屯岡八幡宮(宮城県栗原市栗駒) | 碧風的備忘録

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屯岡八幡宮(たむろがおか はちまんぐう)

 

宮城県栗原郡栗駒字八幡に鎮座。

御祭神として誉田別尊(応神天皇)を祀る。

 


社伝によれば、屯岡八幡宮は桓武天皇の御代である

延暦年間に坂上田村麻呂公により創建されたという。

現在の鎮座地の西側は『屯岡』といい、延暦年間に

坂上田村麻呂公が蝦夷征討の際に率いていた軍団を駐屯させた

場所とされている。

また、天喜年間(1053年~1058年)に源頼義公が安倍貞任の

追討任務にあたった際、屯岡で援軍として参戦した清原武則公と

会合したとも伝えられている。源頼義と源義家親子は、

蝦夷東征の際に八幡宮に戦勝を祈願し、甲冑を奉納し、祭田を

寄進している。

 

安倍貞任追撃の任務を与えられた源頼義と八幡太郎義家の親子は、

『蝦夷のやつらなんて超余裕ですし~!!』『せやな!!』(意訳)と、

蝦夷の戦力を完全に侮って合戦を開始しました。

しかし、いざ合戦になると源頼義・八幡太郎義家の軍はことごとく

蝦夷の軍兵に敗北し、特に『黄海(きのみ)の戦い』と呼ばれる

黄海柵(現在の一関市藤沢町付近)での両軍の戦闘では、

吹き荒ぶ風雪と兵糧不足により、源頼義の軍団は、兵力にも

優れる安倍貞任の軍団の攻撃を受け壊滅し、戦場から

逃れられたのは源頼義・義家親子と主従の六騎のみという

ありさまだった。

 

黄海の戦いでの大敗後、九死に一生を得た源頼義ではあったが、

戦闘での官軍の被害は甚大であり、将兵の大多数を失ったことから

満足な軍団も編成できず、蝦夷には手も足も出ない状況であった。

そこで、出羽の豪族であった清原武則公に対して援軍を要請し、

康平5年(1062年)7月に清原武則は1万5千人の援軍を送った。

 

清原武則の本拠地である現在の秋田仙北付近から出撃し

鬼首にやってきた援軍部隊は、源頼義親子の軍団と屯岡で会合し、

軍議を行った。軍議により、連合部隊を七つの軍団に再編したが、

7つの軍団のうち第5軍のみが源頼義親子と清原武則の混成部隊で

、それ以外の6つの軍団はすべて清原氏の兵士という状況だった。

 

それでも、援軍を得て連合軍を形成した源頼義親子の軍団の

士気は大いに高まり、衣川柵の戦いから厨川柵の戦いに至る

緒戦において勝利し、ついに安倍貞任を討ち取ることができ、

援軍を送られてから2ヶ月後の康平5年9月に安倍氏は滅亡した。

 

この戦乱が集結した後、戦いでの武功を受け、清原武則は

従五位下鎮守府将軍に任命され、清原武則の長男である清原武貞の

養子となった藤原清衡公が後三年の役のあとに清原氏に代わり

平泉で奥州藤原氏として時代を築くようになった。

 

安徳天皇の御代である寿永年間(1182年~1183年)、

源義経公は、祖先である源頼義と源義家が八幡宮に祈願して

安倍貞任との戦いで勝利を得たということもあり、当社に

平家追討の戦いにおける勝利を祈願した。

また、鎮守府将軍であった藤原秀衡公も八幡宮の宮殿を造営し、

神護寺である小治山源東寺と城根山随泉寺を建立した。

そして、八幡宮の社宝として、甲冑と鰐口を奉納したとされている。

 


栗原市栗駒八幡に鎮座する屯岡八幡宮です。

神社は櫻田山神社から北に向かってすぐのところに鎮座しています。

屯岡八幡宮第一鳥居。

屯岡八幡宮には駐車場がないため、車で参拝される場合は

八幡宮の東側にある屯岡八幡宮社務所に停めるといいと思います。

 

第一鳥居をまっすぐ北の方に向かうと民家に着きますが、

民家の左隣のあぜ道が八幡宮への参道となっています。

そのため、降雨時や大雨などの荒天後には参道がぬかるんでいる

場合があるので、参拝の際にはご注意ください。

 

屯岡八幡宮参道。あぜ道部分を突破すると、今度は草が繁茂する

森林エリアに突入します。夏場は蜂や虻が怖いですね…あせる

 

屯岡八幡宮第二鳥居。鳥居の後ろの坂道を上がると

今度は杉林エリアに入ります。

 

杉林エリアの参道には石段があるので、割と歩きやすくはあります。

石段を過ぎれば、第三鳥居が見えてくるはずです。

 

朱塗り・両部鳥居の屯岡八幡宮第三鳥居。

 

第三鳥居を過ぎると、広めでフラットな参道と杉並木が

目の前に広がります。この杉並木の先に社殿が鎮座しています。

 

屯岡八幡宮参道の最後の石段。おつかれさまでした。

 

入母屋造りの屯岡八幡宮拝殿。

 

屯岡八幡宮拝殿向拝部分の龍などの木造彫刻。

古社の風格が漂います。

 

一間社流造の屯岡八幡宮御本殿。

素朴ながらも静かな美しさがあるスリムな流造の御本殿です。

 

由緒書や風土記には、末社として、創建当時から祀られている

高良社・山王社・山神社・子守社・白山社・雲南社が鎮座していると

記載されています。2000年頃までは社殿右手に入母屋造りの

末社の社殿があったようですが、2017年現在は何もありません。

八幡村風土記においても、末社のうち、山王社・子守社・雲南社は

大破していたという記載があるので、末社は一箇所に集められて

お祀りされていたが、現在はその社殿もなくなり、御本殿に

合祀されているのかもしれません。

 


屯岡八幡宮の御朱印ですが、八幡宮から東にある社務所で

拝受することができます。

屯岡八幡宮御朱印。

宮司さんは外祭や仕事に出ている場合もあるので、

授与品を希望される場合は社務所に連絡を入れてから

参拝するといいかと思います。

また、素敵な禰宜さんがいらっしゃれば、御朱印などの授与品の

対応もしていただけると思います。

(私的追伸:おかげさまで鳥合神社にも参拝できました!!ありがとうございます( ´∀`))

 


<屯岡八幡宮 地図>

備考:駐車場なし。車で来られた場合は社務所に駐車推奨。

 

< 屯岡八幡宮 社務所地図>