平貫諏訪神社(宮城県角田市) | 碧風的備忘録

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平貫諏訪神社(ひらぬき すわじんじゃ)

 

角田市平貫字諏訪内に鎮座。旧社格は村社。

御祭神として治水の神・農業の神・武神である建御名方神を祀る。

 


由緒によれば、平貫諏訪神社は、南北朝時代の建武3年(1336年)に

鎮守府将軍であった北畠顕家公は、後醍醐天皇の第七皇子である

義良親王を奉じて下向し、国府を多賀城から現在の福島県伊達市の

霊山に移し、そこに霊山城を築いて山に籠った。

 

その際、霊山の北方の守りを固めるために、家臣であった迫兵庫守に

平貫の地に館を構えて駐在させ、さらに信州一之宮である

諏訪大社から御分霊を勧請し、館に近い現在の鎮座地に

祀られたことに始まるとされている。

明治5年3月には村社に列格している。

 

神社の社殿は、基本的に東向きか南向きに建てられますが、

こちらの平貫諏訪神社は、社殿が北向きの神社です。

これは、南を避けて社殿を建てることにより、

南(なん)を避ける→難に当たらない…ということに通じることから

古くから『北向きのお諏訪さま』『災難除けのお諏訪さま』

呼ばれているそうです。

 

また、第二次世界大戦などの戦時には、北向きのお諏訪さまに

参拝すると、敵からの弾に当たらないという言い伝えが広まり、

出征された方々が災難に合わず無事戻ることができるように願い、

家族が諏訪神社へ写真を持ち込み、出征した方の安泰を願うなど

多くのお参りがあったそうです。

 


角田市の平貫諏訪神社です。

鎮座地は、角田市と亘理町を繋ぐ割山峠の近く、

磐城東根郵便局の南側にある高台に鎮座しています。

境内左手には駐車場もあります。

平貫諏訪神社鳥居。

 

平貫諏訪神社は岬のようになってる高台に鎮座しており、

社殿までは80段の石段が続いています。

 

石段の先には、社殿と社務所があります。

 

平貫諏訪神社境内。

 

朱塗り・入母屋造の平貫諏訪神社拝殿。

古来より赤い色には魔除けの意味があるとされています。

こちらの拝殿は昭和20年代に建てられたものだそうです。

 

一間社流造の平貫諏訪神社御本殿。

御本殿は江戸時代後期に建てられたものだそうです。

 

境内社として、参道右側に庚申碑や山神碑、石像があります。

 

子安観音像。安産の守護仏とされています。

もともとは近くに鎮座していた子安観音堂(駒形神社)で

祀られていたそうで、一説によれば、隠れキリシタンにより

マリア観音として崇拝されていた可能性があるものだそうです。

 

おそらく虚空蔵菩薩と思われる石像。

智慧や学問の守護仏とされています。

 


平貫諏訪神社の御朱印ですが、境内右手の社務所で

授与していただけます。
ただし、宮司さんは平日は仕事をされていて、

御朱印などの授与は祭典時や土日・祝日などに限られるそうなので、

御朱印などの拝受を希望される場合は、事前連絡してからの方が

確実かと思います。

平貫諏訪神社御朱印。

お話しによれば、2017年の1月から授与を開始したものだそうです。

 

なお、兼務社の福應寺毘沙門堂そばの春日神社などは

御朱印なしとのことです。

 


< 地図 >