【GHQ】神社→公民館?→コミセン?【日本弱体化?】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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 ネットで右寄りの言語空間に入ると、神道・神社、そしてGHQによる占領政策の話題がよく出てくる。

 その中に、「GHQは日本弱体化のため公民館を設置した」というものがある。

 どういうことかというと、GHQは、神道を危険視しており、集会所としての役割を担っていた神社からその役割を奪うべく、公民館を設置した、という具合だ。

 「神社 公民館 GHQ」で検索すればこの手の記事はすぐに見つかる。

 たまたまヒットした田母神俊雄氏の記事を紹介する。

 日本真正保守党…。懐かしい…。

 

 

 

「田母神俊雄の政治理念」 田母神俊雄ブログ2014年7月11日

 

3. 「ふるさと日本」を取り戻す
戦後我が国の地域共同体は、見事に壊されてきた。2DK住宅が多く造られたことによりじいちゃんばあちゃんが一緒に住む大家族制度が壊された。じいちゃん、ばあちゃんが一緒に住んでいたから、子供が学校から帰った時、両親が仕事に出ていても問題は無かった。お年寄りの生活の知恵や伝統・文化が孫に伝えられ世代間継承が行われていた。お年寄りは50歳もすぎると隠居して、息子夫婦に面倒見てもらうという形が一般的であった。しかし大家族制度が壊され、これが今日の年金問題、介護の問題の背景にある。またじいちゃん、ばあちゃんが一緒に住めば、子供の虐待や親殺しなどもなくなるであろう。


昔は地域共同体の中心には神社があり、地域の集会は神社で行われていたが、全国津々浦々に公民館が造られて神社と日本国民が切り離されてしまった。家の制度も無くなり家督相続制度も無くなってしまった。今のままでは田舎の荒廃が進むであろう。日本の国が隅々まできれいに維持管理されているのは田舎で農地が維持されているからである。休暇でリゾート施設に行けるのも田舎に住んでくれる人たちがいるからである。


所得税も全国一律だから、みんなできるだけ便利な都心に住もうとして、人口の一極集中が進む。私は、都会と田舎の税率を変えたり、家単位の課税、家督を一人で相続する場合は相続税を無税にするなどして、家を中心とした地域共同体を取り戻したいと考えている。民主主義の社会だからそんなことを強制することは出来ないが、私は青年団、消防団などを含む昔の地域共同体を取り戻す方向に国民を誘導したいと思う。

ふるさと日本を取り戻し、日本国民が安心して生活できる日本を目指したい。昔の日本は入院保険も要らなかった。隣近所がみんなお見舞いをくれるので手術代を払ってもおつりが来た。現在進められている子供やお年寄りの面倒を出来るだけ公のシステムで行うという方向を改めて、各家庭で面倒を見ることが中心で、公のシステムはあくまでも補助的な位置付けにすべきではないかと思う。

また今の日本は女性が全員働く社会を目指しているが、女性は専業主婦でも生活できる社会を目指すべきではないかと思う。もちろん能力も意欲もある女性は働けばよい。それに反対しているわけではない。しかし日本の多くの女性は仕事をしたくて働いているのではなく、家計を助けるために働いている。ならば目指す方向としては女性が働かなくとも生活できる国を目指すべきではないだろうか。女性がみんな働くようになれば少子化の問題も深刻化すると思う。昔のように女性の多くは、次の世代を担う強い男を育てることにがんばってもらえばよいのではないかと考える。」

 

 

 

 

 

 

 

 当初、私はこういう言説を信じていた。

 しかし、時をおいてあらためて考えてみると、集会場所が神社から公民館に移ったからといって、日本弱体化になるのだろうか。

 集会そのものは禁じられていないし(日本国憲法21条は真っ先に集会の自由を保障する)、別に神社で集会することを禁じられているわけでもあるまい。

 それに、地域の絆は神社でのみで形成される、公民館では形成されない、などという理屈はないだろう。

 確かに、神社としては、神道指令によって政府からの財政支援を失った上に使用料収入まで減り、維持が難しくなったと言えるかもしれない。しかし、もともと民社や村社と呼ばれる日本のほとんどの神社には、政府からの予算は出されていなかったし(山村明義「GHQが洗脳できなかった日本人の『心』 アメリカの占領政策を必ず乗り越えられる日本」(KKベストセラーズ、2016年)87ページ)、使用料収入などたかが知れているだろう。

