美醜の基準はどこにある? | 夢はなくとも 希望はなくとも 

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「あれ……もしかして……」

 

 

どこで読んだのか、

そもそも

読んだのか、見たのかすら

覚えていないのですが、

こんな話しがあります。

 

 

昔々あるところに、

自分のことを

「ブサイク」だと

思っている女性がいました。

 

 

その女性は、

「自分がブサイク」だという理由で

人と会うことを避け、

社会と関わることを

極力避けるようにして

生きてきました。

 

 

当然、

パートナーもおらず、

目立たないように

人の記憶に残らないように

1人で

ひっそりと生きていました。

 

 

その女性は、

自分に自信が持てませんでした。

理由は、

「ブサイクだから」

でした。

 

 

自分がブサイクだから、

何もかもが

うまくいかないと

ずっと思って生きていたのです。

 

 

その女性に、

あるとき、

1人の男性が現れました。

 

 

その男性は、

その女性に好意を抱き、

よく話しかけるようになりました。

 

 

そのうち、

その男性は、

恋心を抱くようになって、

その女性に気持ちを打ち明けます。

 

 

はじめは、

その女性は信じられずに、

距離を置こうとするのですが、

男性は諦めません。

 

 

自分の素直な気持ちを

伝え続けました。

 

 

その熱意に折れて、

とうとう女性は、

その男性を受け入れます。

 

 

お付き合いすることになったのです。

そしてその後に、

2人は結婚します。

生活を共にするようになったのです。

 

 

男性は

意中の女性とお付き合いができて

そして結婚までできたので

毎日が幸せです。

 

 

その女性が隣にいてくれることに、

とても感謝していました。

 

 

男性は

自分の気持ちや感じていることを

よく言葉にする人でした。

 

 

その男性は、

毎日のように

パートナーである女性に向かって、

こう言っていました。

 

「いつも綺麗だね」

「それ似合うよ」

「〇〇がいてくれると

 その場が明るくなるね」

 

しかしその女性は、

「自分はブサイクである」という思いを

持ち続けていたので、

その男性と一緒にいることに

喜びを感じながらも、

その言葉を

素直に受け止めることは

できていませんでした。

 

 

そうやって過ごすうちに、

ある瞬間が彼女に訪れます。

 

「あれ……もしかして私って、

 これまでずっと自分のことを

 ”ブサイク”だと思ってきたけれど、

 本当は違ったのかもしれない。

 彼の言葉を信じられなかったけど、

 もしかしたら私って、

 彼が言うように、

 本当に綺麗なのかもしれない……」

 

そう思うようになってからの女性は、

内面からの美しさが

まばゆいばかりに溢れ出し、

自信に満ち溢れて

突然、

輝きはじめました。

 

 

自分のことを

「ブサイクだ」と思っていた女性が、

自分の本当の美しさに

気づいた瞬間だったのです。

 

 

そして彼に尋ねます。

「本当に私って綺麗だったの?」

すると彼はこう答えます。

 

「そうだって

 ずっと言ってきたじゃないか。

 何をいまさら

 そんなことを聞いてくるんだ?

 君はとっても綺麗な女性だよ」

 

と。

 

 

彼からの素直な

ウソのない言葉を

投げかけられ続けた女性は、

やっと

「私はブサイクだ」という思い込みを

捨てることができたのです。

 

 

それから

その女性は変わりました。

自分に自信を持つようになったのです。

それに伴い、

内面だけではなく、

外見からも

「本当に」美しくなっていったのです。

 

 

このお話からわかるように、

「私はこうだ」と思っていると、

本当に

そのように振る舞うようになるし、

そういう現実を

体験するようになるのですが、

ここで大事なのは、

外側の条件は

一切関係がないということなんですね。

 

 

ウエダミツトシです

こんにちは

 

image

 

「美醜」という話しでいくと、

そもそも

「美醜」って

感覚の話しなんで、

外側に

「こういう条件を満たした場合は”美”で、

 満たしていない場合は”醜”である」

というものなんて「ない」んですね。

 

 

そんな基準はないんです。

どこにもない。

その対象を見ている人間の側にしか、

それは存在しません。

 

 

ということは、

「私はブサイクである」と思っているのは、

何を基準にして

そう感じているのか?

という話しになります。

 

 

「自分がそう思った」んです。

きっかけはあったと思います。

誰かから

「ブサイクだ」と言われたとか、

誰かと比べられたからとか、

自分だけがひどい目にあったとか、

そういうことは

あったかもしれないのですが、

それをきっかけとして、

「自分でそう思った」ことに

変わりはありません。

 

 

だったら、

自分で思い直すことだって、

できるはずです。

 

 

冒頭で紹介したお話も

パートナーである男性から

ずっと

 

「今日も綺麗だね」

 

と言われ続けたという”きっかけ”は

あったと思います。

 

 

でも、

「自分で思った」んです。

 

 

「もしかして私って、本当に綺麗なのかも」

 

 

という風に。

 

 

そして、

そう思うようになったその女性は、

本当に

綺麗になっていったのです。

 

 

「なっていった」というよりは、

本来の美しさに気づいたと言うほうが

より正確でしょう。

 

