啖呵
毎度の事ながら、勉強ばっかしてると気分的にどん詰まりになります。
どん詰まりっていうか、箱詰めっていうか。
テストが近いってゆーんで休みもらえてたので、今日は気分転換にドライブしてきた。
いや帰りに図書館にも行ったけど。
そしたら寒い。
あたしがタンクトップにパーカー1枚という軽装備で走ってたら、ダウンジャケット着てる単車野郎が追い抜いていった。
そんな中2時間近く走ってました。
走ってたら段々気分も良くなってきた。
そのまま延々走ってて、気付いたら反対車線にも走行車線にも車が一台もいなくなってた。
あたしは日記で『まじでポチかっこいい』とか言ってるけど、ポチ本人にも言いまくってます。いいの変態だから。
さっきもいい機会だったからポチにお礼言った。
『あんたに何回救われたんだろうねぇ
いろんなとこ行ったし、いろんな人に会ったねぇ
でもありがとう、ほんとに感謝してる
だいすきだよ』
そしたらなんか涙目になってまった。
「いろいろ思い出して・・・」とかいう台詞はダルいけど、まぁそんなんだ。
でもそれよりもなによりもポチが愛しすぎて。
しかしそのときの速度80キロ。危険すぎる。
涙で霞む視界をやり過ごして、ふとハンドルに視線を落としてみた。
当然だけど、ポチはなーんも返事しない。ただエンジン音だけがする。
ポチに乗るときは洒落っ気なんかない。
スカートなんて履いたら足焦げちゃうしね。
だからすんごいボケーとした服装で買い物とか行って、店員さんに胡散臭い顔向けられるけど、それでも全く構わない。ポチがいるから。
ポチが来るまでは、結構見た目に相当気を使ってた。
化粧しないで買い物とか行けなかったしな。
でもポチが来てからは、見た目も大事だけどそれよりもっと大事なものを見つけた気がすんのさ。
まぁ化粧もオシャレも好きだけどね。
世界に愛なんつーもんがあるんだとしたら、あたしはポチを愛してる。
いろんなことがあって、ポチに跨って夜の川に行って、そこでポチの上に寝転がって見上げた星空とか、深夜の幹線道路で他の単車野郎とひとときのレースをした瞬間とか、そういう思い出が積み重なって今がある。
愛してるっていうか愛しい。
ポチに対する感情は、多分男の人が女の人を「守ってあげたい」と思う気持ちに近いんじゃないかなと思った、さっき。
今までポチの後ろに何人か乗せて走ったけど、もう女の子以外乗せないことにしてる。
もしあたしが男だったら、女の子の後ろに乗るなんて嫌だ。
今でも「あたしが単車乗る」って知ったら後ろに乗りたがる人いるけど、その瞬間に気持ちは別の場所だ。
当然その男の人はその場所に置いてけぼりだ。
というか、あたしの周りの女の子たちは結構サバサバしてる子が多いので、後ろに乗りたいって言ってくる子は誰もいない。
まぁ「送ってくよ」ていうのでちょっと乗せるっていうのはあるけど、それも言い出すのはこっちだ。
男らしい人が好きだ。
てめぇのケツはてめぇで拭くっていうような人が好き。
草食男子とかなんだとかいろいろ言われてるけど、そういうことじゃなくて、人として芯が通ってるかどうかっていうのが大事だ。
すいません。今日は啖呵吐きたい気分でした。
ラヴゲーム
人生っていうのは一体どこで何が起こるのか全くわからない。
昔はそれが不安で不安で仕方なかったけど、今はそれが結構楽しみでもあります。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2785929
モンドグロッソも好きです。
この曲知らなかったんだけど、歌詞素晴らしい。
一体どこがいいというのか、まぁよくわからないんだけど、幸福なことに「こんなあたしを好きでいてくれる人」という人もいてくれるわけで、それはとても光栄なことであります。
粛粛と受け止めたい所存で御座います。畏れ入ります。
しかし。
しかしですよ。
あたしはずっと『あたしのことなんか、誰も好きにならない』という呪縛をかけ続けていたときがあったのですけど、その精神が今どうなったのかというと、『肥大した自己』というものに変形した、気がする。
誰も好きになってくれない
→だったら好きになってもらうように努力しなければ
→でも、どの方向へ努力すればいいの?