 神社の収入源といえば、初詣が思い浮かぶ。確かに、GHQは、町内会などによる神社への奉納金を禁止した(山村後掲「GHQの日本洗脳」181ページ)。では、個人の参拝・寄進はどうだったのだろう。あくまで信教の自由は保障されていたわけで、案外、個人の行為には大して影響はなかったのではないか。

 占領下での統計は存在していないようだが、神社数には特に大きな減少はなさそうである(「宗教関連統計に関する資料集」(文化庁文化部宗務課、平成27年3月)12ページ)。財政難で神社がバタバタ倒れた、という事実は窺えない。そもそも、神社および神社を中心とした共同体を潰すのであれば、神社を破壊してしまえばよい。公民館設置などというまどろっこしいことをする必要などない。それだと抵抗があまりに大きいから公民館設置で「ゆでがえる症候群」を狙っているのだ、という反論はありそうではあるが。

 公民館で集会すると神社を中心とする地域共同体が崩壊して日本弱体化、というのは、飛躍だと思える。

 確かに、神社は地域共同体の中心ではなくなったのだろう。現に、私も、神社を中心とした生活などしたことがない。しかし、それは神道指令による教育や公共施設などからの神道排除によるものであり、公民館設置の果たした役割など微々たるものであり、取り立てて目の敵にするほどのものではないように思う。

 

 

 

山村明義 「GHQの日本洗脳 70年続いた『支配システム』の呪縛から日本を解放せよ!」 (光文社、2014年)

 

96ページ

 

「 『教育四大指令』のなかで、とりわけ奇妙なものは、三番目の『神道指令』である。彼らが行った『教育改革』のなかに、なぜ『神道改革』が含まれたのだろうか。

 実は、GHQは、日本人の『教育』を変えるためには、日本の『マスコミ』や『宗教』を改革しなければならないと考えていた。日本の教育現場の背景から『神道的なもの』を取り除き、それが日本人教育のためになる━━とマッカーサー自身が考えていたからである。その理由と内実は後で述べる。」

 

177~184ページ

「 最近の占領期研究では、神道指令については新たな事実が次々と判明している。例えばそれは、マッカーサー自身が、日本人全員をキリスト教徒にしてしまおうという『キリスト教国化計画』を密かに抱いていたことである。

 約70年前、日本人は『神道指令』によって、プロテスタントなどのキリスト教徒が多かったGHQから、日本固有の『宗教』が取り上げられ、日本人の『魂』を入れ替えるという、欧米人による日本人の『精神洗脳』が行われたのだ。

 いまでも『神道』というと、『神道=国家神道=軍国主義』であるとか、キリスト教に比べて『遅れた宗教』と連想する日本人がいるが、これはGHQが抱いた価値観である。日本の神道は古代から現代にかけ、天皇陛下を始め、日本人の精神性の中心に位置する日本人が強くたくましく生き、安らぎを得て自らの生活を守るための精神性であった。

 また、伝統文化的にも『歌舞伎』や『能』、『狂言』、先に述べた『相撲』や『剣道』、『合気道』などは、歴史的にも神道とは切っても切れない深い関係にあった。本来は『軍国主義』とは無縁で、地政学的にも諸外国と違って台風や地震など天変地異の多い日本では、大自然そのものを『神』と見立てて、最も大切に扱って来た日本人の精神性であった。

 ところが、GHQが『神道指令』を出して以来、その精神性は、ほぼ日本社会から駆逐されてしまう。これは『戦犯逮捕』などの処分に次ぐ早い措置だった。

 なぜ神道が日本から駆逐されたのか。

 これまでの歴史では、『日本人に信教の自由を生かすため』となっているが、実は、連合軍が日本を『キリスト教国』にするためであった。GHQを率い、米国聖公会に属するキリスト教徒であったマッカーサー自身が、こんな驚くべき発言を行っている。

『日本の精神的空白を満たすために、宗教を回復させ復活させることが神の兵士としての私の使命である』として、『キリスト教のゆるぎない教義に占領政策のあらゆる面を適合させ、また占領軍の全員が常にそれを実践する』と宣言し、さらには、『日本人の7000万人はキリスト教になる』とその狙いを明かしているのである(『日本占領と宗教改革』(岡﨑匡史著 学術出版会)による)。

