読んだらすぐに忘れる -7ページ目

読んだらすぐに忘れる

とりとめもない感想を備忘記録的に書いています。

人形(ひとがた) (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)/早川書房

¥1,944
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『喪失』の変貌に驚かされたが、『人形』においても嬉しい驚きは継続されていた。
モー・ヘイダーさん、着実にミステリ作家として腕を上げられていらっしゃいます。
前回はルヘインやコナリーに似たような作品だったので、なんとなくアメリカンなミステリと感じたが、今回はイギリスミステリの伝統にそったような内容。私がこの作品にイギリスミステリらしさを感じた点は以下になる。

1、幽霊譚に端を発する不可思議な事件
2、田舎生活の風景
3、労働者階級の出身者の悲哀
4、事件を通じてくっつく男女
5、あと味すっきりな終わり方

謎解きとしては若干弱いところがあるが、伏線や「ものごとは見かけどおりではない」逆転の演出が見事で、もう参りました。
シリーズキャラクターであるジャック・キャフェリー警部は本作では、主役から少し離れた立ち位置にいる。もちろん本筋の事件を捜査するのは彼だが、本筋の主人公は、神科医療施設で重度の精神疾患患者の看護に従事するA・J・ルグランデになる。


問題行動をとる精神病患者を収容するビーチウェイ重警備精神科医療施設で不穏な空気がながれていた。一世紀前、施設の前進であった救貧院の小人の寮母“ザ・モード”が、亡霊となって悪戯をする。過去数年に渡り、まことしやかな噂に翻弄される収容患者たちは、混乱し身体を傷つけ、ある者は障害を負い、ある者は死に至っていた。患者も職員も張り詰めた緊張状態にあり上級職員A・Jは、対応に苦慮していた。
職員は無断休暇を使うようになり、連続夜勤で身体が疲弊するA・J。家に帰れば口うるさい叔母と母を死なせた悔恨、唯一の癒しの飼い犬がいるだけ。何のとりえもない仕事でも私生活でも苦しい状況の四〇代男子「アベレージ・ジョー」は、ある日、冷たい管理職だと思っていた女性院長メラニーが、プレッシャーに耐えられず酒に手を出し酩酊状態だったところを助けたる。そこから二人に恋が芽生え、A・Jの生活に張りがでてくる。
新たな気分で仕事に臨んだからか、A・Jは今まで気がつかなかった事件のある「共通点」を見つけ、事件が生きている人間の仕業だと考え警察に捜査依頼をするよう院長のメラニーに進言するが、自分のキャリアをふいにしたくない彼女は、それを拒否する。
恋する女性を守りたいA・J、しかし職員として事件を放置できない。悩んだ末、刑事司法フォーラムで知り合ったジャック・キャフェリーに秘密裡の捜査を依頼する。
A・Jとキャフェリーは、事件の裏に施設を退院した元患者がおり、彼の不気味な人形から再び凶悪な事件を起こす可能性があること、そんな危険な人物が行方知れずになっていることを突き止める。


完全なネタばらしになります。一言でいえば
メンヘラには気をつけろ!!」
に尽きる。壮絶なDVが明らかになる終盤は怖気をふるいます。


犯人の言動をひとつひとつ後で確認するともう「サイン」がでています。
(「約束、約束、指切りする?」とかもう……アウトだ)
嘘で嘘を塗り固めていかないと自分が保てない犯人の姿は、施設の患者たちと変わりがない。しかし、労働者階級から抜け出そうとする女性の鬱屈とした描写は、PDJ作品のケイト・ミスキンやコーデリア・グレイにも重なってくる。
そんな女に恋してしまった被害者たちをキャフェリーも笑っていられない。皮肉な構成だ。



サイド・ストーリーは前作『喪失』に引き続きミスティ・キットスン事件をめぐるキャフェリーとマーリーのすれ違いだ。しかし、本作でようやく二人は事件に向き合うようになる。
キャフェリーは懸案事項であったミスティ・キットスン失踪事件に答えを出すことを考えている。恋する女性警官フリー・マーリーがしでかした犯罪隠匿行為について、ウォーキングマンのおかげで警察官のギリギリの良心のところで踏ん切りをつけたキャフェリーは、マーリーにミスティの死体を返すように提案する。愛する人の「死」を確認できない家族の苦しみをキャフェリーもマーリーも知っている。しかし、マーリーはなかなか首を縦に振らない。苛立つキャフェリー。しかし生来の「いらち」を抑えて彼女を説得し続ける。物語は、二つの一応のハッピーエンドを用意しており、胸糞悪い芸風が控えめになっている点も好印象だった。



次回作“Wolf”もエドガー賞候補になった作品なので、モー・ヘイダーは今一番、脂がのっている状態か。ハヤカワさん、北野さんには是非とも頑張って早めに出して欲しいが、古いノンシリーズも作品にもスポットをあてて欲しいところ。よろしくお願い致します。
年末だわね。
今年はWWⅠとかWWⅡを扱ったミステリの力作が印象的だった。

ゲルマニア (集英社文庫)/集英社

¥1,188
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ナチ党政治下でのベルリンを舞台にしたミステリといえば、フィリップ・カーのグンター・シリーズが思い浮かぶ。
グンターと同様に本書の主人公オッペンハイマーも連続殺人犯を捕まえた事がある優秀な元刑事だ。


しかし、グンターが私立探偵として生活できるのだが、オッペンハイマーはユダヤ人なのだ。この設定には驚いた。
著者は物語の設定は歴史的な事実に基づいているとあとがきで述べている。ミステリとしてだけでなく当時のドイツを描いているという点で歴史小説としての楽しみもある。
(捕らえられたユダヤ人の夫の為にアーリア人の妻たちが収容所から解放するように政府に無言の抗議活動を行い、折れさせるなんてあったんですね)


