【皇位継承】国民的議論が求められている?【伏見宮】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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 半年前の動画だが、YouTubeでおすすめに出てきて、見てみた。

 読売テレビニュースチャンネルのもので、旧伏見宮家伏見博明氏への、出版記念にちなんでのインタビューだ。

 

 

 

「【激白】15歳で皇族から民間へ… 旧皇族(90)が語る皇室への“思い”と手に入れた“自由”とは」 YouTube2022年6月15日

(動画説明欄)

「11宮家51人が皇籍を離脱してから、ことしで75年。皇族数が減少する中、政府の有識者会議で旧宮家の男系男子の末裔を養子縁組により“皇籍に復帰させる案”が出るなど、改めてその存在に注目が集まっています。旧皇族の一人で、今年90歳を迎えた旧伏見宮家(ふしみのみやけ)当主 伏見博明氏に、ウェークアップがテレビ独占インタビューを敢行。
戦前の皇族としての暮らしぶりや、海軍トップだった祖父・伏見博恭王との思い出、戦後、民間人になった後も「皇室を守る」信念を持ち続け、皇室行事に参加してきたこと、さらに一般人が皇室に入ることについて聞きました。(ウェークアップ 2022年6月11日放送)」

 

 

 

 

 上記動画説明欄に、「政府の有識者会議で旧宮家の男系男子の末裔を養子縁組により“皇籍に復帰させる案”が出るなど」との記述がある。

 これは昨年12月のものだろう。

 

 

 

「皇位継承 有識者会議が最終報告書 皇族数確保に2つの案」 NHKニュースウェブ2021年12月22日

 

「安定的な皇位継承のあり方などを議論してきた政府の有識者会議は22日、最終的な報告書をまとめました。

皇位継承の議論は機が熟していないとしたうえで、皇族数を確保する方策として▽女性皇族が結婚後も皇室に残る案と▽旧皇族の男系男子を養子に迎える案の2つが盛り込まれました。

 

国会の要請を踏まえて、ことし3月から議論を続けてきた有識者会議は、22日報告書をまとめ、座長を務める清家篤・元慶應義塾塾長が岸田総理大臣に手渡しました。

報告書では皇位継承について「制度的な安定性が極めて重要で次世代の皇位継承者がいらっしゃる中での大きな仕組みの変更は十分慎重でなければならない。天皇陛下から、秋篠宮さま、悠仁さまという流れをゆるがせにしてはならない」としています。

そのうえで「悠仁さまの次代以降について具体的に議論するには機が熟しておらず、かえって皇位継承を不安定化させるとも考えられる。将来、悠仁さまのご年齢やご結婚などをめぐる状況を踏まえたうえで議論を深めていくべきだ」としています。

一方、悠仁さま以外の未婚の皇族が現在、全員女性であることを踏まえると、悠仁さまが皇位を継承されたときには、ほかに皇族がいなくなることが考えられるとして、まずは皇位継承の問題と切り離して皇族数の確保を図ることが喫緊の課題だと指摘しています。

また、▽天皇が病気や事故などの際、国事行為を皇族に委任する臨時代行や、▽天皇が重い病気で国事行為にあたることができない場合などに代役を務める「摂政」といった法制度上の役割や、▽国際親善や被災地へのお見舞いなどといった公的活動を考慮すれば、多様な世代が男女ともに悠仁さまを支えることが重要だとしています。

そのうえで、皇族数を確保する方策として、▽女性皇族が結婚後も皇室に残る案と、▽旧皇族の男系男子を養子に迎える案の2つを提示しています。

女性皇族が結婚後も皇室に残る案については「皇位継承資格を女系に拡大することにつながるのではないか」などの反対意見があることに触れたうえでその子どもは皇位継承資格を持たず、配偶者と子どもは皇族の身分を有しないことが考えられるとしています。

また、旧皇族の男系男子を養子に迎える案では、戦後昭和22年に皇籍を離脱した11の宮家の子孫が考えられるとしています。

そして「国民の理解と支持を得るのは難しい」という意見に対しては、養子となったあと、皇族の役割を果たすことで理解と共感が徐々に形成されていくことが期待され、養子として皇族になられた方は皇位継承資格は持たないとすることが考えられるとしています。

さらに、旧皇族の男系男子を養子ではなく、法律によって直接皇族とする案も示したうえで、2つの案では十分な皇族数を確保できない場合に検討する事柄と考えるべきだとしています。