 事実、マッカーサーは日本人を単なる『12歳の少年』だと考え、『日本のキリスト教化』を信念としていたと岡﨑は記している。日本人は精神的にも未熟で、キリスト教の教えがなければ、生きていくことが出来ないと確信し、彼らにとっての『精神的解放』を実施したのである。だからこそ『神道』を『国家神道』と位置づけ、『軍国主義の精神性』として、話を完全にすり替えたのだ。

 現代の日本人にも、このマッカーサーの宗教観と思想がいかにおかしいかはすぐにわかるだろう。マッカーサーは、『日本は敗戦したから精神的にボロボロになっていて、キリスト教をすぐに信じる民族である』といっているに等しいからだ。

 そこには『モデル』があった。マッカーサーはフィリピンを『第二の故郷』としてこよなく愛し『フィリピン解放』を行動基準としていた。スペインの支配以来、全国民の80%がカトリック信徒のフィリピンは、アジアでも有数のキリスト教国として知られる。

 マッカーサーはこう語った。『日本を訪れるキリスト教宣教師たちに、いかに宣教師の活動が日本に必要であるかを強調した。日本に来る宣教師が出来るだけ増え、日本にいる占領軍は出来るだけ減ることが望ましい』。実際に、マッカーサーは、日本に着任するや、3000人以上の宣教師を米国だけでなく世界から招聘し、日本全国に聖書を大量に配布し、徹底的な布教を行った。なかには同じ敗戦国ドイツから来た宣教師もいた。

 マッカーサーが『神道指令』を出したのは、国家の中枢にあった神道を『国家神道』として国内から駆逐し、日本を『第二のフィリピン』にしたかったからなのは明らかである。

 現在、GHQの残した歴史資料は続々と発掘されている。とりわけその史実として注目されるのは、GHQが本来の目的とされる『信教の自由』に違背する行為を行いながら、キリスト教徒の集団として、日本の神道を、日本人の精神性の象徴として『偶像崇拝の神道』と蔑み、徹底的に破壊しようとした事実である。

 『日本人宗教洗脳』の担当部署は、OWI(戦時情報局)の流れをくんだCIEであり、『宗教課』がその策の具体化を担った。その内容は、何も『神道』が『国家』から分離されただけではなかった。『軍国主義の象徴』として見られる乃木神社や東郷神社を廃社し、靖國神社を取り壊して『ドッグレース場』に改造するという計画まで持ち上がったのだ。その無謀な案を実現化しようとしたのは、OWIで心理作戦を展開していたCIEのケン(ケネス)・ダイク局長である。

 その結果、昭和21年までに公立私立の学校の神社や神棚のみならず、病院や療養所などの神棚まで破壊された。神道に関わるものは、学校の神社参拝から駅頭の門松に至るまで、すべて撤去させるほどの厳しさであった。「SCAPIN」により隣組や町内会などのよる神社への奉納金を禁止し、公共施設での慰霊や鎮魂の儀式を止めさせ、忠魂碑なども次々に破壊させた。そのため、戦争で亡くなった犠牲者の慰霊や葬儀すら出来なくなり、東日本大震災では日本の国家や地方公共団体主催で『慰霊』すら出来なくなった。

 戦没者に対して、これほど厳しい仕打ちを行う国家などは、先進諸国には存在しない。

 戦後の日本人の多くは、神道や仏教といった伝統宗教を疎んじ、徹底した『無宗教』となった。一方、ユダヤ人は自らの宗教思想を強めて乗り切ってゆき、最終的にイスラエルを建国した。日本では敗戦後、GHQから『信教の自由』を与えられたというが、これは大きな間違いである。正しくは、米国のプロテスタントなど各派のキリスト教や新興宗教が、「新たに日本で無制限に布教できるようになった」というべきであろう。

 実際に、戦後神道系の大学は、神宮皇學館が占領修了までに廃校になり、一校も建てられなかったにもかかわらず、キリスト教学校は軒並み増えている。

 しかし、戦前の日本人にも、あくまで「個人の信仰の自由」は存在していた。その証拠に、戦前も日本人は神儒仏いずれかの宗教思想を持ち、大らかに自らの信仰を論じ合う風潮があった。むしろ戦後になってからは、『信仰の自由』という表面的な観念が広がったため、『個人の信仰』を密閉してしまい、その隙間に『オウム真理教』や『統一教会』といった『カルト的』な新興宗教が入り込んで、徹底的な布教を開始した。