1944年ベルリン。空襲におびえる街の片隅ユダヤ人アパートで暮らすオッペンハイマーは夜、親衛隊情報部員に連行される。遂に死ぬ時がきたと覚悟する彼の目の前に現れたのはフォーグラーSS大尉、連れて行かれた場所は殺人現場だった。かつて敏腕でならしていたオッペンハイマーに殺人事件の捜査を命じる。かつての刑事魂に火が付き捜査を開始するのだが、実は事件は何カ月も前から続く女性を狙った連続猟奇殺人だと知らされる。
自分が生きるか死ぬかの状況を忘れるかのように仕事に打ち込み始めるオッペンハイマーと出世の足掛かりの為に事件を解決しようとするフォーグラー。立場は違えど二人は互いに人として尊敬しあうようになる。しかし、連日の連合軍の空襲と同様に、犯人の挑戦的な異常殺人もとまらない。


戦時中とはいえ生活感が結構あって、新鮮なベルリンの描写だった。
戦争があって死体が道に山積みになっても、慣れて普通の生活を送っている。
人の適応力というのはたくましくもあり、恐ろしくもある。

犯人探しとしては、数多あるサイコスリラーと大して変りがない。
拷問専門の変態と第一次大戦時に感染した梅毒により女性を嫌悪する犯人がコンビを組んで暴れ回る話だ。
その犯人像は、歴史に翻弄され出来上がっていくことをオッペンハイマーと旧知の女性犯罪学者が追求していくあたりは歴史小説の側面が強い。そこには、やはり戦争の弊害がある。
第一次大戦に参加した青年が、転がって転がって鬼畜となっていく。ルメートルの『天国でまた会おう』とは異なるが、ここでも悲惨な人生を送る人間がいる。
第一次世界大戦で流行した梅毒に感染しアソコも頭もイカレテしまった男は、女性に対し憎悪を抱く異常者となる。そんな異常者も敗戦国ドイツでは突撃隊として活躍する場所があり、殺人を犯してもヒトラーが政権を得た時、恩赦となるが、長いナイフの夜のあと再び底辺をはいずり回る生活をすることになる。
女性に対する妄念がやがて義務へと変わり、犯行を繰り返す。犯行現場に選ばれる記念碑の存在や犯人がキノコ栽培業者と「男根」を象徴するものへの作者のこだわりが徹底されていて、読んでいて少し吹いてしまった。


物語はオッペンハイマー夫婦の国外脱出計画もからみ面白くなるが、最後は意外にあっさりした幕切れになる。続編があるようだが、果たして戦地に送られた(本人はそこが自分の居場所だと認識しているが)フォーグラー大尉と見逃してもらえたオッペンハイマーが、再びあいまみえるのだろうか?



ドイツが瓦礫の山になっているころ西部戦線では彼らが活躍していた。


戦場のコックたち/東京創元社

¥2,052
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横山秀夫さんの警察小説もそうだが、眼のつけどころが面白かったので読み始めたら大当たりだった。


殺人が日常的に起こる非日常な戦場で「日常の謎」を解き明かす。この逆転の発想が素晴らしい。
例えばMPが軍隊内の事件を解くというのも警察小説の変種ぐらいになっていただろう。兵士なのにコックが殺人ではない事件の謎を戦争中に解くというユニークさが光る。しかも、なぜコックを主人公にしたのか必然性もちゃんとあるのだ。
戦争でも警察でも裏方の仕事がなければ機能しない。
「腹が減っては戦はできぬ」で、派手なドンパチは、兵站や食事に支えられているのです。
この『戦場のコックたち』も裏方である「特技兵」として働く兵士兼コックたちが、第二次大戦のヨーロッパで遭遇する謎を解き明かす連作短編形式の物語である。
連作短編なので各短編にさりげなく伏線が敷かれたりして、細かく目配りされていて好印象だった。
コックが主人公なので当然、話題もミリめしの話になるのだが、戦争が過激になるに従い食事の話はあっさりとなってくる。


善良な青年であるキッドことティモシー・コールを語り手に据え、効率の権化エド、太鼓持ちのディエゴ、口の悪い衛生兵スパーク、ビジネス上手でイケメンのライナス、作家志望の通信兵ワインバーガー、負傷兵ダンヒルなど506パラシュート歩兵連隊第三大隊G中隊の戦友たちとの軍隊生活が描かれる。
コックとはいえ一兵士なので当然、銃をもち危険な戦場をめぐる。


「ノルマンディ降下作戦」
1944年6月6日、夜コタンタン半島に降下した幾千のパラシュート部隊によってノルマンディー上陸作戦は開始される。無事に到着したキッドたちは、早速、特技兵としての仕事につくのだが、交渉ごとの達人ライナスからパラシュートとシードルの交換を持ちかけられる。
彼は軍の備品で何をしようとしているのか? 退屈を紛らわすための推理し始めるキッドたち、やがて聡明なエドが、ライナスが「ある任務」についていることを突き止める。
謎解き自体は「日常の謎」らしい内容。ちりばめられた伏線が綺麗に回収されていくのが心地よい。しかし、舞台は戦場だ。ハッピーエンドはないのである。


「軍隊は胃袋で行進する」
軍の物資が何者かに盗まれる事件が発生。600箱の粉末卵が一夜にして盗まれてしまうが、憲兵隊は補給隊のミスだと決めつけ捜査しない。まずい食糧で盗まれても被害が少ないこの荷物を危険を冒して、盗む理由は何なのか? 
ヒエラルキーの下層の辛さ、軍隊に限らず普通の社会にもあることなので犯人の動機は腑に落ちる。
嫌な上司の寝首をかくには、大胆な方法だがそれでも犠牲はつく。


「ミソサザイと鷲」
オランダからドイツに侵攻するマーケット・ガーデン作戦に従事するキッドたち。それぞれの班に分かれたコックたちは生死の狭間をさまようような市街戦に遭遇する。
ドイツから解放され家を提供したオランダ人の幼い子供をもつ、老夫婦のもとで攻撃にあった連合軍は、応戦するが戦闘後、家の地下に隠れていた夫婦が頭に銃撃を受けて死亡しているのが発見される。遺書もあり自殺に違いないが、死体の手が子ども以外の何者かによって動かされており、家に不審者が侵入していた明らかになる。夫婦の死をめぐる謎を探るうちにキッドは、戦争によって崩壊した町の人間関係をしることになる。「ノルマンディ降下作戦」で描かれたエピソードが伏線の役割を果たすようになってくる。この短編にでてくる童謡は、その後の短編の伏線の一つとなる。