→(頭打ち・どん詰まり)
→ていうか、もう自分は自分でしかないわけだから、自分がどうするか(どうしたいか)、じゃないのか?
→だったらやりたい放題やらせてもらうぜ
→そして今。
果たしてこれが正しい道だったのか、それはわからん。
分からんし、そしてどうでもいい。
あたしのことを好きになってくれる人がいるっていうのはとても嬉しい。
そりゃ嬉しいさ。自己存在の肯定とも受け取れる。
他人の視界に留まれるっていうのはとても幸せだ。ありがとう。
しかし、それはその他人の問題であって、あたしの問題はまた別のところにある。
他人に対する感情っていうのはいつだって一方通行だし、意思疎通というのは感情のキャッチボール。
両思いはいつだってどちらかが重い。
http://www.youtube.com/watch?v=WxA6Qt0grg0
こういうことですね。ミスチルはこの曲を含め、とてもいい曲が多い。
http://www.youtube.com/watch?v=OlLCUs3DKpU
一番好きかもしれないのはこの曲。
http://www.youtube.com/watch?v=ii3mohNd4s4&feature=related
でもこれも好きだ。
誰かを好きだと思う。
その気持ちに気付いたら、もうそれは自分の中では当たり前のことになってしまう。
だから特に気遣いもしない。
あなたのことを好きなのは、もうあたしの中では当たり前。
それをふまえて、あたしは今日もあたしをあたしなりに楽しんで生きるよ。
あなたもあなたで、あなたの人生を楽しんでくれ。
そしてあたしとあなたがセックスをする仲なら、病気は持ってこないでね。そんな感じだ。
浮気ですか?してもいいけど、それってそれ相応の応報を覚悟してるってことだろう。
まずはあなたの服をカッターナイフで切り裂いてあげっから、とりあえず頭の後ろで手を組んで、そして手錠つけてあげるわ。
いかんコレめっちゃ楽しそう。自重します。
とか言うと、あたしは相当ドライな人に見られそうだけど、そりゃーあなた、昔はあたしもグッチャグチャだったですよ。
ていうか今でもその感情の箱は残ってるよ。
詩や小説を書いたりするときにその箱は大いに役立つからね。
好きすぎて相手を殺めてしまいたい。首を絞めたとき、あたしの指が相手の首にどう食い込むのか見てみたい。
飼い殺しも楽しそうだ。耳を噛んだとき、どんな声が相手の口から漏れるのか、想像しただけで、この右手の爪を、相手の胸に突き立ててみたい。とかなんとか。
まぁ実際出来るところまでやってみたのもちょこちょこあるけど、なかなか理想通りにはいかないのよね。
だからあたしは小説を書くのかもしれない。
アニオタの方方が、アニメを見ていろんな欲を満たすことに似てる、気がする。いやよくわからんわ。
すいません偉そうなこと言いました。
人生に大切なものの1つは『開き直り』かなーと、最近よく思います。
もう偉そうなことを話してる自分キモいけど、まぁあれです、全部ネタです。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1508259
こういうのも紹介します。
あたしのごはん
記憶が増えて繰り返す
指折り数えて十を越す
知りたくない事山積もり
恨みの言葉と雪月花
出来ない契りを薄笑い
卑下の目線で突き落とす
何処にも行けないはずでしょう
時間を燃やせる火が欲しい
結局貴方も嘘だった
斯く言う私も演じてた
銀の手錠より赤でしょう
去年の紅より濡れる口
知らない未来に酔う欲情
餌食を手に入れすぐ捨てる
自身となった鞭を振るう
無様に泣くのは貴様だろう
孤独を願って肌を抱く
鎖骨を噛めば痣が浮く
知らない事実を貴方にあげる
所詮貴方はあたしのごはん
夢で会いましょサキュバス
薄い微笑みバンパイア
人差し指だけ愛してる
所詮貴方はあたしのごはん
唯一言えること
あたしはみんなが知っての通りの年齢なので、まぁみんなから見て年上だったり年下だったりするんだろう。
