもしれませぬ」
「間違いはない。承認印の最後を見ろ」
 彼は書類を男に戻した。
 受け取った男は、言われた個所を見て首をかしげる。

「この方が、何か?」
「南の長老だ。一度面識がある。間違いないだろう」
 男は納得してうなずいた。



「南の長老は、代替わりなさったのですか……」
 彼はうなずいた。
「先代はお年を召して継承されたそうだ。わたしが座に立ってすぐにあいさつに来られたとき、長くは続かないだろうと本人も言われていた」
「長老の交代とは、久々ですな」
「そうだな。西が百年ほど前だったな」
「おや、百五十年ほど前ではなかったでしょうか?」
「そうだったか……? それなら、北がまだ若いのか」
「そうですな。北は……」

 遠くから騒ぎの声が聞こえて、二人は口を閉じた。
「何事か見てまいります」
「いや、すぐに来そうだ」
 彼はフードを目深にかぶりなおして近づく声に背を向けた。

「何事だ!」
 男が騒ぎに向かって叫んだ。声が一瞬弱まり、警備の者たちのうち一人が振り返って膝をつく。
「御前をお騒がせして申し訳ありません。すぐに」
「現大師!」
 若い男の声が警備の男の声を遮った。彼は弾かれるように振り返る。

 警備の男たちの怒鳴り声に、慌てて彼は手を上げて制止させた。
 命じられて警備の男たちは足を止め、言われるままに侵入者から手を放す。
「どうなさいました?」
 男の問いに彼は答えず、
「下がれ」
 とだけ言った。
 渋々男は警備の男たちを引き連れて下がった。

 人気が完全に消えると、彼はフードを取った。
「お久しぶりです」
「急に申し訳ありません、現大師」
 彼は笑った。
「お急ぎのようですね。お聞きしましょう」
 侵入者はうなずいて、緊張の面持ちで話した。



「───……光を、と?」
「はい、現大師。どうもその悪魔、人間の少女を気に入っているようです」
「強い光、と言っても……」
「わたしもいろいろと試してみましたが、少女の視力は完全に失われているようで、何の反応もしません。治癒者に依頼をしようかとも思いましたが」
「感知しない場合、悪魔が暴れる恐れがある、と」
「はい。治癒者に危険がおよびます」

 彼は思案した。
 目の前の侵入者とて並みの魔導士ではない。その人でも難しいというのを、どうすれば良いのだろう。

「現大師」
「ん?」
「おそらく少女の目は、今の医学や治癒の力では治らないと思います」
「……そうか」
 だから、と侵入者は唇を噛んだ。
「一度だけ、その悪魔に夢を見させてはいただけませんか?」
「……ゆめ? 悪魔は夢を見るのか?」
 悪魔という種族は眠らないという。眠らないのなら夢も見ないものだ。

「わたしに許可をください。夢魔を呼び出します。
 夢魔の力で少女の夢に入り込み、そのなかで悪魔の姿をわたしが描きます」
 彼は目を見張った。
 侵入者は彼の視線を直接見ることはできないはずなのに、実際まぶたは下りたままなのに、まるで見えているかのように彼を見返してくる。

 目の前の人の視力が失われたのは、とても昔のことだと聞いている。
 だからその人は彼の顔も知らない。世界の色も色褪せたものしか知らない。
 今だって見えていないはずなのに、彼の心の中を読み取ろうとするかのように見つめてくる。すべてを暴かれるほど強く。

 もしかしたら、まぶたの裏に彼の心を移し取っているのかもしれない。



「光を……」
「え?」
「どうして、悪魔は光を求めたんだろう。強い光を……聖光を浴びれば、自分は滅びるって知っているだろうに」
「忘れてはいないでしょう。
 けれど、少女に自分が何であるのか口にできない。だから、その目で見てほしいのです。
 その目で見て、答えを出してほしいのです」
「……なぜ?」
「それでも……自分は悪魔だけれど、それでも変わらずいてくれるか、それとも二度と会ってはくれないか……悪魔は恐れているのです」

 彼は驚いた。
 悪魔が驚くなんて。

「悪魔は驚きもすれば悲しみもします。聖光を恐れるように、何かに惹かれることもあります。
 悪魔のなかにも、明日独りになる恐怖を知っているものもいるのです。

 悪魔の中にも、孤独を嫌うものもいるのです。

 悪魔の中にも……人を、愛しいと思うものも、いるのです」



 彼は胸の奥から温かいものが溢れるのに気づいた。
 閉じたまぶたの向こうが熱くなる。
 両手を胸の前に広げ、それを受け止めようとする。

 目の奥が痛いほど熱くなる。
 波が押し寄せるようにそれが近づく。

 するり、とそれはまぶたを抜け出して、頬を滑り降りる。
 手の平で受け止めたときには、ころん、と音がなるほど形を取っていた。
 彼の涙から生まれたそれは丸く、光る様は小さな月のようで、光の色は太陽のように暖かい。