また、皇族の範囲の変更は行わず、皇族の身分を離れた元女性皇族にさまざまな活動を支援していただくことも考えられるが、臨時代行や摂政といった法制度上の役割は「元皇族」では果たせないと指摘しています。

そして報告書は「会議の議論の結果が国会をはじめ、各方面の検討に資するものとなることを期待する。皇室をめぐる課題が政争の対象になったり国論を二分したりするようなことはあってはならず、静ひつな環境の中で落ち着いた検討を行っていただきたい」と結んでいます。

岸田首相「大変バランスの取れた議論」

岸田総理大臣は、報告書を受け取ったあと「国家の基本に関する極めて重要かつ難しいことがらについて、大変バランスのとれた議論をしていただいたと考えている。政府としては、いただいた報告書を国会に報告するとともに、しっかりと今後の対応を行っていきたい」と述べました。

有識者会議 清家座長「慎重かつ真剣な議論を行ってきた」

政府の有識者会議の座長を務める清家篤・元慶應義塾塾長は岸田総理大臣に報告書を手渡す際「課題に真摯に向き合い、慎重かつ真剣な議論を行ってきた。わが国の未来に関わる大変重く、難しい問題だが、時機を失することなく考えていかなければならない事柄でもある。やっと肩の荷を降ろすことができ、ほっとしている。会議の議論の結果が、国会をはじめ、各方面の検討に資するものとなれば幸いだ」と述べました。

専門家「皇室制度検討する上でとても大事なところ」

皇室制度に詳しい京都産業大学の所功・名誉教授はNHKの取材に対し「国会の要請から4年がたち、これ以上先送りできないということで、政府が要請に応えたという点では結構なことだ。けっして十分とは言えないが、比較的現実的な取り組みをしようとしたのではないか」と述べました。

そのうえで、有識者会議が示した女性皇族が結婚後も皇室に残る案について「男子が極めて少ない現状では、近未来には皇室がさらにやせ細ることが懸念されてきたわけで、極めて必要であり重要だ。いちばんの対象者はやはり愛子さまだろう。外に出るのか残るのかは、人生の歩み方を変えてしまうことになるので、なるべく早く制度を手直しすべきだ」と指摘しました。

また旧皇族の男系男子を養子に迎える案については「皇室を離れて70年以上がたっている旧皇族が皇室に戻ることは現実的に難しいし、必ずしも適切ではないと考えていたが、皇室が続くためには、多少問題があっても備えておく意味で、具体的に検討していくことには意味がある」と述べました。

そして「今回の案が手がかりとなって、女性天皇、女系天皇の問題も議論せざるを得なくなると思うが、今回はやむをえない。愛子さまや悠仁さまのご結婚やその後のことがリアルに話題に上るような段階で、もう一度検討すればいい」と述べました。

最後に「戦後70年以上、ほとんど手をつけなかった皇室制度に、上皇さまの『生前退位』で風穴が開き、国民は初めて制度を直さなければいけないことに気付いた。国民の意識が変わった今、皇室制度を検討する上でとても大事なところに来ている」と述べました。」

 

 

 

 

 

 

 報告書を受け取ったのは岸田総理大臣であるが、議論が始まったのは菅内閣の時である。

 

 

 

「皇位継承、有識者会議が初会合 首相「考え方整理を」」 日本経済新聞2021年3月23日

 

政府は23日、首相官邸で安定的な皇位継承のあり方を検討する有識者会議の初会合を開いた。菅義偉首相は「十分に議論し、様々な考え方をわかりやすい形で整理してほしい」と述べた。皇位継承権の範囲や皇族の対象の変更などが論点になる。

首相は皇室制度について「国家の基本に関わる極めて重要な事柄だ」と語った。「政府として議論をしっかり踏まえて対応したい」と強調した。

会議には日本私立学校振興・共済事業団の清家篤理事長、上智大の大橋真由美教授ら男女3人ずつ計6人が参加した。清家氏が座長に就任した。

皇族数が減少する状況で、どのように皇室制度を維持するか議論する。有識者会議がまとめる論点整理を踏まえ、政府が具体策を検討する。

4月以降に皇室制度や歴史の専門家から意見を聞く。政府は天皇の役割や活動のあり方、女性天皇や女系天皇を認めるかなど10項目の論点を示した。女性皇族が結婚後も皇室にとどまる「女性宮家」の創設に関しても協議する。

