会津藩の本、読みました。中村彰彦さん著です。
これは江戸時代の中期、会津藩主でいえば五代松平容頌さまの時代。主人公は、それに仕えた名家老・田中玄宰(たなかはるなか)です。
おそらく地元では有名な人物で、特に会津藩校日新館に行くとその名を聞きます。田中玄宰は日新館の創設者なので。
↓これ、日新館で買ったマンガ。(昭和的劇画調)
唇の血色が悪いなあ・・・
この頃の会津藩は、というか日本は異常気象でかなり大変だったらしいのですね。
有名な「天明の大飢饉」が起こっています。
のみならず、浅間山の大噴火とか大洪水が続き、長期にわたる農作物の不作が起こりました。
この時代ヤッバイですよ。怖すぎて震える
どうやらこの時代(1780年代)は、地球そのものが「小氷河期」とも言える異常気象で、日本だけじゃなかったらしい。
ヨーロッパもかつてなかったような厳冬となり、1789年に起きたフランス革命はこの冷害による凍死者・餓死者が発端だったとか。
なるほどね。
天明の大飢饉は江戸時代で最大級と言われますから、相当悲惨だったんでしょう。この時代に会津藩家老として数々の対策でピンチを乗り切ったのが田中玄宰です。
会津藩は初代保科正之の時代から社倉米というのがありまして、飢饉の時は領民に放出していました。対応に苦慮した藩が多い中、比較的賢明な藩政をしていたみたいです。
けれども困窮による離散や間引きによる人口減少で田畑は荒れ、産業は乏しく、犯罪が相次ぐなど藩風も乱れていました。
未来に希望が見えないと、人間はこうなりますよね。
しかも藩の借金が57万両・・・
さあここから田中玄宰がどう会津藩を建て直して行くのか?!
これが読みどころです。
長い長い物語。だいぶ読み終えるのが大変でした
謹厳実直な会津の藩風がそうだったのかもしれませんが、ド真面目人間の集まりですな・・・
あっちもこっちも優等生すぎます。なんでこんなに清貧でいられるのか。殿様の容頌さまがそういう人だからな。
ちなみに、有名な「什の掟」はこの頃につくられています。
そして日新館の教科書として使われることになる「日新館童子訓」これ、殿がおん自ら書いたものだったのか。
ある意味、この主従コンビ(松平容頌&田中玄宰)が幕末会津藩の悲劇の源になっているという・・・
でも様々な産業振興の祖であるので、大功労者だと思いました。
郷土料理である鯉の煮付けも、この時に会津に根付いたのか。それまで会津に鯉は泳いでいなかったらしい。海がなくて魚が獲れないので、タンパク源があまりなくて藩士は全体的に体が小さかったらしい。
そうだったのか?!
昔は、生活とは飢えないための戦いだったんだな。
ねてる・・・
こいつは絶対に自分のことを人間だと思っています。