小諸城と島崎藤村 | あだちたろうのパラノイアな本棚

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読書感想文、映画感想、日々のつぶやきなどなど。ジャンルにこだわりはありませんが、何故かスリルショックサスペンスが多め。

今日のお出かけは長野県の小諸城址です〜〜

 

昨日もだけど、久々にスッキリ晴れて暑かったですね。

行楽シーズンなのか、道も施設も前よりも混んでる気がする。まだコロナ無くなってないとはいえ、いいことだ。

 

 

小諸城は歴史の変遷があって、いろんな角度で見所があるのです。(行ってみて初めてわかったのだが・・・)

 

まず有名なのが戦国時代の武田軍ですかね。

山本勘助が改修・縄張りした城らしいです。

 

小諸城は城が城下町よりも低い、「穴城」とのこと。

(穴城って初めて聞いたわ)

 

↓こちらが大手門。

 

 

大手門の二階のところが博物館になっているので訪問しました。小さいんだけど無料だし、見るべし。

 

 

↓小諸駅で発見。そうか、小諸は島崎藤村ゆかりの地でもあるのね。

藤村博物館、後で行ってみようと思いワクワクする。

 

 

現在のお城は「懐古園」という名の公園になっていて、ちっちゃいけれど遊園地とか動物園とかも併設されている。

何気なく来てみましたが、1日つぶせるくらいの観光地だった。

 

↓「懐古園」の文字は徳川家達の書だそうです。

 

 

この小諸城、関ヶ原の戦いの時に、徳川秀忠が真田軍に足止めをくらった曰く付きの場所。徳川軍の本陣だったそうで、二の丸跡に石碑がありました。

 

このせいで関ヶ原の戦いに間に合わず、お父上に怒られちゃった秀忠さん可哀想・・・

 

 

こんな看板も。

 

 

御城印いただきました。

 

 

御城印は懐古園敷地内にある、懐古神社にて購入できます。

お参りしました。

 

 

これは懐古神社の御朱印。

 

 

懐古神社の脇に、「鏡石」があります。

これ、山本勘助が愛用したということ・・・だが?

愛用って?

 

顔が映るくらいピカピカに磨かれているのですが、もしやこれで山本勘助が毎朝身だしなみチェックしてたとか??

もしくは「鏡よ鏡・・・」みたいな?

 

ちょっと可愛い図を想像してしまった笑

 

実際は、軍略を練る時の自分の心理状態とかコンディションチェックとかだったんですかね。

 

 

小諸城は徳川幕府になってから牧野家が藩主になったので、長岡藩と同じ五段梯子の印が書いてあります。写真は武器庫にあった大砲。

 

 

さて、島崎藤村エリアに来ました。

 

藤村の詩碑がありました。

 

 

こちらが藤村記念館です。城址の敷地内にあります。

 

 

胸像。

なんか写真よりも老けてる感じがするんだけど。

 

 

なぜ小諸にゆかりがあるかというと、木村熊二の経営する小諸義塾に国語と英語の教師として島崎藤村が赴任したからなのですね。

 

記念館の展示物は、藤村著作の初版本や愛用の品、同僚や生徒、家族との写真など。

 

島崎こま子さんの写真もありました・・・(『新生』のモデル)

 

何となくですが、小諸時代は非常にのびのびと暮らしていたような印象を受けました。

最初に赴任した明治女学校では生徒との恋愛沙汰なんか起こしてあんまり人生うまくいってなかったらしいですが、小諸義塾ではだいぶ教師としてこなれてきたところで、安定感を感じます。

 

(この人は基本的に恋愛体質なんだろうか・・・作家たるものそういうもんなのかな)

 

藤村の自筆文字はキレイに整っていて、几帳面さというか神経質っぽいところもあるのかなと想像。

 

↓せっかくだから記念館で本を購入しました。

『千曲川のスケッチ』、小説というよりエッセイみたいな感じらしいけど、そのうち読んでみようと思います。

 

 

 

帰りに偶然、道端に武田信繁(信玄の弟)のお墓を発見。

 

 

この方も山本勘助同様、第四次川中島の戦いで上杉軍にやられてしまった。

 

典厩寺の墓所に埋葬されているのは胴体で、お首はこのお墓にあるとのこと。

 

 

山本勘助のお墓もそうなんだけど・・・普通の畑の中にひっそりあるんだな。

地元の人に見守られながら静かに眠っている感じがして、それもいいかなと思います。

 

意外にも観光どころ盛りだくさんな小諸の地でありました。