現行の皇室典範は父方に天皇の血を引く男系男子が皇位を継承すると定める。いまの皇位継承者は①秋篠宮さま②秋篠宮家の長男・悠仁さま③上皇さまの弟の常陸宮さま――の3人に限られる。

 

2017年に成立した皇室典範特例法は付帯決議で「安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設など」を重要な課題と位置づけた。法施行後は速やかに政府が検討し、国会に報告するよう求めていた。

加藤勝信官房長官は23日の記者会見で、論点整理をまとめる時期に関し「特段あるわけではなく、まずは落ち着いた議論を進めてもらいたい」と語った。」

 

 

 

 

 

 旧竹田宮家の竹田恒泰氏は、「旧皇族の男系男子を養子に迎える案」を盛り込んだことを、菅内閣の最大の功績と評価する。

 

 

 

「菅さん、最大の功績です!遂に盛り込まれた旧宮家復帰案~皇位継承有識者会議最終報告|竹田恒泰チャンネル2」 YouTube2021年12月24日

 

「遂に実った!16年来の主張「養子による旧皇族復帰案」が優れている理由~皇位継承有識者会議最終報告書|竹田恒泰チャンネル2」 YouTube2021/12/25

 

 

 

 竹田氏は、後者の動画で、論壇デビュー当時、「旧皇族養子案」を唱えたところ、「旧宮家皇籍復帰案」で固まっていた保守論壇から反発を招き、中にはこの案を潰そうと議員会館を回っていた言論人もいたと語っている。

 この点、故・安倍元総理大臣の著書には、「旧皇族養子案」が紹介されている。

 故・安倍元総理大臣は、竹田氏の案を聞き入れ、これが菅元総理大臣にも引き継がれたのだろう。

 

 

 

安倍晋三 「軌跡 安倍晋三語録」 (海竜社、2013年) 88~90ページ

 

「 旧宮家の復活を

 では将来にわたって「男系」を維持するための方策はあるのだろうか。まず思い出すべきは、かつて敗戦時にGHQによって臣籍降下された旧十一宮家であろう。
(中略)
 敗戦という非常事態で皇籍を離脱せざるを得なかった旧宮家の中から、希望する方々の皇籍復帰を検討してみてはどうだろうか。
 皇室典範改正とまでいかずとも、占領体制からの復帰という観点からの特別措置法の制定により、皇族・衆参両院の正副議長・内閣総理大臣・最高裁判所長官などからなる皇室会議の議を経て、皇族たるにふさわしい方々に復帰していただくということになろう。
 ただし、敗戦後長きにわたって民間人として過ごされた方々が急に皇族となり、男系男子として皇位継承者となることに違和感を持つ方もおられよう。そうした声が強ければ、皇籍に復帰された初代に関しては皇位継承権を持たず、その次のお子さまの代から継承権が発生するという方法も考えられよう。
 あるいは、すでに国民に広く親しまれている三笠宮家や高円宮家に、旧宮家から男系男子の養子を受け入れ、宮家を継承していく方法もある。現行の皇室典範では、皇族は養子をとることができないことになっているが、その条文だけを特別措置によって停止させればよい。」

 

 

 

 

「憲法改正、慰安婦、皇位継承 衆院選にらみ保守層取り込み」 産経ニュース2021年8月14日

 

「菅義偉(すが・よしひで)政権が皇位継承や憲法改正、歴史認識問題など国の根幹にかかわる政策で積極姿勢を見せている。安定的な皇位継承策を検討する政府の有識者会議では旧宮家の男系男子の養子縁組などを初めて選択肢として位置づけたほか「従軍慰安婦」という用語は不適切とする答弁書を閣議決定した。衆院選が目前に迫る中、保守層の支持を固めたい狙いも透ける。

首相は7月26日発売の月刊誌「Hanada」のインタビューで、憲法改正について「新型コロナウイルスに打ち勝った後に、国民的な議論と理解が深まるよう環境を整備し、しっかり挑戦したい」と語った。憲法改正は自民党の党是とも強調し、次期衆院選に向けてアピールした形だ。

昨年9月に発足した菅政権は携帯電話料金の引き下げなど国民の生活に身近な課題を優先するイメージが強かったが、保守層が望んできた課題に答えを出そうとする姿勢も目立つ。首相に近い保守系議員は「思想というよりも日本の将来を左右する課題に地道に取り組むのが菅流だ」と解説する。