「幽霊たち」
マーケット・ガーデン作戦の失敗のあとキッドの部隊は、ドイツ軍に包囲されるバストーニュの戦いの只中にあった。冬の寒さと消耗戦に苦しめらる。そんな状況の中、マーケット・ガーデン作戦で神経症を患い持ち前の明るさを失ったディエゴは、さらにノイローゼ状態になる。夜中銃剣の音がし、自分が殺したドイツ兵が復讐しに来ていると思いこむディエゴ。時同じくして、アメリカ兵が銃剣により負傷し、潜伏するドイツ兵の仕業と思われていたが杳として姿がつかめない。さらに、キッドとライナスは、新兵の幽霊を見てしまう。エドは三つの事件の隠れた繋がりを見つけある「犯罪」を焙り出す。
そして、物語はバストーニュの戦いの戦いで大きな転換を迎える。


「戦いの終わり」
大切な親友を失い自らも九死に一生を得たキッド。かつての子供のような純真なこころも、古参兵のすさんだこころに様変わりしていた。終戦間近のドイツでキッドは、エドの言葉を思いだし戦友ダンヒルのもうひとつの顔を知ることになる。逮捕されるダンヒルになすすべもないキッド。しかし、もう戦友を死なせるわけにはいかないとダンヒル救出を決意する。キッドたちの脱獄計画とは、そしてダンヒルは家族のもとへ帰ることができるのか?
エピローグで生と死を眺めたキッドの痛みと静かな祈りは、深い余韻となってちょっと泣ける。


作者の深緑さんにとってはニ作目らしいが、まあよく調べたものだなと思う。ミステリの構造もジェイムズ・ヤッフェを研究したそうで作りこまれた力作でした。この作家は追いかけていきたい。


猟犬の國/KADOKAWA/角川書店
¥1,620
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何事もないのが一番いい。そのためならどんなこともする。<イトウさん家の家訓>



日本の裏で暗躍していた情報機関。組織名のないこの組織は別名「イトウ家」と呼ばれる。

主人公は「イトウ家」に所属するペルー人の男。日本国内で発生する不穏な動きを芽が出る前に摘んでしまう工作員である。外国人スパイが家族を人質に取られ、日本の国益のための猟犬として働かされている。

平和なニッポンの裏で暗躍する不穏な芽を摘み取る名もなき工作員の物語である。

スパイ・アクションあり、ユーモラスな情景あり、胸のすくような内容でエンタメ要素満載なのだが、扱われている話題はリアルな社会問題もあり、情報管理やリテラシーについて考えさせられる内容にもなっている。



「第一話 日常」では大阪あいりん地区で密かに進行する日本の国益を損ねる計画を秘密裏に摘み取るために、男が派遣される。ターゲットは三人の男女。彼は日雇いの仕事をし、肉体労働と俳句を練る毎日を送り、あいりん地区での生活に溶け込み、実行の時をまつ。まったりした日常が指令書一枚で三人の人間を瞬時に仕留めていくきりっと冷めた雰囲気になる場面にドキっとする。

大阪のゴミ処理問題なども絡めており、絵空事には思えない。

「いつも何かと戦わないと気が済まない政治団体に所属する」大阪市長の発言から街にゴミがあふれだし、抗議活動→暴動に繋がりそうな空気は、一昔前、本当にゴミ収集車が来なくなり町にゴミがあふれ大阪がスラム化するなんて事が話題になった事を考えると、あり得そう。(っというか、中国系、韓国系の敵国要員の工作に「市長」を巻き込むのは、作者の黒いセンスを感じる)

悪党をさっさと始末するヒーローの攻性な性格は、痛快であるが、この主人公は「ヒーロー」ではない。結局、死んだ人間が何だったのか全然明かされず、曖昧な形なのでもやもやした感覚で終わる。



「第二話 “親子”」ではスパイとスパイの親玉の攻防が描かれる。

「イトウ家」の親玉「イトウシロウ」が主人公に命令したのは、日本に乱立する情報機関を統一させるような大事件をプロデュースすること。防衛のために同胞を大量に殺す狂気の愛国心に反抗し、狂った親玉を潰し、無辜の国民も自分も家族も生き延びるような方法を必死に考える男は、京都の公安に親を売ろうとするのだが、出会ったのは、たこ焼き屋に左遷された女性キャリアだった。

張り詰めた作風がこのもう一人の主役、須頭幸恵の存在によってほんわかした感じになって、微笑ましい。以降、この二人の掛け合いが楽しくなってくる。この演出にはただ「面白さ」だけでなく、もう一つ意図があることを「ミステリマガジン」で著者は書いている。それが以降三篇。



「第三話 調停」「第四話 教育」「第五話 狩猟」は、警察からスパイに出向した須頭幸恵は、無名の工作員の部下となり、スパイの生活を体験する物語。警察とスパイの違いに戸惑い「アウトロー、アウトロー」と抗議を繰り返し、時間外労働を嫌い、プライバシーのない生活に涙ぐむ。とぼけた感じ、可愛らしいやりとりが、面白い。女性キャラを投入していないことについて「普遍的な組織のありよう」について描くためと明かしている。なるほど、これは確かに頷ける。これは一般の会社組織にも通じる。

先輩は後輩にカッコ悪いところ見せられないし、新人を通して、惰性に陥りがちなベテランも原点に立ち返る。女性がいることで男も引き締まる。安易に強行手段に出る先輩に口うるさくつっかかり、一歩づつ成長してく姿がまたいい。初めての課題で危険な人身売買組織と渡り合うことになってもちゃんと対応する。

3Dプリンターで銃を作ったり、キーロガーで検索ワード盗んだり、至る所に盗聴したり、ホント恐ろしい時代になりましたね。


続編はでるのでしょうか? 出たらたぶん買うかな。





そして、これを読んでいる時にフランスでテロがあった。

シリア人難民の中に潜んでいたテロリストの犯行だということで、難民受入を積極的にやていたドイツなど大変なことになっているようだ。あの死んだ子ども写真の効果なんて消し飛ぶくらいにシリア人はもう受け入れてもらえなくなるだろうな。

『猟犬の國』を読むとフランスやその他ヨーロッパの情報機関が、こういう事態を知っていたのではないかと疑ってしまう。難民受入に反対する一派もっといえば、EUを解体したい一派が、わざと目こぼしして、テロリストに犯行を行わせたとかありそうじゃない? 



