JR発足の頃 鉄道150周年に寄せて 国鉄からJRへ | 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

1987年4月1日JR各社発足
JRは1987(昭和62)年4月1日、日本国有鉄道を民営化することで発足した民間会社であり、今年の4月で35周年を迎えたことは,

皆さんもよくご存じのことと思います。

それまで全国一社体制であった国鉄は、1987年4月1日を以て、地域毎6社に分割された旅客会社と全国1本の貨物会社、それ以外に鉄道技術研究所がJR総研に、鉄道電話のシステムはJR通信、マルスなどの管理はJRシステム、更に新幹線保有機構と呼ばれる組織が新たに設置される分割民営化が実施されました。

元々の国鉄と言う組織は、「清算事業団」と言う名称に変更となり、JR各社に移籍できなかった人並びに、精算業務を行う組織として3年間の期間限定で設置されることとなりました。

民営化直前の和歌山駅、4番線・5番線ホームにJR西日本開業の飾りがなされているのが判るかと思います。

 

今回は、特にJR各社の誕生前後の話を中心にさせていただく予定にしております。
なお、JR貨物や新幹線保有機構に関しては次回以降に取り上げる予定としております。

 

4月1日の表情
国鉄職員にしてみれば、それまで公社職員という公務員に準じる待遇であったのが、4月1日からは、一会社員と言うことで、その身分の変更に大きな隔たりを感じた方。新会社に移籍できず、清算事業団に移籍された人もいたわけで、その気持ちは複雑であったことは容易に想像することが出来ます。
しかし、利用者にしてみれば時間通りに電車がやってきて利用できるか否かというのが大きなポイントであるわけです。
利用者にすれば、朝に乗車する通勤列車が時間通りに到着すれば何ら問題がないわけです。筆者は当時、和歌山に住んでおり最寄りの駅から電車に乗ろうとする多くの通勤客に混じって電車を待っていますと、いつもの時間通りに電車がやってきます。
昨日までと違うのは、運転士が制帽のあご紐をきちんと掛けていること。
運転台後ろに運転士の名前が書かれた名札が挿されていること。

列車の側面には昨日までなかったJRマークが貼付されていることなどの違いがありました。
これらJRマークは首都圏の一部の電車を除き、3月31日の深夜から早朝にかけて各電車区などで一斉の貼付がなされたそうで、他の私鉄などJR以外の路線がない気動車などを除き、JRマークが貼り付けされることとなっていました。

当初の申し合わせでは、JR各社のマークは白・グレーなどの無彩色と言うことで申し合わせが行われました。最もJR各社は独立した事業体ですので、各社の判断でその申しあわせに従わなくとも問題はないわけで。JR九州だけが発足当初からコーポレートカラーである赤色を採用し、一段と目立っていました。
それ以外は・・・と目配せしてみますと、JR西日本では運転士・車掌の氏名が書かれた名札が挟んであり、所属並びに氏名が記載されていましたが、肝心の制服はと言いますと、これまた国鉄時代の制服のまま、わずかに違うのは制服の襟に小さなJRマークのバッチが光っていただけでした。
一般の利用者からすればですので、国鉄からJRに変わったのだということは、JRマークが車両に入ったと言う程度の認識しかありませんでした。

 

新生JRでは制服はそのままだった?
新生JRが旧国鉄時代の制服のままで誕生したのでしょうか。
その理由には色々あるようですが、国鉄時代に大きな赤字決算を続けていた訳で、新会社に移行するにあたって制服を新製するには経費がかかりますので、赤字スタートが予想されるJRでは経費を少しでも浮かせるために、国鉄時代の制服を1年間使うこととしたという記事などもありましたが、国鉄改革法案の成立から4月までの期間が短かったたこともあり、制服の制定などは後回しになった結果、時間的にも難しかったからと言う意見もあるようです。
実際には、その両方であったかもしれませんが、新生JRにしてみれば約1年間の検討期間が出来たわけです。

翌年にはJR各社が一斉に新制服に切り替え
実際に、10月頃には各社の新制服のデザインが出揃うこととなり、各社の意向が大きく分かれることとなりました。
国鉄時代の制帽をそのまま踏襲したJR東海【初期の制服は、国鉄時代の制服に酷似していました】とは対照的に、国鉄の制帽からは大きく変化したJR東日本の制帽・制服、ケピ帽(ドゴール帽)を採用したJR九州、それまでの職制によりダブルとシングルを使い分けていたのをシングル1種類にするとともに、駅長などの指定職には袖の金線で区分するようにして合理化を図ったJR西日本など、各社の経営陣の判断で独自の制服が誕生することとなりました。
  JR各社の船出は、赤字国鉄からに脱却というマイナスイメージから出発したため、そのスタートは非常に地味で、JR旅客会社・JR貨物ともに制服についた小さなJRマークのバッチ以外は各社とも制服は同じ、JR東海だけが発足にあたり、JRマーク入りのネクタイを新調、それまでは職員の私費で購入していたネクタイを会社として統一した以外は国鉄時代と変更はありませんでした。

 

続く
 

*****************************************************************
取材・記事の執筆等はお気軽にお問い合わせください。
下記、入力フォームからお送りいただけると助かります。

http://jnrera.starfree.jp/contact.html


日本国有鉄道研究家・国鉄があった時代

 

 

*****************************************************************

この記事が気に入りましたらぜひ、クリックをお願いします。m(__)m


にほんブログ村

関連動画は以下の通りです。