保守層から「大金星」と評価が高いのが、「従軍慰安婦」という表現は不適切との答弁書を閣議決定したことだ。「従軍慰安婦」は強制連行説と結び付けて使われることが多い戦後の造語だが、今回の閣議決定で中学、高校教科書への記載は難しくなりそうだ。

安定的な皇位継承のあり方についても、戦後、連合国軍総司令部(GHQ)により皇籍離脱を余儀なくされた旧宮家の男系男子が皇籍に復帰する道を開きつつある。政府の有識者会議の専門家ヒアリングでは旧宮家の皇籍復帰案に賛成する意見が相次ぎ、政府への最終報告にも盛り込まれる見通しだ。側近議員は「男系継承を確固とする方策について、首相は自ら成し遂げるという強い意志を感じる」と語った。

 

ただ、政権内には、過去に例がない「女系天皇」を容認する声も強い。母方にのみ天皇の血筋を引く女系への皇位継承は別の王朝を作ることと同義だとの懸念もあるが、政府高官は「そもそも男系で継承していくことは生物学的に無理だ」と周囲に漏らし、女系にも皇位継承資格を拡大すべきだとの持論を披露する。首相の懐刀の河野太郎行政改革担当相も過去に女系天皇を容認する立場を表明している。

男系継承維持の道筋を確固たるものにする旧宮家の皇籍復帰案が実現すれば、歴史的な偉業となる。だが、結果が出せない場合は、憲法改正や歴史認識問題でも同様に自民党の岩盤支持層であるはずの保守派から離反を招きかねない。

 

(千田恒弥)」

 

 

 

 

 

 皇位継承は、皇室典範が定める。

 皇室典範は、現行法制下では、一般の法律と同じ扱いを受ける。

 改正手続は、一般の法律と同じく、国会の議決による。

 つまり、皇室典範は、現在、民主政治の中に組み込まれており、決定権は主権者たる国民が有していると言える。

 上掲の読売テレビニュースチャンネルの動画は、最後に「安定的な皇位継承はどうあるべきなのか。国民的な議論が求められている。」と結ぶ。

 皇室典範は法律だと考えると、一般の法律のように、国民的議論を求めるのは理解できるところではある。

 

 

 

 

 

 

 自民党の二階俊博幹事長(当時)は、「男女平等、民主主義の社会であることを念頭に考えていけば、おのずと結論は出る」と発言している。

 皇室典範も、日本国憲法の下に置かれた単なる法律と考えれば、これはこれで1つの見解なのだろう。

 

 

 

「皇位継承「男女平等の社会 おのずと結論」自民 二階氏」 NHKニュースウェブ2019年11月26日

 

「安定的な皇位継承を確保するための方策について自民党の二階幹事長は、慎重に議論すべきだという考えを示すとともに「男女平等の社会であることを念頭に考えていけば、おのずと結論は出る」と指摘しました。

自民党の二階幹事長は記者会見で、安定的な皇位継承に向けた議論について「慎重を期していくことが大事だ」と述べました。

そして、女性や女系の天皇を認めるかどうか明言を避ける一方で「男女平等、民主主義の社会であることを念頭に考えていけば、おのずと結論は出る」と指摘しました。

また鈴木総務会長は記者会見で「国の根本に関わる問題だ。これから落ち着いた雰囲気の中で議論すればいい」と述べました。

一方、公明党の山口代表は記者会見で「女性天皇や女系天皇のことばの使い方や意味が必ずしも国民に十分に理解されているとは思えないところもある。国民の理解のうえで議論を進めることが大事だ」と指摘しました。」

 

 

 

 

 

 しかし、天皇の地位は、伝統の上に成り立っている。

 現代的価値を取り入れるべき場面ではない。

 一時期、「庶民感覚」という言葉がもてはやされたが、皇位継承に庶民感覚が持ち込まれれば、天皇の権威を毀損するところとなるだろう。

 民主政治なんだから国会が自由に皇室典範を改正できる、現代的価値を持ち込んでも構わない、などとなってしまうと、皇位継承が政争の具になってしまう気もする。

 それはかえって皇統の安定継承に反するであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この2年間、新型コロナウイルスで、多くの人々が苦しめられた。

 中でも、飲食店が打撃を受けた。

 何ヶ月か前、ある自民党支持の飲食店で食事をしたのだが、店主が、「我々庶民は苦しいのに、天皇はいい生活をしている。天皇は何の役にも立っていない。天皇などいなくてもいい。」と、不平不満を述べていた。