ほんと、恐ろしいなぁ。外国にはやはり行けない。










天国でまた会おう/早川書房
¥3,456
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昨年、『その女アレックス』が、このミス1位になってから人気上昇中のルメートル。

今年は最新作『天国でまた会おう』を含めて3作も文庫化、さらに来日サイン会、講演する人気ぶりだ。フランスミステリが、これほどもてはやされるのは珍しい。



人気の火付け役になった『その女アレックス』を読んだが、絶賛との落差を感じて、個人的にはイマイチだった。
アレックスの人物像を二転三転させ、「サイコスリラー」をユニークに変奏してしまう作者の手腕は、上手いなと思ったが、内容が内容なので、あまり楽しめなかったのが正直なころ。
『天国でまた会おう』も同じような作風なら、たぶん買う気もなかったが毛並みが全く異なるようなので、興味がわいて読んでみた。





なるほど、まったく違う。

タイトルは現実に起きた兵士のエピソードからとられたもので、切ないが前向きというか温かい言葉だ。それがそのまま作風に現れている。
これはあとがきで書いてあったようにバルザック的ピカレスク小説の世界だ。物語の舞台を18世紀に移せば、まんまバルザックの人間喜劇の世界になる。
18世紀のフランスは、フランス革命によって王政から共和制に、やがてナポレオンが登場する変動の激しい時代だ。『天国でまた会おう』の舞台を第一次大戦の20世紀最初の狂乱の時代に据えたのも、著者の計算だろう。バルザックの描いた時代とは異なるが、その時代の社会の性格はあまり変わっていない。
そこにひしめく人間の波乱のドラマが、読者を飽きさせない。

視点がころころと入れ替わるが、するりと誰の感情なのか分かる親切設計なのもよかった。






『天国でまた会おう』の主人公はアルベールとエドゥアール、そしてプラデルの三人だと思っている。

三人は、生きるために犯罪に手を染める事で、三様の結末を迎える。




誰もが数カ月で終わると思っていた第一次世界大戦。


一兵士として戦争に参加していたアルベールは、四年間戦線を闘い抜いた。ようやく終戦ムード漂うなか、ドイツとの最後の不毛な殺戮に巻き込まれる。

偵察のために活動していた二人の兵士がドイツの銃弾に倒され、終戦ムードから一転、血が沸騰したフランス兵はドイツ軍目指し突撃する。
死が遠のいていたのにまた死地に行かなければならない恐怖と闘いながら前進するアルベールは、発端となった偵察兵二人の死体を見つけ驚愕する。
二人はドイツ側からではなく仲間のフランス側から撃たれた弾丸によって倒されたことが一目でわかったからだ。

そして、その犯人がアルベールに近付きつつあった。



没落貴族出身のプラデル大尉は、戦争が終わることを嘆いていた。彼は戦争で手柄を立て、戦後の混乱に乗じて社交界に入ること目論む上昇志向の持ち主。

出世のためなら犯罪も憚らない。休戦協定が結ばれる前にドイツ側を降伏の手柄を得るため、仲間を殺し戦端を開く。その犯罪を目撃したアルベールを塹壕に追い詰め生き埋めにする。

その上官の不審な動きを眺める兵士が一人いた。



プラデル大尉の不審な行動に疑問を持った天真爛漫な芸術家エドゥアールは救護兵として、塹壕に生き埋めになったアルベールを助ける。

しかし、救助の代償として彼は、流れ弾に顔面下半分を無残にもぎ取られ負傷する。
終戦後、生きる希望を無くしたエドゥアールは、実家に帰ることを拒み身元を偽り、世捨て人となる。

九死に一生を得たアルベールは、痛みを紛らわすモルヒネの中毒となり、生きる屍となっている命の恩人の窮状を憂い、エドゥアールの命が尽きるまで献身する事を決意する。



戦後、アルベールらのように勇敢に闘った兵士たちが、うらぶれ貧困にあえぐとは反対に、戦争の偽りの英雄プラデルは出世の階段を順調に昇る。

エドゥアールの実家である財界を牛耳るぺクリール家の娘でエドゥアールの姉と結婚。持ち前の容姿と才覚を利用し、社交界に華々しくデビューを飾ったプラデル。しかし、義父である財界の巨人ぺクリールは「新しい息子」の戦後ビジネスのやり方から彼の冷酷な一面を嗅ぎとり警戒すると同時に、かつて倦厭していた「古い息子」エドゥアールの死の悲しみが日を追うごとに迫ってくる事に驚き、悔恨に苛まれていた。

息子の為に出来ることは、故郷にその墓標銘刻んだ碑をつくる事。そのために彼は戦没者慰霊碑建立に多額の寄付金をいれる。



政府による戦没者慰霊事業に金の匂いを嗅ぎつけたプラデルは、巧妙に経ち回り遺体発掘と埋葬事業を取り仕切ることになるが、死者への冒涜に近い弔い方により暴利をむさぼる。(この部分が、まさにバルザックっぽい)

そして、貧困にあえぐエドゥアールは、持ち前の芸術センスで、戦没者慰霊碑のデザインを販売し、現物を納めない詐欺手法を思いつき、アルベールを巻き込んで計画を立て始める。

フランス全土の市町村から発注と入金が入るなか、エドゥアールは故郷の慰霊碑事業にも手をつける。それは憎んでいた父親の金をかっぱらう事を意味する。

そうとは知らないぺクリールは、騙された事に気が付き、金を盗られた事より、息子の死を侮辱された思い憤慨。プラデルを使い犯人たちを追い詰めようとする。







はたして、彼らは大金を手にすることができるのか? 悪党プラデルはどうなるのか? 