 戦後日本は、古代から『多神教的』だった日本人本来の『自由な宗教空間』を奪われ、抵抗力を失った多くの日本人たちが『一神教的』になり、その歪な空間に甘んじた。

 それでもGHQは、神道への『宗教圧迫』を止めようとしなかった。占領下の昭和27年、日本でプロテスタントによる『キリスト教大学』の計画が具体化した。現在、東京・三鷹の約46万4000坪の広大な土地に立つ国際基督教大学がそれである。前出の岡﨑によれば、国際基督教大学の『土地の一部は『農地法』で保護されており、自由に転売することはできない仕組みになっていたが、GHQの交換が日本政府に大学建築の土地を確保するために購入許可を与えるよう命令したため、容易に土地を得ることができた』という。

 その土地は、戦時中に『隼』、『紫電改』などの高性能な戦闘機を作っていた『中島飛行機』(戦後は富士重工業)の所有で、戦後GHQによる財閥解体と公職追放により会社を追われた中島(知久平)が手塩にかけた土地であった。

 一方の日本人もマッカーサーを『神』と崇め、占領終了直前に、彼に感謝した一部の日本人によって、『マッカーサー神社』の創建が計画されていた。GHQに日本人の精神だけでなく、資産まで奪われた相手の元帥を崇めようとした戦後の歴史は、あたかも凍てつくように笑えないブラックジョークのようだ。

 また明治維新以来、日本人最高の『道徳』であり続けたのは、『教育勅語』であった。『教育勅語』も『日本神話』も、同じように悲惨な歴史を辿った。『古事記』と『日本書紀』は、GHQ傘下のCIEの指示で、教育現場から消された。さらに、日本人の道徳や倫理などが記されている何の問題もない『教育勅語』まで消し去ってしまったのだ。

 『東アジアの小国』として見られていた日本が、西欧列強に追いつき、追い越してきたのは、『富国強兵』、『殖産興業』など明治政府の政策もあったが、その精神的な支えとなってきた神道や儒教であり、その集大成が、明治の元勲の手による『教育勅語』であった。

 いずれにせよ、これらの『日本精神の改造計画』については、GHQとマッカーサーが『大成功』だったのか、『大失敗』だったのかは立場によって見方は分かれよう。

 だが、キリスト教の布教は、ポツダム宣言以来のGHQの方針である『信教の自由』に縛られたため不可能となり、いまだに日本国内でのキリスト教徒は、カトリックとプロテスタントを合わせても3%に満たない人数となっている。天皇陛下ご自身も神道式で行われる宮中祭祀を大切に執り行われている。

 マッカーサー自身が『精神的に空白な12歳の少年』だと思い込んでいた日本人は、古来から勤勉で高邁な精神性を持っていた。

 日本人は、伝統的な精神文化のみならず、現代的な文化、秩序、技術、勤勉性などを見ても高い水準にある。また、日本には少なくとも2000年以上の歴史があり、長い時代で培った思想や哲学、宗教、科学、文化があった。

 平成25年10月、第62回の式年遷宮を迎えた伊勢神宮には、年間で1400万人を超える参拝者が集まった。いうまでもなく、伊勢の神宮は、天皇陛下の祖先である天照大神を祀る日本の神社の中心である。日本の全人口の10分の1以上が参拝したこの年、日本では何かが変わり始めた。実際に、『GHQに迎合した者は滅び、GHQに切り返した者は生き残る』という鉄則通り、神道は立ち向かったからこそ、生き残っている。

 戦後のGHQ支配による『自由主義』と『民主主義』の『虚飾』と、宗教や文化の押しつけによる『欺瞞』については、これから後世の日本人が間違いなく続々と真の歴史的事実が証明するだろう。日本人はその試練に耐え、いま新たに蘇りつつある。」

 

 

 

 

 

 

 ところで、この記事を書くまで私も理解が曖昧だったのだが、公民館コミュニティーセンター(コミセン)の関係をご存じだろうか。

 私は両者を同一のものだと思っていた。現に、例えば、「名古屋 公民館」で検索すると、コミセンと公民館が両方ヒットするサイトもある。

 

 

 

 