そんな中で、今日は年下のみなさんに一言物申したい。
いいですか。いいですよね。
大人ぶってしまって申し訳ない。どうしてもどうしても言いたいのです。
でも所詮あたしの言葉なので、参考にしたらだめなのだ。
真剣なネタだと思ってください。
あれ、でも『真剣なネタ』って、単純に『中二病』だよね。まぁいっか。
若者よ。
恋をしなさい。
そして失恋をしなさい。
大真面目にそう思っています。
人生に残るような恋愛をすることは大事だと思います。
でもそれよりもっと大事なのは、心がズタボロになるような大失恋をすることだ、と自分の過去を眺めて思う。
普通の恋愛っていうのがどれなのか、まぁ当然のようにわからないんだけど、たぶんあたしの恋愛は歪曲してると思う。
初めて真剣に「好きだ」と言ったのは女の子だった。付き合う気は更々なかったんだけど。相手ノーマルだったし、当然ふられたけど。
その子に対する感情を、当時のあたしは完全に愛だと信じてた。
付き合いたいとかもないし、同性だから結婚とか日本ではできないし、ましてや相手はノーマルだから海外で結婚するとか、そんなんが有り得ないってことも分かってた。
それでもあたしはその子のことが好きだった。あらゆるものを犠牲にしても、それが例え自分の時間であろうと、究極には自分自身であろうと、彼女と一緒にいれるならそれでよかった。
唇にキスをしたことはないし、当然それ以上のこともない。成り行き上手を繋ぐことはあっても、でもそれも偶然の産物でしかない。でもほんとに、当時のあたしはそれでよかった。
そういう気持ちこそが愛だと思ってた。
それが壊れた瞬間ってすごいぞ。
もともとあたしは男性恐怖症だったので(ていうか、今でもイケメンとかリア充とかチャラ男とかいう類の男の人が苦手)、誰も好きになりたくなかったのです。
誰かを好きになれば傷つく→それなら誰も好きになりたくない→なりたくない・・・
『なりたくない』という呪いを掛け続ければ、それはいつか呪縛になって、誰かを好きになるという感情を殺せると信じてた。たぶん18歳くらいまでそう思ってた。
犬も、猫も、自然も宇宙も花も音楽も絵もなにもかもを嫌いになりたかった。好きなものなんてなにもないと言えるようになりたかった。
でも無理だった。どうしても好きになってしまう。出来る人は出来るんだろうけど、生憎あたしには無理だった。
でもいろいろと紆余曲折を繰り返したら、なんか開き直った。
大したことはなかったのかもしれないけど、あたしなりに度胸がついたのかもしれないです。
だから若者よ。大失恋をしなさい。
自分を信じて、とにかく恋の力に振り回されてみるのだ。
変に大人ぶってみるのもいい。とにかくなんでもいい。めちゃくちゃにやってしまえ。
しかし警察のお世話にはなったらイカンよ。
誰の元にも帰らないし、そもそも帰れない
とある人に『俺の元に帰っておいで』とか言われました。
ここではっきりさせておきたいのは、それを言って来たのは元彼君ではない、ということです。
いろいろとおかしいとは思いませぬか。
最近京極夏彦さんを読んでいるので、口調がそれっぽくなってしまって申し訳ないが。
そもそもそれが元彼君であったとしても、あたしは彼の元にいたという風に記憶はしていない。
というかそれは誰に対してもそうです。
「じゃあ誰の元にいるんだ?」と聞かれたら「勿論、あたしはあたしの元にしか生息していませぬ」ということだ。
これから先そういう人に出会う可能性がないと言っているわけではないが、今現在ではそうだ。
冒頭の台詞と共に『俺はずっとブラン子を愛してるよ』とも言われました。
ここで恐怖を感じたあたしの感覚はずれていないと思う。
だってその人、会ったこともないんだもん。
勿論ここでの返事は「世界が終わるまで待っててベィビー」だ。
仮に世界が終わったとしても、あたしは彼の元には帰らないだろう。そんな約束してないんだから。
ていうか、よく『好きじゃなかったら(異性を)デートに誘わなくない?』て文を耳にしますが、その『好き』っていうのは『恋愛感情』の『好き』ていうこと?