ぺクリール家の父と子に和解と邂逅はあるのか、一体どんな結末が待ち受けているのか等々、

やきもきさせられながら、後半読み進むことになる。また、脇役陣も豊かになる。

信念の役人メルラン、ぺクリール家のメイドのポリーヌ、愛らしいルイーズ。主役たちやドラマを大いに盛り上げる。



このページをめくらせる力もバルザックだ。途中下車を許してくれない。

特に、憎たらしい悪党と弱い善人の対立をスリリング描いたエンタメ作品『ラブイユーズ』(私はこれを読んでバルザックが好きになりました)を思い浮かべた。

憎たらしいプラデルが『ラブイユーズ』の悪党フィリップと重なってくるし、遺産をめぐる悪党と悪党の対決などプロットでも似ているところがある。(そういえば、あれも芸術家の弟がいたよな……)





今年はピケティの『21世紀の資本』といい、バルザックへの興味をかきたてる本がでるねぇ。

読まないかんなぁ。





ところで、この二行目のフランス語、なんて読むのかしらね?




















エンジェルメイカー (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)/早川書房



¥3,024

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前作もそうだったが、パパとは全く違った愉快な作風だ。


ジャンルでいえばSFだし、冒険、陰謀、ミステリなんでもありだが、一言でいえば「少年漫画」かな。


(でもあの廃棄物列車を使ったプレイは少年誌では無理か)






大男だが、心はやさしい時計職人ジョー・スポークは、かつてイギリスにその名を轟かせたギャングの一人息子であるが、父親の世界から離れ、祖父の後を継ぎ職人としてつつましい生活を送っていた。


ある日、親友の故買屋の紹介で不思議な「機構」の修理に心を奪われる。そして、依頼主である偏屈な養蜂家の元に届けるとその「機構」から無数のからくり仕掛けの蜂が飛び出した時、ジョーは、世界を破滅させる危険な陰謀に巻き込まれることになる。ぜんまい仕掛けの蜜蜂は嘘を取り除き、真実をあつめる装置だった。かくして、世界のあちこちで危険な状態がおき、ジョーの周りにいる知人、友人、無関係な人が次々と消され、ジョー自身もおたずね者となる。


一方で、かつて敏腕女スパイとして、大戦中活躍した90歳の老女の暗闘の歴史と現状が語られる。


兵器を作らされているフランス人科学者の救出を命ぜられたバニスターは、数々の困難を乗り越え任務を遂行する。やがてフランス人科学者フランキーと愛し合うようになる。生涯の宿敵と闘い、世界を滅ぼしかねない科学技術を持つ恋人に振り回されながら、歳をとった女傑は、ライバルも恋人もいなくなった今、社会は世界はそれでもひどい現状だ、と感じた。それを打破しようとフランキーの孫であるジョー・スポークを陰謀に巻き込む。二人が出会うとき、強大な悪が立ちはだかりクライマックスへ一気に突き進む。






宮崎アニメみたいな感じっていう人がいるけれど、これは完全に藤田和日郎さんの『からくりサーカス』だ。







からくりサーカス(43) (少年サンデーコミックス)/小学館



¥価格不明

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危険なからくりの暴走、容赦ない暴力描写、過去からの因縁話、武道系アクション、独特な潜水艦や機関車、いろんな顔をもつ黒幕と、その復活のための「記録される男」(←これは驚いた、まんま「転送理論」)。


部下を引き連れて登場する黒幕のシーンも黒賀村に現れた「あの人」にそっくりやね。


『からくりサーカス』はフランス語や英語版が出ているようだから、ハーカウェイが読んでいたとしても不思議ではない。読んでいないとしても同じような発想が出てくるということは、この二人の下地は同じかもしれない。そこが面白い。







「真実」に向かえば人は争いもなく幸せになるはず、だとフランキーは確信しつくられた「理解機関」が悲惨な結果を生み出すことになる様は、科学技術の歴史そのものだ。すべてを悟ってしまうと太陽をじっと眺めるように目が潰れてしまうように、意識が崩壊し生ける屍のような状態になってしまう。(この状態をユートピアで、ハッピーエンドにしてしまったのが『ハーモニー』だが、大概の人は、やはり逆の印象だと思う)





物語終盤200ページの展開は、熱い。ラスボスとの対決によってイーディーが破れる。世界の命運を託されたジョーは、遠ざけていたギャングの血を意識し、時計職人からクレイジー・ジョーとして産まれ変わり、父のかつてのギャング仲間を招集し、最終対決に臨む。


ここのアクションシーンで非常に感心した。


「理解機関」が働いている中での戦闘は、相手の次の一手が全て見える状態(ロバート・ダウニーJrの『シャーロック・ホームズ』の格闘シーンの先読みな感じだろうか)なのでなかなか決着つけさせないが、素人×トミー・ガンの不確定要素が最後に面白い効果を発揮する。





とにかく楽しく読んだ一冊でした。

一応、観はじめました。「すべてがFになる」

実写ドラマは散々な結果だったそうですが、

アニメなら面白くなるでしょう(『Another』もそうだったし)


森博嗣の作品はもう読んでいないので、

最近どうなっているのか気になって知人に訊いてみたら、

大魔王 真賀田四季がコールドスリープを繰り返して、

全世界の天才たちを統括、天下布武を実行中との事。


なんだか、面白そうなので読んでみたくはなるが……。

アニメではどこまで行くのやら。




短いミステリの感想をぽろぽろと書きます。




『サン・フォリアン寺院の首吊人』ジョルジュ・シムノン

実は初シムノン。巨匠ですが読んでいませんでした。

角川文庫版は、かれこれ15年くらい前に高校の近くにあった古本屋で購入したまま本棚の肥やしにしていたが、最近、翻訳ミステリー大賞シンジケートの瀬名秀明さんの連載に触発されて読んでみた。

(現在は電子書籍でも読めるようです)

確かに面白かった。高校、大学時代ではなく今、読んだからこそ良かった気がする。

シムノンの凄さがこの一作でちょっと分かった。

1931年ごろの作品だが、まったく古びていない。現代でも十分通用する話だ。

採算度返しの男の嫉妬という点ではローレンス・ブロックの『死者の長い列』にも通じる。

ベルギー出張中のメーグレ(水谷訳ではこうです)が、不審な行動をとる男に目をつけ、尾行する。

犯罪の匂いはするが、どういった類なのか分からないメーグレは、試しに男の鞄と同じ鞄を買い、すり替えてみ様子をみることに。しかし、男はひどく狼狽しメグレの監視中にピストル自殺を遂げてしまう。

