新1年。給食指導。私が早く並ばせていると、副担任が入ってきて「何やってんだよ。ゴチャゴチャじゃないか。ダメだよ、ちゃんと全員座った班から順に給食を取りに行かせる許可ださなきゃ」と言われた。時間を意識させようってわけでよくある方法だが、私はこの方法は違うと思う。

 

 

 

早く座った班から給食とりに行って良い、なんてやると、毎回遅い奴が決まっている。早い奴から不満が出る。そんなこと毎日やってたらだんだんアホらしくなってきて他の決まりにも従わなくなる。運の要素もある。距離の問題もある。給食なんて最後でいいと考える奴もいる。どうせ食べ始め一緒なんだから

 

だから、私は給食を早く座った班から取りに行く許可を出す方式は嫌いだ。それよりも早い人から個人で順に取りに行かせた方がよい。手洗いが終わった生徒からどんどん行った方が、なぞの最初の空きの時間がなくなる。遅い生徒はそれを見て急ごうとする。実際クラスを動かしててもそのほうが上手く行く

 

なんでそういう何も考えずに何かやってる感を感じたいがために変なルールを持ち込んで一見正しそうなことを何も考えずにやりたがるのか?そしてそのやり方で統一しようとする。

 

給食を減らす人は最初に減らさせておくと、片付けの時に一年間残しがまったく出ない。これを3年間経験した。しかし、新しい副担任が「なるべく給食を戻させないように」とのことで、ごちそうさまのときに、バンバン食べれなかった給食が戻されて時間がかかって仕方がない。

 

白衣ロッカーは使用させず、机の横に白衣をかけさせるとよい。しかし、副担任が白衣ロッカーを使用しなきゃダメだということで、使用。その結果、給食を食べるのが遅くなる。ロッカーに並んで白衣をかける順番待ち。白衣の取り違えも起こるし、持ち帰るのを忘れる。

 

目的が意識させることではないし、集団作りでもないから。目的は給食を効率的に動かして早くいただきますをさせるほうに重きをおいて目的があるから。第一、水道は他クラスも混ざって混んでいるから早いか遅いかなんて運にもよる。

 

体育や美術の移動のときは、早い生徒から順に行かせたいのに、教師3年目のバカが、並んで行かせないとだめです。バラバラ行かせるとうるさいし勝手に行動するし、遅い人が急がないし勝手な行動取るから。だそうである。バーカ。なんでこんなバカが作ったルールに従わないといかんの?周囲も説得された

 

係が仕事をサボっていないか、評価するシステムが必要。日直がよい点を書くということにする?帰りの学活で週に一回振り返らせる?学級委員のチェック表を作成する?学級委員チェック表でも作るかなあ

 

どうせ生徒同士に決めさせてトラブルが生じたら、責任は担任の学級運営ってことになるんだったら、はじめから生徒に決めさせないでトラブルが起きないように教師が決めてしまえば良い。

 

 

 

 

 

縄文時代を想像してみて欲しい。学校なんて存在しなかった。

 

ところが、江戸時代に寺子屋のようなものができ、明治維新後に本格的に現代のような学校教育が始まった。

 

当時は、読み書きソロバンのような学問を教えるだけの場所だった。

 

ところが、

 

美術の時間に作った作品をそのまま持ち帰らせるのはさみしい。

どうせなら、展示してみよう。

だったら技術もそうだ。

だったら、美術や技術の時間に作った作品を展覧しよう。

 

とまあ、ここまでは許せる。

 

しかし、だ。

 

これが当たり前になってくると、次は、

 

だったら展覧会にしよう

だったら、音楽も入れて学芸発表会にしよう

だったら合唱は朝練習の時間を入れて得点化しよう

だったら放課後練習の時間も入れよう。

さらに特別時間割を組もう。

だったら、外部から音楽の専門家を呼んで採点員してもらおう

だったらついでに歌唱の指導をしてもらおう

だったら、演劇部の発表も入れよう

だったら学芸発表会なのだから劇も入れよう。だって学年の発表がないではないか。

学年の発表も入れよう。

だったら保護者も呼ぼう

だったら地域の人も呼ぼう。会長とかPTAとか

だったら駐車場の整備する人が必要だし、自転車置き場の配置も必要だ。

地域の人に手伝って貰おう。もはや学校だけの人員では対応不可能。

地域が学校教育を手伝ったのだから、今度は学校が地域のお祭りに強制参加させられることになる

 

 

 

こうして、学芸発表会とは本来は授業で作品を作るだけだったのが、

いつのまにか、発表する場を設けたことで、学芸発表会に発展するわけだ。

そのための、朝練習や放課後練習、時間割の変更と保護者や地域対応とその計画。

 

そのため、教員の労力は膨大にふくれあがる。

 

運動会だってそうだ。もともとは体育の成果を走ったりして会にしただけのもの。

それがいつの間にか、組体操やダンスなど、運動会のための発表になっている。

 

ちょっと待って欲しい。

そもそも違ったはずだ。

 

修学旅行もそうだ。どんどん学校教育が肥大化している。ビルドアンドビルドだ。これはおかしいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いじめに対してクラス全体にベテラン教員が指導した話

 

・生徒のした悪いことを具体的に言って、どう思うか?と問う。

・どう思っているの?

・自分がされたらどう思うの?

