8月25日。
その日は主治医からの術前説明と、
麻酔科の簡単な診察のため病院へ向かった。
職場から駆けつける主人と病院の待合で落ち合う約束をして。
麻酔科の受付に着いたら、先に主治医から話があるとの事。
ザワザワした。
首の後ろがむず痒くなるような何とも言えない感覚。
あの乳頭腫とわかる前までのあてどない不安が甦る。
少し遅れてきた主人はあまり気にも止めない様子だけれど。
しばらくするといつもとは違う診察室に呼ばれた。
主治医の診察は午後からで先生は手術中との事だったのだけれど、
急いで診察室に来たのか、
いつもの白衣とは違う青い手術室用みたいな格好をしていた。
主治医の他に看護師が二人。
その内の1人は初めてこの病院に来た時に顔を合わせていた乳がん患者専門のナースだった。
そしてカーテン越しに、誰かが私達の会話を記録するようなキーボードの音。
私のなかでの実質的な告知はこの日だった。
MRIの画像があまり良くない。
でも最近のMRIは精度が良すぎて擬陽性も多い。
造影剤のグラフの上がり方が怪しい。
この画像からだと良性でもマージンを大きく取らなくてはいけない。
つまり摘出部分が大きくなる。
脇の方まで広がってきてるようにも見える。
もっと多くの細胞を取る検査をしましょう。
先生の話は聞こえてた。
理解もしてた。
先生のマウスをスクロールする指ばかり見ていた。
手に持ったバックが重く感じる。
手が痺れてきたけどなんで?
このあと仕事に行くのにな。
自分の意識とは別の所で話をされてるように、私は体の感覚が鈍くなり、後ろに倒れた。
そこには看護師の方が居て、私を支えてくれていた。
あぁ。
この乳がん専門の看護師さん居るだけで告知じゃん。
内心そう思った。
後から聞いた話では先生も想定外の結果だったから、
専門の看護師の方にフォローしてもらえるようにとの事だけど。
逆に怖かったわ。
主人は冷静に先生に指示を仰いでいた。
検査を受けるしかない。
まだ癌と決まったわけではない。
でも胸がざわつくなんて騒ぎじゃない。
私はこの日の事をとても鮮明に覚えている。
先生の顔も。
いつも冷静な先生がちょっと想定外だと言ったことも。
慎重を通り越し、神妙な面持ちも。
青ざめる私にまだ分からないと言ったことも。
ナースに子供は産めるのかと聞いたことも。
主人に抱えられて診察室を出たことも。
あの診察室の空間すべてが重かったことも。
やけにリアルでクリアに記憶している。
上から自分を見てるみたいに冷静な私と、
消えてなくなりたい位に怖がる私と、
夢であってほしいと願う私。
たくさんの感情が集まった日だった。
あれが私の実質的な告知だった。
あの日があったから私は冷静に受け止められた。
はー。
今思い出しても怖い。
人って何か分からない事が本当に怖いんだと思う。
実体験、実体、経験。
感覚とかに頼って生きてるから。
暗闇も先が見えないから怖い。
癌も経験してないから怖い。
むしろ一生経験なんてしたくなかったし。
でもなってしまったからには忘れたくない。
エピソード記憶がやたらといい私は、
いつもくだらなくて忘れてしまえば楽な感情まで引きずってしまうけど。
この日の記憶は下らなくなんてない。
いつか私の糧になる。
私は絶対強くなる。