小学校に上がるとき、入学祝に買ってもらったぴかぴかのランドセルと学習机。ランドセルは小学校の六年間だけだったけど。中学生になっても、高校生になっても、七江はずっとこの机で勉強してきた。大きめのガチッとした勉強机は、大人になってからもずっと実家の七江の部屋に残されていた。
今度帰ってきたとき、掃除しといてよー。
はーい。
もう誰も使わないから、ついに処分するとのこと。先日の母からの電話である。その時は特に何にも思うところもなく、軽く返事をしていたが。
久しぶりに帰郷した今日、そういえばと思い出し早速机を掃除していると。懐かしさが溢れ出し、その度に手が止まってしまう。思い出に浸りながらも徐々に片付けてを進めていると、とても大事そうに仕舞われていた色褪せた写真が一枚、引き出しの奥から顔を覗かせた。
固い表情でバスケットボールを持ち、カメラを真っ直ぐに見つめる大須先生と、その隣で恋心を隠しきれない満面で笑う高校生の私。
懐かしいなー、この写真。
先生、元気にしてるかな。今はどこの学校で先生してるんだろ。まだバスケ続けてるかな。また先生の授業受けたいなぁ。スリーポイントシュートまた頼まなきゃ。
先生、ありがとうございましたっ!忙しいのにすみません。。
いいって。
じゃあ…お仕事、頑張ってくださいね。
おう。
…、先生っ!
ん?
……先生、さようならっ。
おう。気を付けて帰れよ。
はい。またっ!
先生が先生じゃなかったら、「サヨナラ」なんて悲しい言葉は言えなかったと思う。でも学校での「サヨナラ」は、また次の日も会うのが前提で。本当の別れの意味で、それを使う人はいないだろう。明日の朝までの、何時間かだけの「サヨナラ」の意味しか持たない言葉だ。
違う学校に行っても、二度と会えなくなるなんてことはない。大人になれば、そんな当たり前のことは簡単に理解できるけど。当時の七江には、今生の別れのように感じられていた。
大須先生は普段から「サヨナラ」の代わりに「気を付けて帰れよ」って言葉を返してくれていた。最後の日でも、それは変わらなかった。七江も、精一杯の恋心を注いで「また」と声に出して伝えた。
また、会いましょう。また、来ます。また、明日。また、バスケ見せてください。「また」に続く言葉は、どれもあったかくて。七江の心を優しく包んでくれていた。
大須先生のおかげで、「サヨナラ」は悲しいだけの言葉ではなくなった。「また」が続く、希望に満ちた未来へと繋がる言葉なんだ。
ありがとう、先生。大好きです。
写真の中の大須先生は、やっぱりめちゃくちゃカッコイイ。教師になりたいという夢を叶えた先生。憧れの職業で挫折を経験し、それも自分の力で乗り越えた先生。大須先生は、今でも好きになれる人。七江の恋心を注いだ大切な人。
先生、さようなら
気を付けて帰れよ
先生、
それでは また。
「恋心を注いで」編 完。