 終戦後の「国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」を彷彿とさせる(昭和21年(1946)5月19日、宮城前広場に25万人が集まり、食料を要求する「飯米獲得人民大会」が開かれた際、このように書かれたプラカードを掲げていた者がおり、不敬罪で逮捕された。所功監修「初心者にもわかる昭和天皇」(メディアックス、平成25年)86ページ)。

 こういう苦境にある人に、「天皇はかくかくしかじかでありがたい御存在なのだ」と言ってみたところで、聞く耳を持つまい。反発を買うだけだ。

 自民党支持層ですらこういう人がいる。

 皇位継承論に民意を持ち込むというのは、そら恐ろしい話にも思える。

 時の政権に不平不満の矛先が向かって政権が倒れるくらいならまだしも、不平不満の矛先が天皇・皇室に向かっては取り返しが付かない。

 

 

 

 

 

 

 

 皇室典範は、大日本帝国憲法体制では、一般の法律とは異なる扱いを受けていた。

 竹田氏と谷田川惣氏の共著を見てみたら、伏見宮の解説もあわせて載っており、ちょうどよかったので紹介したい。

 アメブロの字数制限の関係で省略しなければならない部分が多い。ぜひご自身で本書を手にとっていただきたい。

 

 

 

竹田恒泰、谷田川惣 「入門 「女性天皇」と「女系天皇」 今さら人に聞けない天皇・皇室の基礎知識」 (PHP研究所、2020年) 114~145ページ[谷田川執筆]

 

皇位継承を支える血統原理

(中略)

 皇位継承の大原則は「血統」を守ることにあります。

 それでは血統とは何か。血統とは男系、すなわち父方の血筋を代々受け継ぐことを意味します。血統の形態にあるのは「男系」または「非男系」のいずれかです。

 では、よく言われる「女系」とはなんでしょうか。女系とは母方だけでつながる血筋のことです。もし、天皇の母方だけさかのぼれば歴代天皇につながっていくのであれば女系天皇ですが、そのような血統はどこにも存在しません。

 男系・女系と言うと、男女差別と誤解する人が出てくるのですが、比較するのは「男系」と「男系でも女系でもない」になります。

 昨今言われている女系天皇というのは、正確に表現すると女系ではなく「非男系天皇」となるのです。便宜上、“女系”天皇という言葉を使用しているに過ぎず、男系に対する対比とする場合は、「非男系」と表現するのが適切なのです。

(中略)

皇室典範とは

 

 皇位継承のルールを定めているのが「皇室典範」という法律です。

 皇室典範が初めて制定されたのは明治二十二(一八八九)年のことです。それまでは皇位継承に関する明確なルールはなく、長らく慣習的に運用されてきました。明治になって欧米列強のような近代国家になるため大日本帝国憲法を制定することになり、それにあわせて皇室典範も定められました。

 ただし、皇室典範は一法律ではなく、憲法とは別の法体系に属しました。すなわち国会で議論されるのが憲法を頂点とする国務法体系となります。皇室典範を頂点とするのが宮務法体系で、改正する場合は皇族会議と枢密顧問の諮詢(しじゅん)によって行われます。

 このとき皇位継承のルールを初めて明文化するのですが、これはそのときの政治家が勝手に決めたものではありません。

 憲法と共に皇室典範を制定する責任者であった伊藤博文は『憲法義解(けんぽうぎげ)』で、「皇室典範は歴代天皇により引き継ぎ、子孫に伝えるもので、君主が任意に作るものではなく、また国民が干渉するものではない」と記しているとおり、これまで文字には書かれず慣習法として運用されてきたものを、明文としたもので、誰かが任意につくれるものではないと述べているのです。

 第二次世界大戦後の昭和二十二(一九四七)年に大日本帝国憲法が日本国憲法に改正されたこととあわせて、皇室典範も作り直すことになりました。

 新しい皇室典範は国会で審議される一般法(国務法体系)となります。ただし、その内容は旧皇室典範を踏襲しており、基本的な部分に変更はありません。それが現在まで続いています。

(中略)

戦後に廃止された一一宮家

 

