うまくいかないことで手にしているものは何か | 夢はなくとも 希望はなくとも 

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「たいしたことがないと言われるのなんて別にたいしたことはない」

 

 

ここ最近

しばらく

自分を深堀していることがありまして。

 

 

それは何かというと

 

「何故、自分で自分を止めているのか?」

 

ということについてなんですね。

 

 

薄々、

自分でも気が付いていたことなんですけど。

何かうまくいきそうになったり

物事が前に進みそうになると

それに対して

自分で止めてしまっているような

 

”そうならないように仕向けている自分”

 

がいるような気がしてならなかったんですよね。

 

 

ウエダミツトシです

こんにちは

 

 

こんな本もありましたけど

 

 

『幸せになる勇気』

 

 

人って

なんだかんだ言ったって

結局のところ

幸せになることとか

うまくいくことの方が

ほんとは怖がっているのかもしれないなと

思うんですよね。

 

 

それっていうのは、

幸せになる事自体が怖いっていうのも

あるとは思うんですけど

それに付随してくる

 

めんどくささ

とか

わずらわしいこと

とか

他人の目

とか

 

そういうことに対して

無意識で

避けようとしてしまっていることもあると思います。

 

 

っていうか、

そっちの方が大きいのかもですね。

 

 

それで、

何故僕が

今このことについて

自分を深堀しているかというと

 

「自分で止めてるよね」

 

何人かの方から

立て続けに言われたからなんです。

 

 

それを言われた時、

 

「あ、やっぱりですか」

 

って自分で思いましたもんね。

その自覚があるんじゃねえか!

って話ですからね。

 

 

というわけで、

自分で自分を止めている

その理由は一体何なんだろうと思って

自分で自分に

セルフカウンセリングをしている最中なんです。

 

 

 

 

僕は以前から

何度も何度も

色んなワークに取り組んできても

必ず出てくる自分というのがいるんですね。

それは

どんな自分かというと

 

たいしたことがない自分

中身のない自分

そんな程度な自分

頭が悪い自分

誰かのパクリでできている薄っぺらい自分

 

なんです。

 

 

これね

この世界に入った時から

ずっと出てきていて

しかも

今でも必ず出てくる自分なんです。

 

 

僕は僕のことを

たいしたことがない人間で

中身のない人間で

そんな程度のことしかできない人間で

頭が悪い人間で

誰かのパクリだけで成り立っている人間

という風に思ってるんですね。

 

 

信じているというか

確信に近いレベルで

そう認識していて。

 

 

このようなセルフイメージを

ひっくり返してみたりだとか

言い換えてみたりだとか(観念の書き換え)

色々と

今まで取り組んできたんですけども。

そこはどうしても譲れないみたいで

ものすごい鉄壁の守りなんですね。

 

 

少し緩んだように見えても

やっぱり

たいしたことがない人間

っていうのが

ついつい出てきちゃうんです。

 

 

これがね

たいしたことがないいんげん豆だったらよかったんですけど

さらっと流せるんですけど。

なかなかそうもいかなくてですね。

 

 

例えば、

他人と比較することって

よくあるじゃないですか。

 

 

他人と比較すること自体は

良くも悪くもなく

「他人と比較しなくてもいい」

って言われたところで

他人と比較してしまうのが

人間という生き物だと思うので

どうしようもないんですけど。

 

 

僕のように

たいしたことがない人間

ていう自分を抱えたまま

「他人と比較する」

ということをやってしまうと

ほぼ間違いなく

「ほらほら、やっぱりオレってたいしたことがない人間やん!」

ってなってしまうんですよ。

そこは絶対に

「いんげん豆やん!」

とはならないんですよね(当たり前だ)。

 

 

どこの世界にでも

上には上がいるものですし

それはそれとして

それを自分が

「たいしたことがない人間」

という根拠に使わなくてもいいんですけど。

でもやっぱりそうしてしまう自分がいて。

 

 

本当の意味では

僕の中で

ここの部分が

何も変わっていないんだと思います。

ずっと握りしめている。

手放してないんだと思うんです。

 

 

 

 

それで

じゃあなんで

自分で自分のことを

「たいしたことがない人間」

という風に思ってしまっているんだろうと。

そこを深掘りしていってるんですけど。

 

 

これは散々やってきているんで

自分でもわかってるんですけど。

自分の過去を振り返ってみても

明確に

「これっ!」

っていう

ちっさい「っ」が入るくらい

わかりやすい出来事とか

誰かから何か言われたとかがあったわけではなくて。

そこは正直

自分でもよくわからないんですね。

 

 

おそらくですけど、

僕は小さい頃から

何かをやろうとすると

誰かに止められる、

そういうことがたくさんあって。

 

 

親は勿論、

近所の人とか

先生とか

あるいは友だちからハミられるとか

そういうことが

たくさん積み上がって

できてしまったものだと思うんです。

 

 

子どもですからね、

そりゃ止められるような

危ないことをしようとしたことも

たくさんあったことでしょう。

 

 

それでも

「自分が何かをやろうとすると必ず誰かにとめられる」

みたいな風に思い込んでいるところがあって。

だったら

そういった枠の中から出ない

「たいしたことがない自分」

でいた方が

何かと都合が良かったのかもしれません。

 

 

まあ

そういうレベルのところから出発して

僕が今まで生きていく中で

その思い込みを

強化するような

たくさんの証拠集めをしてきたんだと思うんですね。

 

 

それが結局、

 

たいしたことがない人間で

中身のない人間で

そんな程度のことしかできない人間で

頭が悪い人間で

誰かのパクリだけで成り立っている人間

 

ってことにまで

僕の中での思い込みが

どんどんと肥大してきてしまった要因なんだろうなと。

 

 

