東海道新幹線 半生記の思い出 | 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

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福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。


みなさん、こんにちは。
東海道新幹線が1964年に開業して早いもので今年で50周年と言う節目を迎えることになりました。
思い起こせば、幼稚園だった子供がこんなオッサンになっている、そんな時代に新幹線が開業したわけで、その間に旅客輸送時における乗客死亡事故は0、の記録を更新続けているわけですが、国鉄時代は遅延‥遅延、架線故障に、線路ひび割れ‥‥・といった事故が多発していて多難な時代もありました。

そういった意味では、JR東海【アンチの人も多いと思いますが、10分置きに「のぞみ」を走らせつつ、元々220km/h程度までを想定していなかった路線で285km/hまで走らせることが出来る車両を開発したこと、現在も年間平均遅延時分が1分以内というのも誇っていいことでしょう。

ということで、東海道線について思いつくままに不定期に10月15日ころまで綴ってみたいと思います。

ドクターPCのお話をさせていただこうと思います。

「幸せの黄色い新幹線」電気軌道総合試験車というのが正式な名称で通称ドクターイエローなどと呼ばれていますよね。
270km/hの高速で走りながら軌道の状態などを検測していく車両でダイヤは非公開のはずなのに何故か撮影する人があとを絶たないとか・・・実は私は今年の1月に九州に出張に行った際に福山駅で見かけたのが最初でした。

それまでは。名前だけ知っているけど状態でした。(^^ゞ

そこで、今日の本題なんですけど。
最初の頃は軌道検測と信号検測は別の車両を使っていました。
ATS信号の検測などは0系試作車を改造した車両を活用し、軌道の狂いなどを把握するのは軌道試験車という車両がありました。

写真は保線wikiから引用
http://hosenwiki.com/index.php?title=921-1%E5%BD%A2


実はこの車両旧型客車を改造した東急車輛で製造された試験車両で、元々4001形と名乗る軌道試験車でm新幹線開業後は921形と名乗っていました。
その後浜松工場で、921-2が改造されましたが、921-1が自動車のエンジンを積んで低速であれば構内を運転できたのに対してこちらは完全に客車でした。

ただし、客車自体は200km/hでも運転しても問題はなかったのですが、機関車の最高速度が160km/hであったため、夜間での検測が中心となったこともはやむを得ないことでした。

昭和53年には東北新幹線開業に向けての試験車に供された後昭和55年に廃車になっています。