平成前半はバブルと共に・・・
平成時代のイメージは、バブル景気という言葉が返ってくるような気がします。
私が郵政局に転用したのが昭和63年7月だったのですが、この頃就職期を迎えた学生は、内定を何社取るか競争なんて言う時代で、会社も引き抜かれないように、海外旅行プレゼントとか、今では考えられないような時代であり、金融関係では、新入社員のボーナスが100万円とか言われた時代でした。
郵便局でも貯金や保険の業務では、手当だけで何十万ともらって、ボーナスよりも通常の給料の方が多かったとか、給料袋が立ったとかと言う話が聞かれ、全体に浮かれている時代でした。
そんな中で、鉄道に関してバブル時代らしいなぁと思わせるのは、オリエント急行の日本運行でしょうか。
一般公開は10月24日からで、フジテレビとJR東日本の協力で実現できましたが、現在はまず無理なき書くであろうかと思います。
この時は、オリエント急行の控車としてナハネ23を改造した、オニ23とマニ50が利用されました。
オニ23 1 オリエント急行の控車として、ナハネフ23から改造された
リネン類などを保管する荷物車として、また控車としてマニ50から改造された
2両とも運転終了後は廃車になっています。
それに先立ち、7月には、 伊豆急行線 快速「リゾートライナー21」の格上げで、特急「リゾート踊り子」が運転を開始しています。
当初は普通電車として設計されたリゾート21でしたが、ここにきてJR線内直通特急に格上げになりました。
こうした成果が、その後 251系「スーパービュー踊り子」 に繋がって行ったと言えるでしょうか
リゾート踊り子号の文字が見えます。
1990年(平成2年)4月28日から営業運転を開始した、251系スーパービュー踊り子【通称SVO】
北斗星の成功を受けて、トワイライトエクスプレス登場 平成元年
昭和63年の青函トンネル開通で、北斗星がはくつる・ゆうづるとは別の寝台列車として登場
特に北海道は、寝台列車につけられたエンブレムと、改装された食堂車【当初は、定員40人であったが、2+1に変更して30人に変更】等魅力を高めていました。
その後、JR東日本も北海道に準じた車両に改装したようですね
JR西日本は、北海道は函館まで日本海を延長したものの、それ以上の延長運転は行いませんでした。
対北海道の旅客需要がどこまであるか、様子見をしていたものと思われます。
満を持して、JR西日本も7月21日からトワイライトエクスプレスの運転を開始しますが、実は食堂車だけは一足先に3月頃には落成しており、5月のゴールデンウィークには連結するとアナウンスされていました。
JR西日本 ダイナープレヤデス 画像 wikipedia
実際には、5月になっても食堂車は連結されることはありませんでした。
結果的に、新たな列車として育てられることになりました。
当初は団体扱いでしたが、その後臨時扱いの列車として一般発売されることとなり、JR西を代表する列車になっていたのはご存じのrとおりです。
トワイライトエクスプレス ロイヤル 画像 wikipedia
なお、この時に、ロイヤルを上回る列車として、スイートが設定され、走り去る車窓を眺めながら移動できるとして好評を博しました。
さらに、JR東日本では、横浜博覧会が開催され、ここに次世代寝台車の試作として夢空間
オハフ25 901「ラウンジカー」
オシ25 901「ダイニングカー」