桑折諏訪神社(福島県伊達郡桑折町) | 碧風的備忘録

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桑折諏訪神社(こおり すわじんじゃ)

 

福島県伊達郡桑折町に鎮座。旧社格は郷社。

御祭神として、風神・水神・狩猟の神・武神である建御名方命

建御名方命の妃神の八坂刀売命、兄神の八重事代主命を祀る。

 


いつ作成された文章なのかは不明だが、

伊達崎村(現在の桑折町伊達崎)に住んでいた西山正躬という者により

記された『諏訪神社略記』という由緒書によれば、

諏訪神社は伊達家の祖である伊達朝宗公と伊達宗村公により

西山城の城内に建てられた神社であるという。

 

文治5年(1189年)、源頼朝公が奥州平泉の藤原泰衡公を

討伐するために出陣した際に、頼朝公の軍は

石那坂の戦いで大勝利を収めた。

その報賞として、伊達朝宗公は信達二郡を頼朝公や朝廷から

拝領し、同年、宗村公とともに桑島西舘山に城を築いた。

 

城の落成後、近臣である中村大膳を信濃国と諏訪神社(諏訪大社)に

派遣し、諏訪神社の神官に諏訪大神の御分霊の勧請を求めた。

諏訪大社上社と下社の御分霊は、西山城の守護神として

城内に勧請され、地主神としてもお祀りされることとなった。

また、朝宗公は中村大膳に神主として諏訪大神に奉仕するように

命じた。中村大膳の子孫は代々諏訪神社の神職として奉仕しており、

中村から名字を菅野に改姓したという。

 

勧請以来、諏訪神社は伊達家から代々篤く崇敬されていたが、

慶長3年(1598年)頃になり、伊達家の本拠地が岩出山や

仙台に移転し、それに伴い神社仏閣も仙台藩内に移ると、

地元の人々は城内に鎮座していた諏訪神社を町中に遷して

お祀りしたいと伊達家と諏訪神社神官に願い出たため、

諏訪神社は現在の鎮座地に遷座されることになった。

元禄10年(1697年)には藩主である松平忠恒公により社殿が造営され、

御神輿や御神宝の寄進が行われた。

 

昔の諏訪神社では諏訪大社でも行われているような『筒粥神事』が

行われており、諏訪神社から三里(約12km)離れた場所には

冷浄泉(菅野冷浄泉)という泉があり、そこには菅(すげ)が生えていた。

その菅を刈り取って12本の管を一まとめにし、毎年1月7日に

粥のなかに刺し立てることで、その年の豊作を神々に祈り、

五穀が豊作か凶作かを占い、神官が神事の結果を人々に示した。

 

桑折藩二代藩主である松平忠暁(松平玄蕃守)は

半田銀山を管理する役人でもあり、諏訪神社を篤く崇敬していた。

大進の職にあった享保16年(1741年)には、半田銀山で採掘した

銀を使って神鏡を一面鋳造し、諏訪神社へ奉納している。

 

諏訪神社の氏子に大内半七という者がおり、ある日、

茂庭村(現在の福島市飯坂町茂庭)へ向かった時、

山の中で道を見失ってしまった。夜になり、道に戻ろうとするも

目の前には崖や山肌があり、進むことも戻ることもできず

山中を夜通し歩き回っていた。

半七は困り果て、常日頃崇敬する氏神である諏訪大神に

助けを乞うた。すると、諏訪大神が忽然と御姿を現され、

半七を優しく励ましながら道案内してくださったので

ついに茂庭村への道に戻ることができた。

半七は「あの時、諏訪の神様がお助けくださらなければ、きっと

村への道に戻ることができなかったし、山の中で狼などに

襲われていたに違いねぇなぁ…」と感謝し、地元に戻るや

諏訪神社に感謝の御礼参りを行うと、その話を聞いた

近隣の人々が次々と諏訪神社に参拝し、里人たちの

諏訪大神への信仰はますます篤くなったという。

 

