こんなものを買ってみた。
満鉄が誇る夢の超特急・あじあ号です。
憧れるなあ〜
昔から日本人が大陸に憧れるのは遺伝的にモンゴル系統だからという説があります。
古くは源義経が落ち延びて蒙古に渡った説とか。
新選組の原田左之助も死んだんじゃなくて大陸に渡って馬賊になったとかいう伝説もあったな。(嘘っぽいが)
鬼島軍曹も満州の馬賊になってたしな。(これははいからさんが通るというマンガの話)
ご先祖様から受け継いだDNAが大陸に呼ばれるのだろうか・・・
※都市伝説級のヨタ話です
この本は実際の満鉄時刻表が掲載されているのと、満鉄の歴史や技術に関する解説があって
大変ロマン溢れる本でした
時刻表によると満州に渡るにはいくつかルートがあって、その中に新潟港ルートもあったらしい。
新潟港発だと羅津(現在は北朝鮮?)に着なのですね。そこから鉄道で吉林を通って新京に到着します。
東京から行こうとすると上野〜新潟〜羅津〜新京ルートか。
でも多分、主要ルートとしては下関から釜山に渡るか、門司港から大連まで行くかのどちらかという気がします。神戸から乗るという手もあるのか。
などと、しょうもないことを勝手に想像して楽しむひととき・・・
本には小説的に、東京からハルビンまで三井物産の商社マンが出張に行く様子が再現されていて楽しく読みました。臨場感たっぷり。
もともと南満州鉄道は、日露戦争後のポーツマス条約によってロシアから日本が得た戦利品です。
ロシアが清国から租借していた東清鉄道南部支線を譲り受け、当時の日本政府が明治40年に国策会社「南満州鉄道株式会社」を設立したのが始まり。
最初に満鉄が陸軍から業務を引き継いだ時、線路幅は本土の鉄道と同じく狭軌の3フィート6インチに替えられていました。陸軍が接収後に変えちゃってたんですね。しかしこれでは他の鉄道との接続やスピードアップが図れないとして、線路幅を国際標準の広軌4フィート8インチ半に取り替えます。これは現在の新幹線と同じゲージとのこと。
「あじあ」を設計したのは満鉄内でキング・オブ・ロコモとの異名をとる吉野信太郎という人らしい。
完成した「あじあ」は6両編成で、冷暖房完備、一等車の座席は絹張りダブルクッションの回転椅子で書棚とテーブルが置かれるという豪華さです。これが最高時速130キロで新京〜大連間を8時間30分で結ぶ超特急だったというのだから、当時の日本人の憧れやいかばかりか。
もちろん食堂車もあって、メニューで好評だったのが「あじあカクテル」だそうです。
スカーレットとグリーンの2種類があったそうなのですが、レシピが遺っていないのでどんなものだったのか今ではわからない幻のカクテルとのこと。
ウワ〜素敵すぎる!
これどっかから資料が見つからないかな・・・
「あじあ」の車両は、今も中国・大連に残っているみたいです。
パッと見、グロテスクな車体なのですが・・・
この線形が高速走行を可能にしているのもあったのでしょうな。よく見ると、カッコイイ〜〜と思えてくる。
当時はいわゆる「欧亜連路線」がダイレクトに結んでいて、日本・朝鮮・満州・ソ連の共同運行が実現していました。満鉄からシベリア鉄道に乗り換え、最後はパリまで行けるルートが整っていたということです。この切符が東京駅で買えたなんて、なんか今よりも便利っぽく思えるのはわたしだけでしょうか。
運賃は、東京からハルビンまで乗車券76円33銭、特急券と寝台券を合わせて23円80銭、通行税1円50銭。この当時のサラリーマンの平均月収が50円ということだから・・・やっぱり相当お高い。が、まあお金を貯めれば行けなくもない。
いや。行けないが・・・一生行けないが・・・
くそう!!
そういえば、新京(長春)にあった関東軍司令部は、今では吉林省共産党本部になっているらしいです。
日本の天守閣が乗っかってるっぽいデザインの建物なんですね。中国の方にとっては嫌な思いがあるだろうに、ブッ壊さなかったのか・・・
これ、当時の満州観光バスの広告です。
「旅順戦跡巡拝バス」に乗ってみたい。
奉天観光バスもいい。
大越中佐自刃ノ地。明朗ガイドガール付き。