お金で困る人と困らない人 | 夢はなくとも 希望はなくとも 

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「お金がなくても大丈夫」

 

 

今後益々、

 

お金で困る人と困らない人

 

とに分かれていくと思います。

 

 

それを安易に

二強化とは言いたくないのですが、

困る人は益々困り、

困らない人は

益々困らなくなっていくだろうと

僕は思っています。

 

 

そしてそれは、

 

お金がある・ない

 

とは関係がなくて、

この流れになっていくんだろうと

思っています。

 

 

あなたの本音を見つけて言語化する専門家

ウエダミツトシです

こんにちは

 

image

 

このブログで

何度も書いていますが、

「お金がないこと」を

「お金を得ること」で

問題解決しようとすると、

お金に困ると思います。

 

 

逆に、

「お金がないこと」を

「お金があってもなくてもいい」

というマインドでいる

お金に困らなくなるんだと思うんですね。

 

 

お金で困る・困らない

というのは、

お金がある・なし

にかかわらず

困る人は困るし、

困らない人は

ずっと困らないってことなんです。

 

 

ここが

多くの人には

理解できないことだと思うのですが、

「お金がない状態」を

「お金を得ること」で解決しようとすると、

ずっと、

お金の増減で

感情が揺さぶられることになるので、

あってもなくても

結局困るんです。

 

 

ところが、

お金があってもなくても

どちらでもいいという状態になっていると、

お金のある・なしにかかわらず、

ずっと困らないんですよ。

 

 

お金の問題の解決方法は、

「お金を得る」ことだけではありません。

 

 

それよりもむしろ、

いかに

お金に頼らずに

毎日の生活を成り立たせていくか、

という創意工夫によって

解決されるものです。

 

 

こういう本にもあるように

 

 

「いまあるもの」

生活をしていこうとする、

そしてそれでも困りごとがあれば

人に頼る

これで、

大体の問題は解決します。

 

 

「お金がない」状態の

問題解決方法は、

 

お互いに助け合う・手を差し伸べ合う

 

ことでしか解決できないと思います。

 

 

お金のことを考えすぎです。

それよりも

身の回りにいる人たちのことを

思い浮かべてみてください。

 

 

自分が困ったときに、

どれだけの人が

自分を助けてくれると思っていますか?

そして逆に、

誰かが困っていたときに、

手を差し伸べようとする余裕が

自分にどれだけありますか?

 

 

お金が助けてくれているんじゃないんです。

「誰か」の存在

自分を生かしてくれているんです。

 

 

だからこそ、

いまのうちから、

人とつながっておくといいんですね。

 

 

国というか、

日本政府といったような、

公的なものに頼ろうとすると

今後間違いなく、

お金に困ると思います。

 

 

それよりも

身近にいる人たちと

つながっていることのほうが

これからの時代は

圧倒的に大事で

人とつながってさえいれば、

大抵のことは

大丈夫だと思います。

 

 

経済的な側面から

今後のことを考えると、

低所得者層にいる人たちは、

これからさらに

困ることになっていくと思います。

 

 

でもね、

まあ大丈夫ですよ。

 

 

世の中的に見たら

「大変なことだ」みたいな論調に

なっていくと思いますが、

間違いなくなるはずなんですが、

僕はこれを

悪いことだとは思っていなくてですね。

 

 

逆に、

人と人とが手をつなぎ始めるんじゃないかと

思っているんです。

 

 

だって、

 

そうしないと生きていけないから。

 

この日本社会って

もうそこまできていると

僕は思っているんです。

 

 

この状況で、

さらに

 

お金を追い求めていく

 

のであれば、

そういう人たちは

困ることになると思っていて。

逆に

こういう状況ダカラコソ~

近くにいる人たちと

ちゃんとつながっていくことで

この難局を突破することは

十分に可能だと思っています。

 

 

戦後の日本を思い出してみてください。

 

そのとき、オレ生まれとらんけどな。

 

実際には

知らんのだけども。

 

 

戦後の日本って

もうほんとに

何もなかったんです。

 

 

今日一日を生きていくのに

必死な状態だったわけです。

 

 

それこそ、

日本国民全員が困っていた。

 

 

じゃあそこで、

お金を稼ごうとしたでしょうか?

って話で。

 

 

お金があっても

結局何もないんだから、

近くにいる人たちと

手を取り合うしか

方法はなかったと思います。

そしてそれで、

この日本は

なんとかなってきたんですよ。

 

 

お金がないならないなりに、

できることをしていった。

 

 

だから

周りに人がいたら大丈夫なんです。

ちゃんと手を取り合える人たちと

つながっていたら、

お金で困るようなことがあっても

ちゃんと生きていけるんです。

 

 

国に頼らなくても。

 

 

そういう意味で、

これから

人とつながろうとせずに

お金だけを見て、

お金で解決しようとする人は、

益々困っていくことになり、

お金を得ることではなくて、

人とつながろうとする人は、

大丈夫になっていくと思います。

 

 

助け合い

分かち合い

手を差し伸べ合うんです。

 

 

それがあれば、

絶対に大丈夫ですよ。

 

 

この流れをつくっていくには、

誰かに

 

「それをやってくれ」

 

というのではなくて、

自分から始めていくことです。

これが一番早い。

 

 

困っている人に

手を差し伸べるんです。

 

 

直接お金を渡すとか、

そういうことじゃなくて、

言葉をかけるだけでもいいです。

 

 

あと、

先に「形」をつくろうとしても

ダメだと思います。

 

 

昨今、

コミュニティーという言葉が

よく使われていますが、

それにしたって、

結局のところ、

手を差し伸べ合うという考えがなければ、

絵に描いた餅になります。

餅にはならないんですよ。

 

 

僕たちが欲しいのは「餅」であって、

「絵」ではないはすです。

 

 

これが

お金を求める人は困り、

人とつながっていく人は困らなくなる

という意味です。

 

 

お金(だけ)を求めるっていうことは

「絵」を求めているのと一緒です。

どんなにきれいで見事な「絵」であっても

それは「餅」ではないので、

食べられないんです。

 

 

人とつながっていけば、

中には

「餅」を持っている人がいるので、

食べることができます。

 

 

どちらがいいですか?

 

 

これも良い悪いではなくて、

選択の話です。

 

 

「絵」がいい人もいれば、

リアルな「お餅」がいいという人もいる。

どちらを選ぶかというだけの話なんで、

それはお好みでどうぞと思いますが、

「お金がない」ことで困っているのであれば、

「お金を得よう」としてもいいんですが、

それよりも

「人とつながること」を

考えたほうが

僕はいいと思っています。

 

 

お腹が空いていたら、

そりゃあ、

「絵」よりも「お餅」のほうが

絶対にいいでしょうよ。

 

 

ただ、

僕って……

 

 

お餅食べられないんですけどね。

 

 

食べられないっていうか

苦手なんですよね。

(そういう話じゃない)

 

 

《終わり》image

 

 

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