結果的に人を死に追いやってしまった後悔からメグレは、ただの自殺事件のために公務そっちのけで男の素性を探る捜査の旅にでる。

度重なる妨害にあいながらもメーグレは執拗な捜査の結果、男にまつわる二つの物語を知ることになる。

一つは今風に言えば「中二病」的なクラブを結成した痛い青春物語。

ただ、否応なくその青春を終わらせる痛ましい事件が発生し、こどもから大人へと変わっていた人もいれば、一生変われずに不幸に人生を終えてしまった人もいる。

二つ目は、勝ち組を引きずろうとする後ろ向きな負け組ダメ男の物語だ。

メグレの注意を引くことになった大金は、強請によるものだったことが明らかになる。

しかし、奇妙なのはこの大金をすべて燃やしてしまったことだ。男には家庭があって、貧しいのだから金を家に入れれるにも関わらず、燃やしてしまう。この行動に幼稚さ、異常性、哀切さがでていて、読んでいて胸にくるものがあった。

メグレ警部シリーズよりもノン・シリーズに興味があるので、『サン・フォリアン寺院の首吊人』と同じような味わいのあるサスペンスなら読んでみたい。



『魔力』トニイ・ヒラーマン

ジョー・リープホーンとジム・チー。

ヒラーマンが産んだナヴァホ族警官二人の主役が、シリーズ八作目にして初めて顔を合わせる。以降、シリーズはこの二人が主役になる。

トニー・ヒラーマンは亡くなってもうだいぶ経つが、娘さんがシリーズを引き継いで書いているみたいで、評価もされているようです。

あいかわらずトレーラー住まいのジム・チーはある夜、ショットガンによる襲撃をうける。

脅しではなく明らかな殺意のある攻撃をたまたま回避できた。

一方で、リープホーンは、インディアン居住区の地図を眺めていた。ピンで刺された三件の殺人事件のポイント。社会福祉課に勤めるいけすかない女性職員の死。人畜無害な二人の老人の死。

居住区ないで事故ではなく殺人事件が立て続けに起きるのは、不自然であり何らかの繋がりがあるのではと直感するリープホーンは、新たに増えたジム・チー殺害未遂事件も環の一つと考えるようになる。

ナバホが忌み嫌う「魔法使い」「ナバホ狼」の力とは、白人社会における私利私欲に直結するような内容が今まで多かったので、犯人は白人または、白人化したインディアンなのがお決まりのパターン。

今回もそれは変わらないのだが、ミステリではお馴染みの「操り」と結びつける工夫がなされている。終盤の犯人の罠によりチーに危機が迫るサスペンスも効いて面白い。

本作で知り合ったチーとジャネット・ピート弁護士は、本書以降付き合うようだが、シリーズ後半で別れてしまうようです。そこまで読めるかなぁ。

久しぶりに、どハマりした。

バック・シャッツ。素晴らしいキャラクタだ。

ユダヤ系の渋い爺様ではエイブ・リーバーマンがあったが、バックはその渋さにハチャメチャな要素を加えて、もうとんでもないことになっている。

コミカルだが、しっかりと地に足ついた人物像に非常に好感を覚えた。

そして、その爺様を支える孫、テキーラの存在がまたいい。ロートルとルーキーが降りかかる火の粉に立ち向かう痛快さ、しかもミステリとしてもしっかりしているのだから追いかけずにはいられない。

もう年はとれない (創元推理文庫)/東京創元社
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バルーク・シャッツ。第二次大戦時にノルマンディに従軍し、戦後メンフィス市警に1973年まで奉職、「ダーティ・ハリー」のドン・シーゲル監督にインスピレーションを与え、メンフィスのクズたちに弾を撃ち込んできた。


そんな伝説の男も引退して30数年、齢87歳の安寧な日々を過ごしていたが、死を前にした戦友から衝撃的なことを告白される。

連合軍の捕虜としてナチスに捕まっている時、自分をユダヤ系のため死ぬ寸前まで痛めつけたナチス親衛隊将校の一人が、生きてアメリカに逃げたのだ。その逃亡の目こぼしを金塊の賄賂で許してしまったと告白し、死んでしまう。

友人の裏切りに憤りを覚えるも復讐の炎を焚くほどのエネルギーはない。しかし、孫のテキーラが提案したナチの金塊探しに着手したとたん、友人の娘婿、教会の神父、借金の取立屋、怪しいイスラエルの政府職員が次々と彼のもとに訪れる。そして、宝探しは、血みどろの猟奇連続殺人へと発展していく。


ミッキー・スピレインにもう少し茶目っ気があれば、こんな作品が出来ていたかもしれない。(余談だが、スピレインはミステリ作家としてセンスは意外と高かったと思っている。『銃弾の日』とか『ねじれた奴』とかきっちりミステリしているからね)

ミステリの筋は単純だし、特に伏線とか論理的に犯人を追い詰めるような要素がある訳ではないが、意外性の演出と犯人の不敵さ、そして対決の構図が面白い。


シャッツは昔の仇と対決し、警察時代のライバルの弟子と対決し、そして、己の倫理観と対決することになる。

孫に連続殺人の容疑がかかろうとしている時に彼は「刑事のやりかた」を念頭に対策を練ろうとする。

「事実を収集してもっともありそうなストーリーを組み立て、それにもとづいて有罪を導き出す」

「合理的に成り立つ筋書きを組み立てることの方が、事実よりも大事なのだ。真実は、融通のきく相対的なものだ」

シャッツは、頭のいい殺人犯が、証拠が見つからない為に罪から逃れられないように証拠にちょっとしたさじ加減をしていたと言う。

これは、かなり危ない考えだ。無実の人間に濡れ衣を着せるようなものになる。

そして、この危険な考えによって犯人は、シャッツを絡め取る。

犯人は融通無碍に事件の「真相」を考え、その場の状況に応じて人を殺し、スケープゴートをでっちあげる。孫を黒幕に仕立てようとする犯人になすすべもないシャッツに一発逆転のチャンスがあるのか? ハラハラさせる展開は夢中になった。