「ティ……っ」
 侵入者はおもわず彼の名をこぼしそうになり、自分の口を手で押さえた。

 彼は微笑んで、光を侵入者に差し出した。
「夢の中は迷いやすい。
 あなたが還って来れるように。それから……



 悪魔に良いことが起こりますように」

 悲しみも。
 寂しさも。
 驚きも。
 愛しさも。

 いつか喜びの光となりますように。





 その代の大魔導師はひどく若かった。若いといわれた先代よりもさらに若く、まだ少年のような面立ちをしていた。
 その理由は、彼の稀有な能力にあった。

 古代の聖者が生み出したといわれる聖光を、彼は何の呪文も技法も必要とせずに生み出すことができた。
 ただ感情が高ぶったときに、胸の奥から湧き出でるのだと彼は言った。

 先代大魔導師は彼の能力を見出したときから、その力が心悪しき者に利用されないかと心配していた。また彼自身が、その悪しき者にならないかと、恐怖した。
 彼が能力を安定させるとすぐに譲位し、彼に最高権力を与えた。そばには快き者を配属させ、彼に絶対の忠誠を誓わせた。

 なぜそうまでして彼を守るのかと、若い大魔導師の側近が問うたとき、先代は少しだけ逡巡して答えた。
『あの子はまるで、わたしの兄のようだ。人々を照らし出す光のように明るく素直で、心優しすぎる。
 けっしてその心を侵してはならないと思った』

 自らの過ちによって兄を亡くしたという先代は、二度目の過ちを犯さないためにも、譲位を急がせたのだという。
 先代にそこまで言わせたほど心優しい大魔導師を、彼の親しい人々はこう呼んだ。

 『光のティリル』───。





「お気をつけて、お父さん」
「…………」
 彼の光を受け取った侵入者は、唇を噛んで俯いた。
 光を生み出すとき、ほんの少しだけ胸が痛むのを知っている人だから、本当はこんなことはするなと言いたいのだけれど、言っても聞かないので諦めたのだろう……。

 と彼は思ったのに、そうではなかった。

「頼むから、ティリル。お父さんと呼ぶのはいいかげんにやめなさい」
「え? でも、お父さんだよ」
「違う。こういうのは名付け親というんだ」
「一緒じゃないか! オムツも替えてもらったし、子守唄を歌ってもらって、お風呂にだって入れてもらったって、お母さんが……」
「ちがーう!!」

 侵入者は顔を真っ赤にして走り去った。
 お父さん、なんて久々に聞いて照れたのだろう。
「……まさか…………」
「まさかにございます、若。悲劇の女皇が思いを投げつづけたバラは強い器となりました。
 あのバラのすべてがイエラ様のために器となり、一日一輪の花しか咲かせぬようになったのです」
 一日一輪。イルスが主の執務室に飾る一輪だけを除いて、すべてが婚約者に化けていた。
 だが今、婚約者はその器を落としてきたらしい。
 女皇のバラは満開だ。

「女皇のバラは一つだけ弱点がございました。
 悲劇の女皇が花に涙を落としつづけたせいでございましょう。涙を流すと術が一時的に弱まり、解けてしまいます」
 老人は細い体を重そうに動かし、二人の前に立つ。
「じい?」
「お静かに」
 老人は婚約者に向かって小さく呟く。歌のようなものが聞こえた。
「あ…………」
 頭の先からみるみる、彼女の形が固まってくる。透けていた向こうの壁が見えなくなる。

 青かった唇が薄紅色に染まり、触れると柔らかく、温かい。細い腰。小さな肩。
「イエラ?」
「……ごめんなさい」
「イエ、ラ……」
 涙が止まらなかった。
 目を閉じても彼女を手のひらに感じることができるのに、その感触がすべて作り物であり、一時の幻でしかないと知ってしまった。
 だが悲しいのはそれよりも、彼女を死なせてしまい、あまつさえ、それを忘れていた自分が腹立たしかった。

「イエラ……」
「……ごめんなさい」
「………イエラ、悪かった」
「パーシィク?」



「もう二度と、君を忘れない」






 イスルの話を、主と黒い魔導士、そして宰相はじっと聞いていた。
 あれだけ騒がせたのだから報告しておかなければと、イルスは翌日、婚約者を主の執務室に連れてでた。
 宰相は脂汗を流しているが、残り二名は涼しい顔をしている。いや正確には、一人は顔を隠していてわからないが。

「本当に、申し訳ありませんでした」
「大丈夫なのか、おまえは?」
 主の静かな声に、イルスは肩を撫でられたような気がした。
「大丈夫ですと、はっきりとは言えません。ですが、冷静に考えることはできます。
 彼女はまだここにいます。
 今は、それだけでも充分です」

 昨夜は一晩中、二人で話をした。
 小さい頃のことから、つい最近のことまで。何度も同じことを言ったように思う。何度も同じ場面を聞いたような気がする。
 それでも驚き、笑い、懐かしんだ。

「このまま彼女と結婚します。
 それ以上、なにも望みません」
 主は静かな眼差しでうなずいた。
 その横で、宰相が泡を吹いて倒れた。