手術決断の理由 | 強いことは優しいこと。

強いことは優しいこと。

2017年34歳で乳がんになった私の思うこと。
徒然なるままに。
日々変わるであろう私の気持ちと、変わらないで欲しい普通の毎日を。

乳管内乳頭腫。

あくまでも良性の腫瘍だけれど、

私は手術で切るか、

半年ごとの経過観察かの選択肢を与えてもらった。

 

心の中で答えは出ていた。

切る。

 

私は高校生のころから生理痛が酷かった。

10代から不正出血で婦人科に罹り、20代の半ばまで定期的に検診も受けていた。

しかしその病院の先生はろくに内診もせずに私にホルモン剤を与え続けた。

不正出血に加え腹部の鈍痛も続き、病院を受診した時にその医師は大きな病院へ行ってくださいと言った。

結果、通常は親指位の大きさであるはずの卵巣が12センチにまで肥大。

衝撃で破裂もあり得るといわれ手術を勧められた。

MRIも行い子宮内膜症と診断されたが、手術直前で私は手術自体をキャンセルした。

 

理由は体に傷をつけたくないから。

傷はかさぶたやケロイドになる。

では内臓は?

きっと同じであろう。

一度でも人の手が加わってしまったらきっと何らかの跡が残るはず。

目に見えない箇所に。

腹腔鏡で行われる手術。傷は鉛筆ほどの大きさが3箇所と説明された。

でも嫌だった。

 

今思っても中々な理由でキャンセルしたと思う。

でも後悔は無いし、その後は低用量ピルを服用しながら、

東洋医学にも頼り長い期間をかけて卵巣のサイズをほぼ普通の人の大きさにまで戻した。

今でも私を診察してくれている婦人科の先生は、私のわがままなオペのキャンセルにも嫌な顔ひとつせずに違う方法である低用量ピルを提案してくれた。

先生ありがとう。

それと困らせてごめんなさい(笑)

 

今回も東洋医学についてはもちろん考えたけれど、

でも今回は当時と大きく違うことがあった。

主人がいる。

共に生きてくと誓い、できる限り長く一緒に過ごしたいと思い合える最愛の人がいる。

 

私のエゴで、体を傷をつけたくないんなんて言えない。

きっと彼は困った顔をしながら私の意見を尊重する。

 

でもグレーの先に見えるものがブラックだったときは?

 

困った顔では済まない。

困らせた挙句に悲しませ、心配を重ねさせる。

そんなために結婚したんじゃない。

 

2人で笑顔でいるために結婚したんだ。

同じ空を見て同じように綺麗と思える彼と。

同じタイミングで同じことを思える人が、

お互いに一緒にいたいと願うなんて奇跡のもと結婚したんだ。

 

迷いがなかったといえば嘘になるけど、

将来が少しでもグレーの結果によって曇らないための決断ならそんなに怖くはなかったかな。