また、安五郎という諏訪神社を崇敬する真面目な者の家が

火災にあった時、熟睡していた安五郎を枕元で呼ぶ人がおり、

そのおかげで火災から逃れることができたという。

被災後、安五郎は自分を起こして助けてくれた人を探したものの

誰もおらず、ただ、枕元には御幣のふちの部分が落ちていた。

安五郎はこれを見て、氏神である諏訪大神が

きっと助けてくださったのだ…と感謝したという。

 

天保12年(1841年)には社殿を修繕、明治4年(1871年)には

郷社に列格し、明治8年(1875年)には伊達郡川西総鎮守社になる。

しかし、明治26年(1893年)に社殿が火災にあい焼失した。

現在の社殿は大正13年(1924年)に再建されたものである。

 

現在の桑折町の名の由来は、郡衙などを意味する

【郡:こおり】の読みに因むという説があります。

一方で、鎌倉時代に、伊達郡を賜った伊佐(伊達)為宗公が

近くを流れる阿武隈川の氾濫による耕地への被害に困り、

氏神である諏訪神社へ祈願したところ、諏訪大神より

『桑島という地名を桑折に変え、桑の木を植えて

養蚕を奨励すればよい』という託宣を受けたそうです。

その託宣を授けた諏訪神社は、桑折の地名の由来の神社でも

あります。

 


伊達郡桑折町の中心部南側に鎮座する諏訪神社です。

神社の東側には、旧伊達郡役所があります。

神社の参道は旧伊達郡役所の西側にあり、

北参道には【諏訪神社参道】という看板が出ていますが、

車で参拝される場合は神社南側にある駐車場に

停めることをお勧め致します。

(北参道側の鳥居そばにも駐車場の空き地が一応あります)

桑折諏訪神社鳥居。奥の車が止まっているところが南側駐車場です。

 

桑折諏訪神社扁額。

 

桑折諏訪神社境内。杉の大木などの木々に囲まれた神社です。

 

桑折諏訪神社参道からみた社殿。

ここで、皆さんは、社殿前に見える

不思議な物体に目を奪われたことかと思います。

 

そう、これが諏訪神社の象徴である『御柱(おんばしら)』です。

信濃国一之宮である諏訪大社では、7年に一度催行されている

『御柱祭』(正式名称は『式年造営御柱大祭』)と呼ばれる神事が

行われており、上社と下社の社殿の四隅に4本の御柱が

建てられています。

(その他にも、付属する小宮などでも御柱祭が催行されています)

諏訪大社上社前宮・四之御柱。

 

桑折諏訪神社の御柱祭は、神社遷宮800年を記念して

長野の諏訪大社に倣い、平成5年(1993年)から7年に一度

寅年と申年の年に御柱祭が催行されています。

 

東北地方では、桑折諏訪神社と白石の越河諏訪神社のみ

御柱祭を執り行っており、桑折諏訪神社の御柱祭は

越河諏訪神社の御柱祭を模して行われたそうです。

越河諏訪神社拝殿(左)と御柱(右)。

越河諏訪神社の御祭神は建御名方神と神藤八坂留命です。

越河諏訪神社の御柱は杉の丸太を用いたものとなっています。

(斎川田村神社の兼務社、御朱印はなしとのことです)

 

桑折諏訪神社の御柱は諏訪大社と同じくモミの木を用いており、

御柱祭前日に、予め半田山から切り出され製材されたモミの木を

製材所から神社まで運び入れる『里曳祭』が行われます。

神社まで台車に載せられて、奥州街道を氏子により

曳き回された御柱は神社境内に運び入れられます。

その後、境内に運ばれた御柱は、柱の先端を三角錐状に

整える冠落としが行われた後、柱穴が掘られ、そこに

先端に縄をかけた御柱が建てられます。

諏訪大社ではは4本の御柱が造営されますが、敷地の関係により

桑折諏訪神社では2本の御柱が立てられているそうです。

 