 男系継承の重要性は理解できたとしても次世代の皇位継承資格者が一人だけでは現実的に皇位の男系による継承を続けるのは難しいのではないかという心配があります。

 では、どうすればいいのでしょうか。

 昭和二十(一九四五)年に第二次世界大戦で敗戦した日本は、GHQ(連合国軍総司令部)の占領下に置かれました。占領期間中に行われた政策の一つが昭和二十二(一九四七)年の一一宮家の廃止です。

 戦前には一四宮家があったところ、GHQによる皇室財産の重税措置等により、昭和天皇の弟であった秩父宮、高松宮、三笠宮を除く一一宮家が皇籍離脱を余儀なくされたのでした。

 これら一一宮家は皇籍離脱する前は当然に皇位継承資格があり、現在もその男系子孫が数多く存在しています。

 明治天皇の五人の皇子の中で成人したのは大正天皇お一人でした。そのような状況で明治天皇は皇統の護持に危機感を持っておられました。そこで四人の皇女を竹田宮、北白川宮、朝香宮、東久邇宮(ひがしくにのみや)に嫁がせられ、それ以外の宮家も含めて皇室典範制定にあたって永世皇族とされたのです。永世皇族とは子々孫々まで皇族であるということです。東久邇宮にいたっては、明治天皇の長女も嫁いでおられ、神武天皇の男系子孫であり、文句なしの血筋となります。

 また、昭和天皇の考案によってつくられた、皇族と旧皇族の親睦団体である菊栄(きくえい)親睦会というものがあり、定期的に会の集まりが開かれており、現皇室と現在でも親戚付き合いが行われています。

 二千年以上続いた男系継承を終わらせるよりも、これら旧宮家のご子孫に皇室にお戻りいただくことを先に考えるのが、ものごとの正しい順序ではないでしょうか。

(中略)

旧宮家のルーツ

 

 戦後に皇籍離脱された旧一一宮家というのは、すべて伏見宮系の皇族でした。そもそも伏見宮というのはどういった存在だったのかということをまず確認しておきましょう。

 鎌倉時代の末期になると、皇統は二つに分かれていて、第八九代後深草天皇の系統を“持明院統”、第九〇代亀山天皇の系統を“大覚寺統”と呼ぶようになりました。争わないように交互に皇位に就くことが暗黙の了解になっており、これを両統迭立(てつりつ)といいました。

 その後、楠木正成や足利尊氏、新田義貞らによって鎌倉幕府は倒され、大覚寺統の後醍醐天皇による建武の新政が始まりました。

 しばらくすると足利尊氏が後醍醐天皇の新政に反旗を翻したのですが、賊軍である足利軍は戦いに破れて九州に敗走しました。わが国では賊軍であっては勝てないことを悟った尊氏は、自分たちの軍にも正統性を持たせようとして持明院統の光厳上皇と接触します。そして、上皇の院宣を受けて次々に武士を傘下に集めて戦いに勝利することになりました。

 足利尊氏が京都に入ったあと、光厳上皇の弟である光明天皇が即位します。そして尊氏が征夷大将軍に任じられ室町幕府を開きました。戦いに敗れた後醍醐天皇は吉野に逃れました。

 ここから南北朝時代となります。持明院統が北朝、大覚寺統が南朝ということです。

 ちなみに北朝は、光厳上皇を第一代、弟の光明天皇を第二代と数えています。光明天皇には跡継ぎがなく中継ぎ的な役割でした。第三代は光厳上皇の皇子である崇光天皇が即位しました。ところが足利尊氏と足利直義の兄弟による内紛が起こり(観応の擾乱(じょうらん))、北朝が一時的に廃絶する形となったのです。内紛はすぐに収まりましたが、光厳、光明、、崇光という三人の上皇が南朝側に拉致されるという大事件が起こり、尊氏は仕方がなく後伏見上皇妃の命を受け、崇光上皇の弟である後光厳天皇(北朝第四代)の即位を実現させました。

 北朝第三代崇光上皇の皇子で、本来なら持明院統の正嫡であった栄仁親王は伏見宮という宮家を作りました。ここが旧宮家の祖である伏見宮の始まりです。

 

皇位継承危機での伏見宮の登場

 

