長年おつきあいしてたのに、依子嬢の名字は河地と書くとは気づかなかったMrs.。皆さんグーグルなどでサーチする時は、正しい字を入力して下さい。
なんて、日本のファンの皆さんはそんな事すでによくご存知でしょうけれど。
http://www.amazon.co.jp/P-FUNK-河地-依子/dp/4309272460
Mrs.がまだ独身だった頃、いつもPファンクのライブでお会いしていた依子嬢と急に親しくなれたのは、“あの事件”のおかげ。
はい、禁断の“あの事件”について、今日は書く事にしましょう。
依子嬢の著書“P-Funk”の中にも出てきましたが、ローラパルーザの頃、彼女がジョージの家を訪ねた事がありました。
事件は、その時起きたんです。
このジョージのお宅訪問は日本の雑誌に掲載されたので、読まれた方もたくさんいらっしゃるでしょう。
その時、事もあろうに、おそらくメンバーかスタッフか、誰かが彼女にブラックバードはジョージのお嬢さんと結婚したと言ったらしいのです。そりゃ、メンバーからそう聞けば、誰だってそうだと思いますよね。
ええ、日本にいたMrs.は、もうびっくり仰天ですよ。
でもね、もう全然記憶が無いんです。雑誌を見たのか、人から聞いたのか・・・。
雨ふって地固まるとはこの事でしょう。
その後、結構すぐにPファンクが来日して、依子嬢にお会いしたら、本当に恐縮されてて、こちらが申し訳なかったくらい。
ブラックバードがその時言った言葉を今でも覚えています。
“僕が結婚するのはこの人だけだ。”
その宣言通り、夫婦になった我が家。誰よりも喜んでくれた人の一人が依ちゃん。結婚して最初の来日の時、お祝いの花束を持って会いに来てくれた。
花嫁さんのブーケみたいで、とても嬉しかった。
と言う事で、古くからのファンクファンの方達、Mrs.が日本人って、ジョージの娘はどうなったんだ?と言う疑問、解けましたか?
Mrs.と結婚する様に強く強くブラックバードに奨めてくれたのは、他でもない総帥ジョージ・クリントンですしね。
正確に言うとジョージの家に当時住んでいたのは奥様ステファニーのお嬢さんで、Mrs.がミシガンに渡った頃は、ジョージの甥っ子と付き合っていて、お二人の間には1歳半くらいの女の子がいましたね。同時期にブラックバードはジョージの依頼で、LAの家はそのままにジョージの家でレコーディングに明け暮れていたため、いろんな話がごちゃまぜになってしまったのでしょう。
今の私達があるのも、“あの事件”のおかげ、とても懐かしい話です。