だからこそ

この自分から違う自分になろうとすると

必ず後ろに引っ張られるというか、

自分で自分を止めてしまうんだろうと思います。

そして、

その自分にも

薄々気が付いている状態が

今の僕です。

 

 

つまり

うまくいったら困るんですよね。

軽はずみに幸せになってしまったら

辻褄が合わなくなるんで

僕が僕を全力で止めようとするんです。

そして、

その力がすんげ~つえーの。

 

 

パねえよ。

自分の力舐めんなよ

って話なんですけど。

 

 

その力を

自分が幸せになる方に

使えんものかなと思うんですが、

大事なのは

ここなんですよね。

ここがクリアになったら

僕の中のエネルギーが

ひとつの方向に流れ出すんで

抵抗ってなくなっていくと思うんです。

 

 

今の僕の状態って

真反対にエネルギーのベクトルが向いちゃってるんで

傍から見ると

 

ザ・停滞

 

みたいになるんですよね。

 

 

The・TEITAI

 

 

無駄に横文字にしてみましたが。

 

 

自分でも

そう感じてしまう部分もあります。

 

 

こういう状態の人ってきっと

僕だけじゃないですよね。

たくさんいると思います。

 

 

これはつまり

うまくいかないことで

その裏にある何かを手にしている状態なんですよね。

 

 

心理学でいう

二次利得

っていうやつなんですけど。

 

 

その裏にある何かに対して

強烈なメリットを感じているから

それを手放せなかったり

表面上では

「欲しい!」

と言っておきながら

実は

そっちの方を手にしたいから

うまくいかないように

自分で自分を

そう仕向けている。

そういうことってよくあるんですよね。

 

 

うまくいかない方が

幸せにならない方が

自分にとっては

実は都合が良い。

 

 

僕の場合で言うと

 

たいしたことがない人間で

中身のない人間で

そんな程度のことしかできない人間で

頭が悪い人間で

誰かのパクリだけで成り立っている人間

 

でいた方が

僕にとっては

実は都合が良かったりするんですよ。

 

 

あ、それとね

僕は

誰かから

そう思われたくなくて

必死に

今まで生きてきたところはあると思ってます。

 

 

たいしたことがない人間

中身のない人間

そんな程度のことしかできない人間

頭が悪い人間

誰かのパクリだけで成り立っている人間

 

という風に

そうは

思われたくないから

そう言われないように

必死に

その自分をひた隠しにしてきた。

 

 

バレるのがめっちゃ怖かったんだと思います。

この自分が

実はもうバレてるよってことについては

ここ

散々やってきたんで

もう諦めている部分はあるんですけどね。

 

 

 

 

そこで

今現在の

僕の深掘り状況について

お伝えしますと。

 

 

結局のところ

 

たいしたことがない人間で

中身のない人間で

そんな程度のことしかできない人間で

頭が悪い人間で

誰かのパクリだけで成り立っている人間

 

という風に思われて

それについて何か言われるのがイヤなんだろうなと。

 

 

つまり僕は

 

「イヤなことを言われたくない」

 

だけなのかもしれないと。

 

 

言われたくないからこそ

 

「イヤなことを僕には絶対に言わないでくださいよ~(へーこらへーこら)」

 

って世間に

この世界全体に対して

媚びってる。

 

 

何しとんねんと。

アホかと。

 

 

言われたくないだけかいと。

そんな理由で

オレはオレを止めてたんかい!

と思うと

なんだかバカバカしくなってきているところなんです。

 

 

とはいえ、

やっぱり

これが一番怖いのかもしれないと。

そうも思うんですよね。

 

 

だってね、

想像してみると

 

「ショボっ!」

とか言われるんですよ。

 

誤解はされるし

酷評されるし

あることないこと言われたり書かれたりするわけですよ。

ひがまれて

ねたまれて

嫉妬されて(一緒か)

誹謗中傷に罵詈雑言

道を歩けば罵声を浴びせられるかもしれない。

 

 

それにビビってるんだなと。

だから

そう言われないように

思われないように

自分の行動を制御している。

自分で自分を止めているのかもしれないと。

 

 

僕は

 

たいしたことがない人間で

中身のない人間で

そんな程度のことしかできない人間で

頭が悪い人間で

誰かのパクリだけで成り立っている人間

 

でい続けることで

 

「誰からもイヤなことを言われない」

 

という現実を

ずっと手にしてきたんだろうと思うんです。

 

 

ということは

それを手放す時なんだろうなと。

そういうタイミングなのかもしれません。

 

 

たいしたことがない人間で

中身のない人間で

そんな程度のことしかできない人間で

頭が悪い人間で

誰かのパクリだけで成り立っている人間

 

そういう自分であることを隠さずに

その自分に対して

 

バカにされるとか

「ショボっ!」って言われるとか

「たいしたことなかったね」って言われることとかを

避けない。

かかって来いや、です。

 

 

「誰からもイヤなことを言われない」

 

という現実を手放して

枠の外へと出ていく。

ある意味

ぬるま湯から出るってことだとも思います。

 

 

まあ

よくよく考えてみると

他人から

 

「たいしたことがない」

って言われることくらい

たいしたことないですからね。

 

 

別に

命まで奪われるわけでもない。

そもそも

ビビリ杉なんだわな(どんな杉だ)。

 

 

ということで

この僕の深掘りは

もう少し続くと思いますし、

 

「じゃあ、そこからどうするか?」

 

ということについても

このブログで

実況中継していくことになると思いますんで、

ぜひとも

お付き合いいただければと思います。

 

 

これが

プロのカウンセラーによる

セルフカウンセリングってやつですわ。

 

 

そもそも……

 

 

興味ないかもしれんけどね。

 

 

他人のセルフカウンセリングの過程なんて

興味ないわな。

 

 

知らんけど。

 

 

《終わり》

 

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