 実は、両者は別物である。

 公民館は、社会教育法に根拠がある(昭和24年6月10日施行)。設置主体は教育委員会である(「地域運営組織:地域課題解決×地域資源活用 1 資料1」邑南町HP)。

 地方自治法244条1項の「公の施設」にあたり、条例に基づいて設置される(「公の施設とは」内閣府HP)。

 昭和21年7月5日の文部次官通牒「公民館の設置運営について」によって発足した(菅井和子「公民館の設置運営に関する研究--公民館の誕生」(日本大学教育学会紀要、1986年(通号20))51ページ)。

 GHQによる占領統治下で制定されている(サンフランシスコ講和条約は昭和26(1951)年9月8日署名、昭和27(1952)年4月28日発効。)。

 しかし、市町村教育委員会の発足が昭和27(1952)年であり、公民館制度の本格的な運用開始は主権回復後のようである(公益社団法人全国公民館連合会「公民館は、どう『語られて』きたのか? 戦後七〇年の議論から考える公民館のこれから」12ページ)。

 本記事を書く際、「(GHQは、)神社と地域社会とを分離させて、神社に代わる地域共同体の中心として、『公民館』を作りました。当時の公民館では、皆を集めてハリウッド映画などの娯楽を楽しませたそうです。あらゆる場面で日本人の意識改革を促す工作がされていたのだと想像します。」という記事を見つけたが(「GHQが行った日本弱体化政策「神道指令」」国難に備えてnote2022年1月6日)、GHQによる占領統治下では公民館は本格運用されていないはずであり、このような工作活動はなかったと思われる。

 また、GHQが日本解体のために公民館を重要なものとして位置づけていたのであれば、占領下で政府主導で予算をガンガンつけていてもよさそうだが、原則として自主負担だった(菅井同上54ページ)。

 公民館政策に影響を与えたものとして、文部省公民教育課長の寺中作雄のいわゆる「寺中構想」がある(「公民館の建設」)。

 菅井和子氏によると、寺中構想は、「そうした『公民館』と『公民』としての国民との関係のとらえ方というものには,戦前の体制側からの教化活動的な考え方に通じるものがあり,天皇制国家の下での国家への奉仕という精神に貫かれた皇国民の育成ということに通じるものがあると考えられる」との評価であり、日本解体を意図したものではなさそうである(同55ページ)。

 私の勝手な想像だが、GHQによって神社が地域共同体を繋ぐ機能を失うことから、神社に代わるものとして、公民館構想が出て来たのではなかろうか。

 

 

 

「社会教育法」

 

「第一条 この法律は、教育基本法(平成十八年法律第百二十号)の精神に則り、社会教育に関する国及び地方公共団体の任務を明らかにすることを目的とする。」

 

「第二十条 公民館は、市町村その他一定区域内の住民のために、実際生活に即する教育、学術及び文化に関する各種の事業を行い、もつて住民の教養の向上、健康の増進、情操の純化を図り、生活文化の振興、社会福祉の増進に寄与することを目的とする。」

 

 

 

 

 

 

 

 コミセンは、地方自治法244条1項の「公の施設」にあたり、条例によって設置される(「公の施設とは」日置市HP2019年9月6日)。

 設置主体は首長部局である。運営主体は、公民館が設置主体と同じく教育委員会なのに対し、コミセンは、地元住民等である(上記邑南町HP)。

 昭和46(1971)年、「自治省が全国40地区にモデルコミュニティを指定することでスタートした」「公民館とコミュニティセンターの違いが知りたい。」レファレンス協同データベース2021年4月1日)。主権回復後に自治省主導で始まっており、公民館と出自が大きく異なる。

 コミセンの目的だが、例えば名古屋市は、「地域のみなさんが学習、情報交換のため気軽に集まれる場として、また、地域福祉活動、健康を維持・増進させる活動、防災活動など生活を安定・向上させるための活動の拠点として、コミュニティセンター等を設けています。」と説明している(「コミュニティセンターなど」名古屋市HP2023年3月20日)。

 おや? 公民館と何が違うのだろうか…。

 

 

 

 

 

 

 公民館の数は、平成11(1999)年に18,257館と、ピークを迎え、以後、減少傾向にあり、平成27(2015)年には14,171館となっている文部科学省生涯学習政策局社会教育課「過疎問題懇談会(平成29年10月2日)説明資料 公民館の現状と課題」総務省HP)。