 持明院統の正嫡であった栄仁親王は伏見宮となり、皇位(北朝)の継承は叔父である後光厳天皇の系統に移りました。

 室町幕府三代将軍足利義満の時代に南北朝が統一され、北朝第六代後小松天皇が正統な天皇として認められることになります。

 ところが、後小松天皇の子である称光天皇が跡継ぎもなく二十八歳で崩御。持明院統の後光厳天皇系は途絶えることになりました。

 このとき大覚寺統も皇位継承の期待は抱いていたものの、皇位は本来の持明院統の正嫡であった栄仁親王の系統である伏見宮に戻ったのです。伏見宮の彦仁親王が後花園天皇として即位し、伏見宮は、弟の貞常親王が継承します。

 ここで伏見宮は単なる宮家ではなく天皇を輩出した本家となる“持明院統”の正嫡の家系であるということで、御所号を加えて「永世伏見殿御所」と称することを許されます。これが世襲親王家の始まりです。

 親王とは、本来天皇の子や孫に宣下されるものですが、世襲親王家の跡継ぎは、代々親王宣下を受けることができるということです。

 この後、世襲親王家は、“桂宮”“有栖川宮”“閑院宮”とつくられていき、四宮家体制で皇統を支えることになります。その中でも伏見宮は最も古く、特別の宮家として存続し続けました。

 特に伏見宮は皇位継承危機に後花園天皇を出した現皇室の祖であり、持明院統の嫡系であるという認識があったことから、簡単には世継ぎを絶やすことはできないという強い思いの上で、代々実系を絶やさず、現在まで続いています。

 まさに皇統という血のリレーを支える伴走者の役割を果たしてきたのです。

 

伏見宮は正統な皇位継承資格者だった

 

 江戸時代のこと。後桃園天皇が跡継ぎなくして崩御されたとき。次の天皇の候補に挙がったのが閑院宮の師仁(もろひと)親王と、伏見宮の貞敬(さだゆき)親王でした。関白・九条尚実(なおざね)らが閑院宮の師仁親王を推し、後桜町上皇と近衛前久が伏見宮の貞敬親王を推して、十日間にも及ぶ議論の結果、師仁親王が即位することになりました。

 それが今上天皇の直系のご祖先にあたる光格天皇です。光格天皇は東山天皇の三世孫にあたりますが、伏見宮の貞敬親王をさかのぼれば、共通の祖先となるのが室町時代の後花園天皇の父である貞成親王。天皇となれば、南北朝時代の崇光天皇(北朝三代)か、北朝を認めなければ鎌倉時代の後伏見天皇となります。

 また、幕末、孝明天皇は幼い明治天皇がすでに誕生されていたにもかかわらず、、伏見宮と有栖川宮に譲位を提案されたことがありました。伏見宮は純然たる皇位継承資格者として当時から認知されていたのです。

 

皇統の安定性とは

 

 皇位継承資格を男系男子に限らず、女系まで拡大すると、皇位継承制度が安定するという意見があります。確かに男子だけで継承する制度と、男子も女子も継承できる制度では、女系まで容認するほうが安定性があるように見えるでしょう。

 しかし、目先の皇位継承制度が安定することと、皇統が長期的に安定することは別の話となります。一見、皇位継承制度が安定したかのように見えることが、長い視点で見ると皇室の安定を揺るがすということが十分に起こり得るのです。

(後略)」

 

 

 

 

「【竹田学校】歴史・昭和時代編(戦後)⑯~11宮家の皇籍離脱~|竹田恒泰チャンネル2」 YouTube2020年8月11日

 

 

 

 冒頭に掲載した読売テレビの動画の言うように、皇位継承に国民的議論が必要なのか、疑問がある。

 仮に国民的議論が必要ならば、メディア自身が、議論に必要な情報を適切に国民に提供すべきであろう。

 NHKが令和元(2019)年9月に実施した「皇室に関する意識調査」によると、女性天皇に賛成・女系天皇に賛成という意見が7割を超えている一方、女系天皇を「よく知っている」が6%で、「ある程度知っている」が35%だった。この35%は、聞いたことはあるが説明はできないという程度の理解だろう(上掲竹田・谷田川1ページ[竹田執筆])。

 女系天皇などの議論は、小泉政権の時から行われている(上掲安倍83ページ)。10年以上議論されているにもかかわらず、それがどういうものかを知る国民はいまだ少ない。

 メディアが十分に発信してきたとは言えまい。

 もともと皇位継承は国民的議論に馴染むか疑問である上に、このような状況では、国民的議論に委ねてよいかますます疑問である。

 

 

 

 とはいえ、国民的に関心を持つべき事柄だとは思う。

 皇位継承の安定が実現してほしいものである。

 天皇弥栄。