和歌山電鉄が出来るまでのお話。第18話 (最終回) | 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

皆さまこんばんは、和歌山電鉄が出来るまでのお話ということで今回もお話をさせていただこうと思います。

長々と続いたお話もこれで最終回となります。

南海貴志川線の廃線問題は、行政からの働きかけや南海電鉄の協力などもあり、両備グループがその運営を任されることなりました。
このことは、存続運動に関わって来た人にしてみれば、本とのホッとした出来事でした。
もし、存続運動が失敗していたら、もしくは積極的な反対運動が起こらなかったら、貴志川線は廃止になっていたでしょうし、もしかしたら加太線も廃線になっていたかもしれません。

岡山電気軌道の礒野専務が和歌山に来られ、実質的に和歌山電鉄の社長として就任することになったわけで、私も早速ご挨拶に伺ったことはいまでも鮮明に覚えています。

 礒野専務の名刺は、岡山電気軌道を代表するMOMOを大きくあしらった名刺で、インパクトは大きくまた温厚な人柄はとても安心できる印象を与える方でした。

 その時の談話として、和歌山電鐵はで利益が出てもその利益をグループで吸い上げることなく、和歌山電鉄に還元するというお話でした。
 実際に両部グループはグループ会社ことに独立採算を強く求めており、当然といえば当然といえるのですが、その時はとても新鮮に感じられたものでした。
 ただ、住民からの私募によるファンドをWCAN側から提案したのですが、それについては辞退するとの申し出を受けました。

 あくまでも、「両備グループとして受けた以上は両備グループとして運営を行う」という強いスタンスがあったのです。

 その時は、ほんとうに大丈夫なのかなと?老婆心的な気持ちを持ったものですがその辺は鉄道運営のプロ、「餅は餅屋に」ということで、WCANのメンバーも納得
 ここに、WCANの中で非公式に検討されていた、ファンドの案は消えることとなりました。

こうして南海電鉄による廃線問題は一定の整理がつくこととなり、勝手連は自然解散的に消滅、「未来をつくる会」は、更に今後もその存続をということで沿線サポーターとして現在もその活躍を続けています。

私はというと、6月には20年程務めた郵便局を一身上の都合で退職することとするのですがそれは私にとっては苦難の始まりだったのですがそれはこのお話とは関係ないことなので割愛させていただきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

鉄道の情報は下記でもたくさんございます。

クリックをお願いします。


にほんブログ村