ロバート・ローズ②~横浜で咲いた一輪の薔薇~ | 野球とか、ぼちぼちと。

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前回からのつづきである。

 

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1998年、ローズは珍しく開幕から調子が上がらずにいた。5月を終えて打率はまさかの.256に2本塁打。7月に入っても上昇気配は無く、打率.270 5本塁打と薔薇はしおれたままであった。

しかし本格的な夏の始まりと共に、横浜ベイスターズが誇る「マシンガン打線」も熱を帯び始める。

7月8日の阪神戦(大阪D)から26日の阪神戦(甲子園)にかけて破竹の11連勝。この間8日の阪神戦を除いて得点が全て6以上、2桁得点は5度という爆発ぶりであった。

ローズもこの勢いに乗じて調子を上げていき、連勝が終わる頃には打率.317 10本塁打といつもの打撃を取り戻していた【連勝中:打率.491(53-26) 5本塁打 18打点】。

7月以降投打が嚙み合ったベイスターズは中日・読売との首位争いに競り勝ち10月8日の阪神戦(甲子園)に勝利し、見事38年ぶりのリーグ優勝を成し遂げる。ローズも最終的には打率.325(リーグ5位)19本塁打 96打点(リーグ2位)といつもの頼れる主砲に完全に戻っていたのである。そして日本シリーズも勢いそのままに4勝2敗で西武を降し、こちらも38年ぶりの日本一に輝くのであった【ローズは6戦で打率.190(21-4) 1本塁打 5打点】。

 

そして99年、ローズの打撃は満開を迎える事となる。4月を打率.375 8本塁打と快調なスタートを切ると、6月30日の広島戦(富山)で史上初の3度目のサイクル安打を達成。7月22日のヤクルト戦(横浜)ではセ・リーグタイ記録の10打点をマークするなど前半戦を打率.389 27本塁打 100打点という驚異的な成績で終了した。

2年ぶりの出場となったオールスターゲームでも勢いは止まらない。第2戦(甲子園)では3安打6打点の大活躍。あわやサイクル安打と打ちまくったローズは初のMVPを受賞した。この日は愛息のコーディー君をベンチ入りさせており「息子が幸運を運んでくれた」とニコニコのローズパパであった。

後半戦に入りやや勢いが衰えたものの打率.369 37本塁打 153打点でシーズンを終えたローズ。打率は右打者の歴代1位(当時)、153打点は歴代2位の数字と球史に残る1年となった。

翌2000年、流石に前年程の成績は挙げられなかったもののそれでも打率.332 21本塁打 97打点の好成績で終える。しかしこれが横浜との最後のシーズンとなった。

原因は契約面であった。来日時の年俸は3750万円、そして活躍を続けたローズのそれは00年には3億4000万円までに上昇していた。ローズは1億以上アップの5億を要求したとされるが、ダウン提示をしたとされる球団側との折り合いは最後まで付かず。横浜を退団する事となった。

実は99年にも6月に「引退宣言」をしていたローズ。理由は「家族と一緒に過ごす時間が欲しい」という事であった。その時は尊敬する権藤監督やチームメイトからも引き止められ最終的には宣言を撤回し残留している。しかしこの時には権藤監督も辞任、そして条件面において最後まで球団側との溝は埋まらなかったのである。

その後、読売や阪神といった国内他球団やメジャーも巻き込んだ争奪戦に一時は発展したが結局ローズの要求に応えられる所は現れず。歴代最強クラスの外国人選手の去り際は実にあっけないものとなった。

 

それから2年後、驚くべきニュースが飛び込む。ローズが日本球界に復帰するというのだ。千葉ロッテマリーンズが1年契約・年俸8000万円・背番号「4」の条件で獲得を発表した。

この帰還に当時の私は(心の中で)歓声を上げた。横浜を退団後はどの球団にも属しておらず高校でコーチを務め実戦から遠ざかっていたという点に若干の不安はあったが、薔薇は再び日本で大輪の花を咲かせる、そう信じて疑わなかった。

しかし小さな希望はすぐに打ち砕かれた。2月19日、ローズは「野球に対する情熱が無くなった」という言葉を残し、退団する。再びの来日から僅か28日後の事であった。

当時は非常に残念であったが、今考えるとこの結果はまだマシな方だったのかもしれない。2年のブランク・3月には36歳になる年齢…このまま開幕してシーズンを過ごしたとしても、横浜時代の成績は勿論の事、大不振でシーズンを過ごし周囲から心無い罵声を浴びていたかもしれない。朽ち果て、落ちていく薔薇…それを見ずに済んだのはある意味では幸せだったのかもしれない…今ではそう考えている(その後やって来たホセ・フェルナンデスが日本で大活躍したから、というのもあるだろう)。

 

今度は完全に引退したローズ、そして現在はマイナーリーグで打撃コーチを務めている。2012年にはベイスターズのイベントの出席するために来日し、ファンに元気な姿を見せてくれた。

メディアの取材時には「日本からオファーがあればぜひコーチをしたい」とも語っているローズ。リップサービスなのかもしれないが…かつて日本で大輪の華を咲かせた男が、今度は肥料をやり、水をやって選手の才能を開花させる指導者となる姿を再び日本で…私はほんの少し、ほんの少しだけそうなる事を期待している。

 

 

(参考文献)

『オールスターゲームの軌跡』ベースボール・マガジン社 2001

『日本プロ野球 助っ人外人ぶる~す』ぶんか社 2006

『週刊ベースボール別冊 空風号』ベースボール・マガジン社 2021

『ベースボールマガジン6月号 1993~2011 横浜ベイスターズ盛衰記』

ベースボール・マガジン社 2022

 

(参考サイト)

日本プロ野球記録:ロバート ローズ (2689web.com)

日本野球機構:1998年度日本シリーズ 試合結果 | NPB.jp 日本野球機構

 

【6月30日】1999年(平11) 史上初!横浜最強助っ人3度目のサイクルヒット!― スポニチ Sponichi Annex 野球 (archive.org)

 

(敬称略、年俸の金額は推定)