 

元々持っていた、

その人らしい美しさが

ちゃんと表現されるようになったのです。

 

 

このように、

自分で自分を「どう思っているか」

それが、

その人の人生に、

とても大きな影響を及ぼすのです。

 

 

「私はブサイクだ」と思っていたら、

それを証明するようなことしか

認識しなくなります。

 

「確証バイアス」

 

と言って、

そうとしか思えないような出来事ばかりを

現実の中から見つけてきて、

 

「ほら、やっぱり!!」

 

をやり続けてしまいます。

 

 

「私はブサイクだ」と思っていたら、

それを証明することだけを

ピックアップして

その現実を体験するようになります。

 

 

逆に

「私は綺麗だ」

「私は美しい存在だ」

と思っていたら、

それを証明するような出来事だけを

現実の中から見つけてきて

 

「ほら、やっぱり!!」

 

をやります。

 

 

どちらも

現状認識に

バイアスがかかっているという点では

同じですが、

どちらが

その人にとって

良き人生になるかは

明白ではないでしょうか。

 

 

そうやって、

自分に自信を持つようになると、

心に余裕ができてくるので、

その先に、

フラットなものの見方、

 

「私をブサイクだと思う人もいれば、

 綺麗だと思う人がいる。

 それは、その人がそう感じているだけで

 私の存在とは何の関係もない」

 

ということが

感覚として

つかめるようになると思います。

 

 

「私はブサイクだ」と思っていては、

ずっと

自分に自信が持てないし、

心に余裕もできないので、

フラットなものの見方が

できるようにはならないと思います。

 

 

なっているように見えても、

それは

「諦め」です。

自分に対する「失望」であり、

それ以上望まないほうが

傷つかなくて済むという

自己防衛から来ているものです。

 

 

それが悪いということではありませんが、

そもそもの話しで、

「美醜」という感覚は、

それを見る人の側にあるのであって、

対象となっている存在に

付随しているわけではないので、

だったら、

わざわざ

自分で自分のことを

「ブサイクだ」という風に、

思い続けなくても(決めつけなくても)

いいのではないかと思います。

 

 

外側の条件は

関係ないのです。

 

 

外側にある条件は、

すぐに変わるんですよ。

 

 

時代によっても

個人によっても。

 

 

簡単に変わるのです。

それなのに、

一度でも

「私はブサイクだ」と思ってしまったら、

その人は

ずっとそう思い続けるんです。

 

 

世の中の価値観が変わっても、

基準らしきものが変わっても、

ずっとそう思ってしまうのですが、

自分で自分を

そう思わない限り、

外側の条件に左右されることなく、

「私は綺麗だ」と

思い続けることだって

できるのです。

 

 

とちらがいいですか?

 

 

「私はブサイクだ」と思っている、

その価値観は、

本当ですか?

 

 

世の中のすべての人に

聞いて回りましたか?

 

 

ええ、

そんなことはできないとわかっていて

聞いていますよ、

ええ。

 

 

そんなの、

わからないんですよ。

 

 

そして、

少し考えてみたらわかると思いますが、

この地球上にいる人間全員が

「そう感じる」だなんてことは

あるわけがないので、

だったら、

「私はブサイクだ」と思っている

その根拠はどうなるの?

という話しになってくると

思いませんか?

 

 

「私はブサイクだ」と思っていても、

冒頭で紹介したお話のように、

「君は綺麗だ」と感じる男性は

いるでしょうし、

逆に、

「私は綺麗だ」と思っていても

「そうは思わない」男性だっているのです。

 

 

俺たちは、

この世のすべての人に

受け入れてもらわなくても、

それこそ

「パートナー」だったら、

たった1人でいいんですよ、

たった1人に受け入れてもらえたら、

それでいいんです。

 

 

逆に

全員に好かれたら困るやんね。

 

一度くらい、そんな現実を体験してみたい

 

と思うかもしれませんが、

それは無理だし、

そんな必要も全くありません。

 

 

外側にあるかのように感じられる条件に

一切依らずに、

自分で自分のことを

「私は綺麗だ」

と思ってもいいんです。

そこに根拠はいりません。

 

 

「私はブサイクだ」にも

根拠なんてないんですから。

あるのは、

「きっかけ」です。

そう思った「きっかけ」は

たしかにあった。

でもそれが、

「私はブサイクである」ことを

証明する根拠とはならないのです。

 

 

だったらもう、

「私はブサイクだ」と思う必要はないし、

「私は綺麗だ」とすら

思わなくていいです。

 

「それは相手が

 そう思っているだけで、

 私の存在とは

 何の関係もありません。

 ただ、私は私のことを

 美しいと思っています」

 

で、よくなると思います。

 

 

まあ、

そのためには、

個人的には、

冒頭で紹介した話しに出てくるような、

男性が増えるといいなと思います。

 

 

素直に、

ウソのない言葉で、

それを言い続けられる男性ですね。

 

 

思っていても、

それを言葉にしない男性って、

まだまだ多いと思いますからね。

 

 

俺もだけど(おい)

 

 

《終わり》image

 

 

 

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