・苦手なことあるでしょ。俺もある。みんなもあるでしょ。でも放課後がんばってる。がんばった一緒に。

・勉強が出来なくてやることやってないから、いじめていいなんて理由にはならない。別の問題だ。

・わからなかった わかれよ

・どうしたらこれが収まったの?◎◎さんが学校に来なくなったら終わるの

・そうなったらどう責任とるの?

教科指導専門員はアドバイスをする人だ。一方、私はアドバイスされる側だ。そして、アドバイスは真剣に、真面目にするべきで、軽い気持ちや思いつきでアドバイスすべきではない。適当なアドバイスをされ、それを受け入れるということはそのまま生徒に返っていくことを意味する。こういう気持ちでいる。

だから、教科指導専門員に雑談するように思いつきでアドバイスをされると、私は素直に受け入れない。

 

先日、指導員の方から以下の話があった。

「教科書の例題を、教員が説明後、「問い」は生徒に黒板に出させてやらせるべきだ。」

「教員が解説するのではなく、生徒達自身で気付かせないとダメ。教員の解説なんてスルーされるよ。」とアドバイスされた。

 

私は以下の通りに答えた。

「それはその通りだと思う。だからこそ私はワーク演習させている。教科書の問いでそれをやると、例題には問いにあるような問題が包含されていない。だから例題では教えられない部分が出てくる。だから例題ではダメだと思う。そんなのは乱暴だ。」と。

「また、生徒を前に出しても、途中式がメチャクチャだし、字が汚いし、途中式の順序もグチャグチャだし、読めないし、プラスやマイナスが適当だし、手順もグチャグチャだ。だから問いは生徒を前に出さない。」と。

 

また、

「生徒に書かせることで生徒のつまづきがわかるでしょ。書かせないとわからないじゃないか。先生はどうやって生徒の躓きを見ているのか?」と嫌らしく聞かれた。

 

いや、その方法だと生徒の躓きはわからないと思います。だって、指名した生徒の中には、たまたまできる生徒も出来ない生徒もいる。

 

で、その「たまたま偏差値70の生徒ができたのだから、生徒は躓いていないと結論するのか?」「たまたま偏差値の20の生徒が前に出てできなかったから、全生徒が躓いている。だから解説する」なんて、そんなやり方は雑すぎる。

 

多くの生徒ができていないのに、前の生徒ができてたら解説しないで教えない内容も出てきてしまう。

逆に、多くの生徒が出来ているのに、たまたまそのとき前に出した生徒が出来ていたから解説しないってことも起こる。

 

そんないい加減で適当なやり方でいいのか?私にはそんな雑な授業できません、と言った。

 

躓きを見るのはワークだと答えた。

レベルアップしてください。小学生ではなく中学生になりました。

要求されているレベルが違うということです。

今まで複数の先生方から講評をいただきました。

 

たとえば、少数のために全体がブチ壊れるって話もありました。

声かけが毒があるという話がありました。

 

運動会とか行事は何のためにやるんですか?

 

自分だけが楽しい思いをするからやるんですか?

おせえよ、って言うためにやるんですか?

喧嘩するためにやるんですか?

 

運動会が終わってからクラスが崩壊したとか、クラスが悪くなった、というのでは運動会をやる意味がありません。

 

ぜひ、クラスの仲が深まった、団結できた、今後の学校生活をこのメンバーで前向きに頑張りたいと思えるようになった、

いい空間づくりができた、今後益々頑張れる、そう思えるような運動会にして下さい。

卒業式前日の学年主任の言葉

 

ちなみに、卒業式当日は朝バタバタしていて学年主任の一言がない場合が多い(朝の打ち合わせがないため)

 

・3年間ありがとう。愛情かけてくれてありがとう。

・授業、行事等で成長できた。

・廊下などでも。

・彼等は小さいことも覚えている。先生方とのやりとり

・日々の作文などをみても成長したことが書かれていた。

・授業中怒られたことも今後の糧になる。

・卒業式のご準備ありがとうございました。

・最後までよろしくお願いします。

 

※通り一遍の文言の中に「生徒の作文」を入れるだけでオリジナリティが出る。

 

卒業式後の学年主任の言葉

・改めまして、ありがとう。旅立ちました。

・準備片付けありがとう。お陰で呼名に専念できた。

・最後の委員会の様子

・彼等も何かを感じていた。

・卒業後も彼等が立派に成長を続けることを願って終わりにしたいと思います。

・ありがとうございました。

PTA運営挨拶内容「進路に向かって頑張っている。皆やる気がある。いままでやらなかった子も周囲に影響されて頑張ると書いており、頑張っている。環境って大事。人を含めた。勉強以外でも掃除を残ってやる子の周囲には助け合いがある。黒板を皆で消す。合唱際も団結してよい環境をつくり団結したい。」

他人の授業を見ての感想

 

・音がほしい

・ICTパソコンなんて使わないほうがわかる。不要な手順を入れるってことで、指導案のための指導案になってしまっている。

・ひとり一台はgood。教員の指示が下手でも何か勝手に生徒はやっている。

・クラスルームでチャットを使えないか?

・理論ではなくて教材を教えて欲しい。

運動会も終え、修学旅行も終え、三者面談も終え、

いままでやってきたことが開花してきた。

進路に向けて落ち着いた集団のため進路に集中できる。

 

意識が進路に向かうと行動できるというスパイラル。

 

これが悪い集団だと、そわそわして逃げる。

 

合唱も頑張る。

 

成長して大人への一歩として欲しい。