終わりよければ、すべてよしだが、この危ういヒーローには過去からのしっぺ返しがありそうな気がする。

もう過去はいらない (創元推理文庫)/東京創元社
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2009年。御年88才になったバック・シャッツは前回の事件の影響で、思い出の詰まった家を売り、夫婦ともどもヴァルハラ・エステートなる介護マンションへ入る事に。

気難しい御老人は、隣人やリハビリや食事にいら立つ日々。そんなある日、目の前に昔なじみの顔が現れる。

イライジャ。ヨーロッパで生まれ家族をナチスに殺されアウシュビッツで九死に一生を得たプロの銀行強盗。かつてシャッツを出し抜きメンフィスの銀行からまんまと大金をせしめた大泥棒と四十数年の時を経て再会。そして、かつての敵は、警察による身の安全確保と死んだ場合の報復を懇願する。

シャッツは気にくわないが、前作で知り合ったアンドレ・プライス刑事と連絡、イライジャの引き渡しを行うが、直後、謎の武装集団の襲撃にあう。


一方で1965年。メンフィスは公民権運動とストライキに揺れていた。イライジャは、シャッツ刑事にユダヤ人のよしみで強盗計画への参加を持ちかける。自分の街の秩序を揺るがす大泥棒に怒り覚え、断固とした態度で拒絶する。しかし、彼は同時に困った立場に追い込まれることになる。

時代は黒人のみならずユダヤ人にもやさしくない。迫害の対象が黒人からユダヤ人にならないようにするためには、強盗計画を未然防ぐ必要がある。イライジャの計画を探り、メンフィスに秩序をもたらそうと動くが、イライジャの計画はシャッツを身動き取れないようにする。


伝説の刑事と伝説の銀行強盗。

二人は、自分にとってやさしくない世界に違うアプローチで対峙する。

一方はそれでも守るべき家族のために権力者の犬になろうが、混乱した世界に秩序をもたらすために「カミソリ」(権力であろうが、神であろうが自分は暴力の道具にすぎないという比喩だろうね)として戦い、一方は残酷な世界に復讐するため神出鬼没の「幽霊」として戦ってきた。


イライジャのトリックは「不忠の種をまく」ことにある。アウシュビッツの脱獄も、鉄壁の守りを有する金庫からの強奪も、麻薬の売人のスタッシュハウスを襲うのも同じ手口だ。唯一なびかないシャッツに対してはコミュニティに対する「忠節」を人質に対処する。イライジャはシャッツの「忠節」を羨む。

「あんたは自分が大切にしているものを手放すことになる。おれはそれを求めているんだ」

最終的に現代の事件の一番の動機はこれだ。使いきれない程の大金を手にしているにも関わらず、危険な麻薬ディーラーの金に手を出し、シャッツを巻き込む。

愛する家族も持てず、復讐だけで生きてきた男が人生の終わりになって、自分が手に入れられなかったものを相手に棄てさせようとする。何だか哀れだ。そして、シャッツもローズとの喧嘩で分かるように「忠節」にとり憑かれた人なので、こちらもやはり少し可哀そうだ。どこまでも行っても平行線の老人二人だが、やっぱり似た者同士なのだ。この部分の描写はホントに上手い。


作中、ラビがシャッツの行為がいつか恐ろしい裁きとなって周囲の人にも害となると諌めている。前作で息子ブライアンが殺された事が明かされているが、顛末については明かされていない。もしかしたら次回作ではシャッツの行為がしっぺ返しとなって息子の死に繋がった、みたいな話になってこの老人に揺さぶりをかけるかもしれない。


映画化も決まっているようだし、ますます楽しみだね。もし、今この役ができる人がいるかどうか、調べてみたらカーク・ダグラスが良いかもしれないと思うが……。(ってかまだ生きていたのか!!)


夏休みどこにも行かなかったので、夏らしいミステリをば。



六甲もバスクも自然豊かな避暑地。この夏の読書にはぴったりの場所だ。

という訳で、せめて小説の中くらいは涼しい場所へ「お出かけ」してみる。



多島斗志之(失踪から7年くらい経ったと思うので、もう死亡扱いでしょうか)とトレヴェニアン。

ジャンル小説を横断する作家という意味では、この二人の作家は似ている。





黒百合 (創元推理文庫)/東京創元社
¥価格不明
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実家の近くに逸翁美術館があるが、一度も行ったことがない。夏休みあたりに一回、行ってみようかなと思ったが、ちょうど改装で見にいけず。残念。
人生の三分の二は、阪急電車に乗っていたので懐かしい。(あの色は阪急マルーンっていうんです)



短いが、時間軸や視点がことなるエピソードがバラバラに置かれる手がこんだ作品になっている。



1952年、夏の青い炎天に緑の映える六甲山。

東京から遊びに来た少年は、大人になってから当時の日記を読み返し回想する。

二人の少年と一人の少女が出会い、微笑ましく淡い恋の思い出、遊び回った六甲の池や山。そして、その後の三人の絆を決定づける事件、そして、未解決の殺人事件……。

少年の思い出話の合間に挟まれる戦前のある追憶の断片が挿入される。

恋人に棄てられドイツをさまよう日本人女性、空襲の際、恋人の兄を殺し、その犯行を強請られ再び殺人に手を染める電車の運転士。



この三つのエピソードが繋がりはじめ、読者にだけ分かる「驚愕の絵」が浮かびあがる。



上手い! 