諏訪大社と違い、代車に載せられて曳航されるため、

御柱の裏面には道で削られたような跡がありません。

また、諏訪大社の御柱の先端には、上社は奥宮の御射山社が

鎮座する八ヶ岳に向けて、下社では正面に向けて

御幣が立てられますが、桑折諏訪神社の御柱には

御幣はつけられていません。

 

直近では、2016年の申年に御柱祭が催行されました。

次は2022年の寅年に御柱祭が行われることとなります。

 

社殿前の狛犬さん。

石工さんの手掘りによる代物で、いい品物だ…と

狛犬好きの方からは評価を頂いているそうです。

 

入母屋造の桑折諏訪神社拝殿。

上記のとおり、大正13年(1924年)に再建されたもの。

 

三間社流造の桑折諏訪神社御本殿。

装飾などは無いですが、流造の特徴であるカーブと

木材の落ち着いた色合いによる静かな美しさがあります。

 


桑折諏訪神社の境内社としては稲荷神社・小牛田山神社・

淡島神社・金比羅神社が鎮座しています。

稲荷神社。御祭神は五穀豊穣の神である稲荷大神です。

社殿内部には、一間社流造の御本殿が四社祀られています。

 

小牛田山神社。御祭神は安産の守護神である木花咲耶姫神です。

小牛田山神社の左側には雷神の石碑があります。

 

淡島神社。御祭神は医療の神である少彦名神だと思います。

淡島神社は針供養や女性守護の御神徳があるとされています。

 

金毘羅神社。御祭神は大物主命だと思われます。

金毘羅神社は金運・商売繁盛・海上水上安全の神とされています。

 

また、2017年春には、境内に厄除け桃の石像が置かれました。

桑折諏訪神社の『厄除け桃』石像。

伊弉諾尊と伊弉冉尊が黄泉国で対峙した際、

伊弉諾尊は八雷神(やくさいかづちのかみ)や黄泉の国の軍勢である

黄泉軍(よもついくさ)から追われ、黄泉平坂まで逃げてきました。

その際、伊弉諾尊がそこに生えていた桃の実を3つ投げつけると、

八雷神や黄泉軍は撤退していきました。

伊弉諾尊は桃に感謝し、意富加牟豆実命(おおかむづみのみこと)

いう名前を授けて『葦原中国の人々が悲しみ苦しんでいるときは、

私を助けたように人々を助けてあげて欲しい』と命じられたそうです。

 

また、桑折町は皇室に桃を献上し続けている『献上桃の郷』で

あることから、諏訪神社に桃の石像が立てられたそうです。

 

桃の石像の周囲には十二支が書かれており、

自分の十二支の方向から桃を撫でて厄除けをするのだそうです。

 

桑折諏訪神社拝殿前の杉の巨木。

社殿を挟むかのように2本の杉の巨木があります。

 

桑折諏訪神社境内のイチョウの巨木。

イチョウの古木によくある気根が見られます。

 

社殿前に植えられた梶の木。

梶の葉は諏訪大社や諏訪神社の神紋として使われています。

こちらの梶の木から株分けしたものが、越河諏訪神社の境内に

植えられています。

これらの木々の他にも、防虫効果のある樟脳のもととなる

クスノキなどが境内に植えられています。

 


桑折諏訪神社の御朱印ですが、社殿左手にある

社務所兼宮司さんのお宅で拝受することになります。

桑折諏訪神社御朱印と諏訪神社の御柱守。

総本社の諏訪大社では、御柱祭の年限定の『御柱守』などの

頒布が行われますが、桑折諏訪神社でも御柱守の授与が

行われています。

御柱守は、裏面に社名が入る物と、写真の諏訪梶紋と社名が

入った物の二種類がありました。

 

東北でも二ヶ所しかない御柱がある諏訪神社です。

桑折町方面や最近できた『道の駅 国見あつかしの郷』に

ドライブに来た際などに参拝してみてはいかがでしょうか。

 


< 地図 >

備考:駐車場は社殿南側にあり。北側にも駐車スペースあり。