そうなんだとしたら、あたしはそれに同意し兼ねる。いやもう最近は反抗するのもめんどくさいから同意してますけど。
あたしは恋愛感情がなくても、普通に友達として好きだったらデートに誘う。
ていうかそんなんを恋愛感情だとかなんとか言ってたら、あたしどんだけ浮気性なんだ。
会いたいと思うから誘うし、会いたくなかったら誘わない。
断られたら「あぁそう」で終了だし、いつまでたっても決まらない予定はどうでもよくなる。
しかしあたしは気まぐれなので、あたしから言い出したくせに達成させる努力をしないときもある。
同じことを相手からされたとき、あたしは「あぁ、この人はそういう人だと思われていいから、こういうことをするのね」と思うことにしてる。
なので、あたしも相手からそう思われてもいい。だって本当のあたしは適当で気まぐれなんだもん。
嘘のあたしを相手の中に作らないでほしい。だからあたしも勝手気ままに振舞ってる。
でもたまに
『いや、でもそうやって振舞ってるだけで、本当はしっかりしてる人だって、俺知ってるよ』
とか言ってくれる人もいる。
一蹴します。そんなわけないじゃないですか。
なので、そういう人の前では演じてる。演じてるつもりはないんだけど、咄嗟に出てきちゃうのです。嘘の自分。
自分の首を絞めてるんですけどね。でもまぁこれは治らないだろう。恐らくあたしなりの世渡り術。
そういうことも含めて、あたしが一緒にいて気が楽なのは、すんごいひねくれてる人なのかもしれない。
集団生活も別に難なくできる人とか、ちょっときついかもしれない。
いや、あたしもそれなりにこなせるけど、でもどっかで独りになりたいのです。
あたしバイトの休憩中って、基本的に一人でいます。
とあるデパートの中でバイトしてるので、休憩室には他テナントの人とかいっぱいいるのですけど、そんな中あたしは黙々と音楽聴きつつ本読んでる。
で、休憩が終わると、同じお店のバイト仲間の子たちと和気藹々してる。
こんな感じで、どっかで独りになれる環境がないとだめ。
これと似た感覚を持ってる人といるとき、あたしはすごく楽です。
いっつも誰かと一緒にいないとだめな人とか、ほんとに無理なんす。
とある友達は、彼氏さんとよく気まずくなってるのです。
その友達は、なかなか精神的に『うーん・・・』てなりやすい。
恋人っていうのはそういうときに一緒にいるべきなんじゃないの?ていうのが彼女の持論、らしい。
でもごめん、あたしそれには同意できなかった。
だってそんなときに一緒にいたって、結局泥沼への引きずりこみあいなんだもん。
悲しみの淵をなぞる作業が、1人から2人になっただけ。
しかし、あたしだってそういうときに誰かを呼んでしまうときもあるけど、そこで甘やかされたら、あたしはきっとそこに溺れてしまう。
帰ってこれない。甘えてしまう。
何を求めてるかっていったら、安心です。甘えさせてくれる環境じゃないの。
安心できる場所がある。そこがあるからあたしは安心して飛んでいられる。
そしてそこに降りて、休息をして、また旅立つ。
でもね、そんな場所は、今まで生きてきて、どこにも見つけられなかった。
誰といてもあたしの心はずっと飢えていた。
彼氏がいたらなくなるのかと思ったけど、そんなことなかった。
でも別に絶望的にはなってないです。
なぜかというと、「もしかしたらこれから先どこかで見つけられるかもしれない」という気持ちより強く「あたしにはあたしがついてる」ということを確信したからです。
あたしが生きてる限り、あたし自身は絶対的にあたしの味方です。そう思う。
心の欠落感を誰かに求めても、結局そこでは、誰も彼もが生きていけなかった。
あたしの心の中では、あたし以外の誰かが生きていくことは出来ない。あたしだけが生きていける。
それに気付いてから、なんていうか、生命力が溢れてきましてですな。生きるのが楽しくなったのです。
最近気付いたけど、誰かと付き合うときに必要なものは『尊敬と覚悟』だと思いました。
これを読んでる人がいてくれてるのかどうかはわからないけど、注意して頂きたいのは、これを書いたのが、他の誰でもない、あたしだということです。
何度も言うけどあたしは気まぐれ。いくら偉そうなことを延々述べたって、数日経てば忘れてしまうのがあたし。
それを忘れないためにここに書いてるっていう体がある。この投げっぱなしなボールという感じがあたしなのかもな。いやよくわかりません。