米沢へのプチ旅行。
楽しみにしていた特別展、
「上杉茂憲
最後の藩主と米沢士族」
に行ってまいりました
まずは米沢城址である上杉神社にお参りです。
「毘」の文字が翻っているのを見ると、いつでもテンション上がりますな〜
ん?
なんか今日は、いつもと雰囲気が違う人びとがいらっしゃるような・・・
ガチなコスプレをしてる人とか、ロリータなお嬢さん達とか。
どうやら、米沢上杉博物館で展示している名刀「五虎退」で、刀剣乱舞とコラボしてイベントとかあるらしいんですね。グッズも売っていたな。
が残念ながら、わたしは刀剣乱舞は全然わからないのだ。
さてさて、来ました。
上杉茂憲は、米沢藩の最後の殿様です。
藩主で実権を握っていたのは父上の上杉斉憲さまですが、戊辰戦争の責任をとって父上が隠居されてのち、廃藩置県までの間の最後の藩主となりました。
今日はギャラリートーク目指してきました。学芸員さんの解説がとっても面白くてためになるので、ギャラリートークはおすすめです。
それによると、上杉茂憲をテーマにした企画展は初めてとのこと。これは貴重な機会です。
ちなみに上杉茂憲さまのご正室は、美濃高須家から嫁いでこられた幸姫さまです。
松平容保公や松平定敬公のごきょうだいです。
こちらがお写真です。
上杉家には写真がたくさん、丁寧に保存されているんですよね。
当時の技術なので不鮮明ですが、ようく見ると、定敬さまによく似ているような気がする。(二人は同腹なので)
(館内は撮影禁止だったので、ブログに載せている写真は購入した図録から撮っています)
茂憲さまは上杉家の側室長男で、幼少期から後継として育てられたので、なんかホンワカしたお坊ちゃまのような印象を受けました。エピソードがいちいち可愛いんですね。
↓こちらは茂憲さまが京都警護のために上洛していた時に、自分で書いて母に送っていた日記。
絵心ありますよねー
書いてある中身は、「京都への道中は運動するので朝飯を三杯食べた」とか「剣術の稽古をしてひどくたたかれた」とか、ほんとホンワカ。それにしても若殿さまなのに家臣は容赦しないんだな。
↓これこれ!!
奥羽列藩同盟の
盟約書?!
(※まだ越は入ってないので)
個人的に大興奮です。
こんな第一級トップ資料の本物が見られるなんて!素敵!
「尊王と人民の保護、皇国の維持のため大義を天下に示し信義を重視する」って書いてありますわな。賊でもなんでもないのだが。
まあ列藩同盟は結果的に水泡に帰してしまうのだけど・・・
一つ、とっても勉強になったことがありまして。
よく、「東軍は西軍に比べて兵器の性能に圧倒的な差があった」って言われますけど、米沢藩に関しては細かく調べて分析してみると、
装備の面では、西軍に見劣りしない
んだそうです。
最新式銃のスペンサー銃(山本八重さんが持ってたやつ)も、200〜300くらいあったんじゃないかと言われていて、「米沢の元込隊」と言われる精鋭だったそうです。
そうなのね〜〜
んーと、じゃあ何で負けちゃったのかな・・・
まあ、装備だけではなくて軍制とか色々追いついてないところもあったんだろうし、各藩ごちゃ混ぜ部隊で戦ってるんだしね。
やっぱり新潟港を抑えられたのは痛かったんだろうな。
それと米沢藩って、比較的早くに西軍に降伏謝罪して、逆に攻撃側に回ったりしたから、「このちゃっかり裏切り者めェ」とイラッとする気が起きなくもないが(特に会津・長岡・二本松など最後まで抗ってボロ負けさせられた藩からしてみれば)やはり降伏時は、武士として死ぬほどの恥辱を受けたことは確かだったということかな。それが、文書として遺っているのね。
茂憲さまは越後との境にある前線まで出陣してたり、降伏後は庄内征討の先鋒になってたりして、意外にあっちゃこっちゃ危険なとこに行かされてる。大丈夫だったんですか・・・
(若殿なのに!人使い荒い!!)
陣中で茂憲さまが詠んだ七言絶句があって、かつて同盟を結んでいた庄内を攻める悲痛な気持ちが吐露されており涙を誘うのですが、これがわりと自分お気に入りの漢詩になったらしく、茂憲さまの代表作として漢詩集に収録されたとのこと。
こういうとこがお坊っちゃまというか、なんか大らかで物事にこだわらない人だな・・・
さて戊辰戦争が終わって、明治のお話。
おお。
こんなとこで大久保利通に出会うとは思わなかった。
これはどでかい絵画なんですけど、大久保利通と上杉鷹山が対になって並べられている。
この二枚が対になることに意味があるのですって。
へええええ〜〜〜
両方とも米沢の繁栄に寄与した人物です。絵画は、そこに描かれた意味があり、見る人の想像をかき立てるものなんですね。ああなんか、とても楽しい時間を過ごしました。
お土産です。
もなかクッキー「景虎」かわいい。
こちら、郷土料理の「塩引寿司」
富山のます寿司みたいな食感だった。
〜おまけ〜
帰り道。
米沢の高国寺に、新選組・近藤勇さんのお首が埋葬されているという噂があり・・・
看板を見ると、いとこの近藤金太郎さんがたまたま上京したおり、板橋で処刑された近藤さんの首をひそかに持ち去ったと書いてありますが、本当なんでしょうか。
真相は、一体どこに眠っておられるのでしょう。