正直、文語の関西弁にちょっと違和感感じて(ここらへんは、黒川博行さんにはかなわへん)、最初のめりこめなかったが、ドイツの悲恋や少年少女の恋の行方など徐々に惹きつけられていった。

そして、このミステリを成立させる作者のテクニックが楽しい。

表向きは少年少女のひと夏の思い出話なのだが、その裏で「ある人物」についての戦前・戦後の波乱万丈な人生が語られている。まさに黒百合の花ことば「愛」と「復讐」が合う物語だ。

その裏の物語を「六甲の女王」や日登美の夫の存在といったミスディレクションで上手く隠しつつ、大胆な伏線を用意している。






以下、ややネタばらし。

同趣向のミステリで泡坂妻夫『湖底のまつり』。実は泡坂はこの作品で伏線に「タカラヅカ」を用いている。『黒百合』の舞台設定をわざわざ関西の私鉄・阪急電車をモデルにした宝急電車沿線にした理由がここにある。ここまで必然性を考えるミステリは好きです。








バスク、真夏の死 (角川文庫)/角川書店
¥637
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『シブミ』『アイガー・サンクション』の作家が、こういう物も書くと意外性がアップする。これもひと夏の男女の恋の物語だが、悲恋で残酷で、最後にちょっぴり恐ろしい。

一人の青年だった医師が、過去の日記と思い出から夏の出会いを回顧する。



第一次大戦前のバスク地方の温泉地で燻っている青年医師ジャン-マルク・モシジャンは、暇を持て余してた時に、カーチャと出会う。カーチャとポールの双子の姉弟、その父親。パリから引っ越し、田舎に隠棲するトレビル一族は村の噂の的だが、どういう理由で住み始めたのか分からない。

青年医師はやがて、聡明でお茶目なカーチャに恋し、トレビル家によく遊びに行くようになるが、弟のポールは、友達としてまでなら構わないが、恋人になる事はかたくなに認めようとせず、再度、逃げるように引っ越し準備をし始める。

そして、夏の風物詩である祭りの帰り、お熱なモシジャンはカーチャの愛の告白をするが、思いもよらない悲劇が訪れる。


なぜトレビル一家は不自然な行動(オルスタンスからカーチャへの変名、お庭の精霊、父親にカーチャへの恋心を悟られてはならないという忠告など)をとっていたのか、その理由が中盤で明かされるが、さらにその先に本当の理由が隠されている。


「人間の精神には、受けいれ難い現実を好ましい虚構に作りかえるものすごい能力があるんだ」


「記憶」に関する筆致は、カズオ・イシグロの小説にタッチは近い。

惨劇の家で心を引き裂かれてしまった人が、おのれの心情を他者の口を通して吐露する様は迫力があり、とても不気味だが、切ない。物悲しい。哀れでならない。


そして最後の跋文。これは見事な「最後の一撃」。

不当な扱いを受けたと思ったら、絶対に許さないバスク人は、四十五歳になって初めて過去を顧みる。

「自分がしようと思っていたことをすべてなし終えていたから」振り返ってみたと言うが、何をなし終えたかについて、跋でさらっと触れられる。


死者の長い列 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)/二見書房
¥936
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『死者の長い列』は、シリーズの中でもスカダーにとって平穏な時期の一作で、スカダーが名探偵として活躍する謎解きに特化した作風になっている。しかし、流石だなと思うのは、所謂「本格ミステリ」にありがちな浮ついた奇妙な設定でも、犯人の孤独を描くことで、地に足ついた物語になっているところ。




ネタを明かすことになるが、これは「男の嫉妬」を描いた名作だ。

実は、過去にもブロックは野郎の嫉妬をシリーズ内で描いている。

ブロックはそれをファンに思い起こさせるように、レイ・グルリオウ弁護士とスカダー、ミック・バルーとスカダーの会話でモリシーの酒場のことを話題に挙げている。

モリシーの酒場とは『聖なる酒場の挽歌』の舞台になった酒場である。そして、そこで起きた事件の根源にあったのが「男の嫉妬」だった。おそらくブロックは、意識して持ち出していると思う。




人品卑しからざる男たちが一年に一回集まり、自分の一年を報告し死者に哀悼をささげる会「三十一人の会」。古くはバビロニア時代から連綿と続くと謳われる由緒正しき(?)秘密の集まりは、二十世紀になって緊急事態に見舞われる。1961年に世代交代して32年、31人いたメンバーが相次いでこの世を去り、14人になっていた。しかも直近七年間に9人も自殺、事故、殺人でこの世をさっているという。

世間一般よりもあまりに高い死亡率に不審を抱いた会員の一人が、スカダーに調査を依頼する。





金も女も何の利害関係もない仲良しクラブの人たちを32年間にわたり、ひとりづつゆっくりと屠っていく犯人とはどんな人間か。

もし、悪意によって起きている殺人なら会のメンバーに犯人がいると、スカダーは依頼を受けた時点で考えるが、長期にわたる偏執的な犯行手口や地理、タイミングを考えると今や成功者として社会の一線で活躍するメンバーに当てはまらない。

雲をつかむような「死神」探しは、新たに起きたメンバーの死によって大きく動きだす。




このシリーズの魅力はスカダーの目を通したニューヨークに生きる人々の生活や犯罪が、洒落た会話や触れ合いによって浮かび上がるところだ。これはプロットと関係ないものでも楽しい。

事件自体は後半になってからでないと動かない。しかし、それまでの間にエレインとの生活、リサとの不倫、TJとの会話、ジム・フェイバーとの食事、ミックとのすべらない夜会等々面白く読ませる。

地下鉄との交通警官との会話で世界貿易センタービルがでてきたりするあたりは、時代を感じさせる。ここにも「死者の長い列」が存在する。




「我々は誰しもみな死に向かって毎日一歩一歩近づいている。それはひとりで歩くには険しい道だ。しかし、仲間がいればそれだけ道ゆきが楽になる」

「過去に長い死者の列があっておれたちがいる」

「三十一人の会」の死者への哀悼、ヴェトナム戦死者記念碑を眺めるミックやスカダーの思いは、自分たちがやがて長い列に属し、次代に繋がる鎖の一部であるという感覚がある。




しかし、男の嫉妬をこじらせた犯人は、この鎖の一部から外れている疎外感から犯行に手を染めていく。そんな彼がスカダーに優しくされていたく感動して、大胆にもお礼の電話をかけてしまう件は、繋がりたくても繋がれなかった可哀そうな男の哀れな姿が浮かび上がる(とはいうもののキチ○イですからね、怖い訳です)。




次の『処刑宣告』も謎解き重視作品。まあ「窓から外へ」の感覚だろうね。