その若者が、渡海に成功した場合は、
彼に職人を贈り、また財物を与える。
もし、災難にあい、渡海に失敗した場合は、
彼は不謹慎とみなし、ただちに殺す。
その土地は、真珠、瑪瑙(メノウ)や翡翠(ヒスイ)があり、
山では赤土(nenndo)がとれる。
樹木は、クスノキ、クヌギ、クス、モチノキ、紅葉があり、
竹林もあり、種類は大ダケ、小ダケとがある。
しょうが、コウジみかん、こしょう、みょうが、があるが、
使い方をしらねえ・・・。
ケツの赤い猿、黒キジはいる。
行事を決める時は、ボクセンで良し、悪しを決めるねん。
亀の甲羅や骨を火であぶり、裂け目をみて占なう。
その結果は「辞」(言葉に変えてって意味よん)として、皆へ伝わる。
年齢、男女区別なく、皆、酒をたしなむ。
目上の人を見かけると敬するもので、地に手の平、膝をつけて、
ただ、ひたすらに拝む。
人の寿命は80あるいは90才、長くても100才。
風習は、身分の高い人で、4、5人の婦人を持つ。
身分の低い人でも2、3人の婦人がいる(多妻制やね)。
婦人は淫らやかではなく、過度に嫉妬もしない。
亭主が窃盗や、法を犯した場合、軽き者でも妻子没収、
重き者は一族を皆殺しにする。
その家柄によって、格差があり、
低い身分の家は、高い家の「臣」となり属す。
税収する邸閣があり、市場で物資の取引が行われる時は
役人がこれを監視する。
女王の管轄する範囲では、一大卒を設け、諸国はこれを恐れる。
この一大卒は、常に糸に置く。
和王が中国へ献上し、そのお返しに天子が詔文・下賜品を発し、
それを使者が韓国の仕官へ、仕官の使者がそれをもって
来訪した時は、皆、浜辺にやってきてチェックし、
それを女王の元へ送る。
身分の高い者が道を歩く時、身分の低い者は道をあけ
草むらの中に身を隠す。
又は、地に両手・膝をつけて、身分の高い人が通り過ぎるのを待つ。
返事はアイッ!と言う、承諾の如しダネ。
その俗習、四季を知らず、夏と冬による二期で年季を数える。
その国は、もともと男子を王としていたが、
70~80年が経ち、乱れ、人々は争うように殺し合う。
そこで、一人の女子を王に立てようやくおさまる。
名を日御子という。
あやしい呪文をし、民をだます。
年すでに長けて、夫などはいない。
弟が姉を助けて国を治める。
王となってからは、その姿を観たものは少なく、
約1000人の巫女が彼女を守衛する。
唯一、一人の男が彼女の飲食物を届ける。
居す王宮は、物見やぐら(高台)、楼閣がある、厳かに柵を設け、兵をもって守る。
その国を東に渡ると1000里で同胞の国へ。
その南にシュジュがあり、そこの人々は、身長3,4丈しか無い。
ここまで女王の国から4000里。
また、裸の国があり、黒い歯(おはぐろ)の国もその東にある。
往復すると船で1年ぐらいかかる。
和へおとづれて散策するが、海の中に島があり、
島々が連なって、一周5000里ぐらい。
ケイショ2年6月、その国の女王がたいふのナトメを遣わしてくる。
その12月、天子は詔を発する。
『今、なむじを和の王として認める。
韓国の仕官にナトメ以下、副のトシギュウリ、技術者10名、
蚕で縫った着物2つをよくぞ届けてくれた。
遥々、遠い、そなたの国から届けてくれたなむじを思うと、
感極まって涙がでる。
その御礼として、そなたを親魏倭王とし金印をこん包し、
韓国へいったん預けそなたに与える。
そなたの使者はよく、遠くまで律儀に届けてくれたお礼として、
ナトメを率善中郎將、ギュウリを率善校尉とし、
銀印を与えるから、そなたからもよく言ってくれ。
いま、交龍の絹でできた着物5個、毛織のじゅうたん10個、
植物の赤い染料50個、なむじの献上品の答礼として使者から直に渡そうと思う。
又、なむじには特別に
絹織物を3個、毛織り敷物を5個、白い生絹を50個、金8両、
五尺刀を2個、銅鏡を100枚、真珠、鉛丹(薬や顔料、さび止め)
各50を全て装い、ナトメ、ギュウリに預けるので帰還しだい
書きしるした文書と照らし合わせて受けとってほしい。
この品物の数々を国中の人々に示し、
わたしがなむじを愛しく思ってることを知らせる為に、
汝の好む品物を下賜することにした。』
次の年、韓国の士官は、使者に詔文と金印を持たせ、その国に至る。
王と会い、詔書とともに金、絹、錦の毛織りの敷物、刀、鏡、
木の実や果実をとったものを賜る。
そこで和王、上表を作り、使者を使って感謝の気持ちと礼で答える。
その3年後、和王は、また、使者のたいふのイカガ等八人を遣わし、
技術者、錦、青色の生絹、綿製の衣服、絹の布、
赤い鉱産物(薬や絵の具)、木製の狩具、短い弓矢を献上し、
彼等も率善中郎將として銀印を授けられる。
その2年後、ナトメに黄色い軍旗(魏の軍団と言う証)を授ける。
その2年後、韓国の仕官オウキが着任した時に、もともと不仲だった
クナ国の王クコチヒクとの相攻撃する現状を報告する。
チョウセイ等は、詔文、黄色い軍旗をもって、これをナトメに渡し、
激励を言う。
しかし、女王は、その時は既に亡くなっており、径100歩程
(144メートルクラス)の大きな塚が造られていた。
彼女の塚へ殉葬するもの100人(亡くなった時に100人を殺し、
彼女と一緒に埋めるというやつだね)。
さらに男の王が立ったが、また人々は不服を言い、
人々は殺し合って1000人もの人が亡くなった。
しかし、彼女の宗家の一族でもある13歳の豊が立つと、
国はすぐに治まる。
チョウセイ等は豊を激励(日御子の亡くなった後の事)すると、
豊は、だいふ、率善中郎でもある將掖ヤク達20人を遣わし、
チョウセイ等を韓国まで送りとどけたついでに
中国の都まで詣でて、技術者30人、真珠5000個、孔青大2枚、
珍しい模様の錦織20個を献上した。
ひゃ~疲れた(><)