 「平成の大合併」以降、公民館は減少し続けている(前掲(公社)全国公民館連合会「公民館は、どう『語られて』きたのか?」2ページ)。

 近年は、全国各地で公民館からコミセンへの移行が進んでいるようである。

 邑南町(島根県)に至っては、コミセンの目的を「社会教育法第20条に限られない生涯学習の振興、市民協働、まちづくり活動の推進等」とし、「誤解を恐れずに言えばコミュニティセンター化は「ハイパー公民館」化」とまで言っており、コミセンの優位性を露骨に打ち出している(上記邑南町HP。コミセンへの転換の方式のメリット・デメリットの説明など、ざっくばらんに書かれていてちょっとおもしろい。)。

 

 

 

「【教育】公民館の役割を引き継げるか、コミュニティセンター移行への論点(事例研究)」 政策立案データベース

 

「●各地で公民館からコミュニティセンターへの移行が進む

・富山県魚津市は、公民館からコミュニティセンターへの移行により「地域の野菜など有償提供(物販)が可能」と、社会教育施設から外れることのメリットを提示。

https://www.city.uozu.toyama.jp/attach/EDIT/039/039543.pdf

・大分県佐伯市は、2022年4月より4つの地区公民館をモデル地域としてコミュニティセンターに移行。

https://www.city.saiki.oita.jp/kiji0035749/3_5749_up_d2r5dzvd.pdf

・香川県高松市は、“まちづくり活動”を実践するための拠点施設としてコミュニティセンター化を推進。

https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kurashi/kurashi/community/shingikai/jokyo/h19/murei_2_rinji.files/9470_L17_H19-2R-2_komyunitisentar.pdf
(2ページ相当)

・ただ、「地域住民のつどいの場」とはそもそも公民館活動そのものではないかとの指摘もある。

https://www.mext.go.jp/a_menu/01_l/08052911/001.htm

 

 

 

おおつ市議会だより 令和2年2月1日」 大津市HP

 

地域の実情に応じ、段階的にコミセン化

 

 令和2年4月1日から令和7年4月1日までの間に、体制の整った地域から市民センター内にある公民館をコミセンへ移行。移行期日は規則で別に定める日とし、コミセン移行までの間は、引き続き、公民館として存続することとなります。
 なお、公民館の生涯学習専門員については、地域の自主的・主体的な学びの支援を行うため、コミセン化後も地域の選択した運営形態により、置くことができるとしています。」

 

 

 

 さて、「神社で集会しないと地方解体で日本弱体化」という論に立つ人は、「集会は神社でやれ!」「神社で集会しないのは売国奴!」ということになるのだろうか。

 そういう言い方は極端だとして、神社で集会をすることを求めている人たちは、果たして、地元の集会に参加したりしているのだろうか。会議の様子を垣間見たことがあるのだろうか。

 例えば、町内会。地域共同体にとって重要な組織だ。

 町内会長などが、地域共同体のことを話し合うため、コミセンで会議をすることがある。

 町内会長には高齢の人も珍しくない(後掲高蔵学区連絡協議会フェイスブック参照)。

 では、彼らに、「コミセンを使うな!神社を使え!」というのが、適切なのか。

 エアコンもろくに効いていないような神社で会議をするというのは、高齢者にはなかなか厳しいものがある。

 また、町内会長のなり手を見つけるのも大変だという話も聞いた覚えがある。神社で会議、より、コミセンで会議、の方が、ハードルは低いだろう。

 今となっては、神社での集会に固執するのは不適当だと思える。

 もしコミセンが存在せず、神社で集会をしていたら、コミセンのような施設が欲しい、と、地元から声が上がってくるのではないかと思う。

 

 

 

 

 

 

 ある程度施設の整った神社であれば、社務所や会館に会議室があって、エアコンの効いた部屋で集会を行うこともできる。

 しかし、全国津々浦々、各学区ごとに、そういう会議室を有する神社が存在するものだろうか。

 もし公民館が存在しなければ、地域によっては、エアコンの効かない神社で集会するのは嫌だ、エアコンの効いている新興宗教の会議室を借りる、などということにもなるかもしれない。

 本当にそんなことでいいのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 GHQは、日本弱体化のため、神道指令を発し、神道から特権的地位を奪った。

 公民館の設置も、占領期に決められた政策だけに、日本弱体化の意図があるのではないか、神道排斥の意図があるのではないか、とバイアスがかかってしまうが、軽々に決めつけない方がよさそうである。