【安倍晋三】マリオとチャールストン【岸信介】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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 8月23日、リオデジャネイロ・オリンピック閉会式の「安倍マリオ」について書いた(http://ameblo.jp/bj24649/entry-12192834314.html)。


 

 「安倍マリオ」は世界的に話題になった。

 

 

「首相 リオ五輪マリオ仮装フル活用 G20各国首脳に好評」 毎日新聞2016年9月6日

http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160906/k00/00e/030/222000c

 

「 【杭州・影山哲也】中国・杭州で4、5両日に開かれた主要20カ国・地域(G20)首脳会議で、安倍晋三首相がリオデジャネイロ五輪の閉会式で人気ゲーム「スーパーマリオブラザーズ」のマリオに扮(ふん)して登場した演出が話題になった。日本政府高官によると、各国首脳らから「非常に高いパフォーマンス」と評価する声が寄せられたほか、「親子の会話のきっかけになった」と謝意が示される場面もあった。

 首相に感謝を伝えたのは世界銀行のキム総裁。キム氏は首相に歩み寄り、「思春期で全然口をきいてくれない16歳の息子が閉会式をテレビで見て、『安倍首相はクールだ(格好いい)』と言ったので、自分が『親しい友人だ』と説明したら親子の会話ができるようになった」とのエピソードを紹介したという。

 このほか、首脳会議の合間に、多くの首脳が「ミスターマリオ」「安倍マリオ」と首相に声を掛けた。

 首相は5日夜の内外記者会見で、「この半月で地球2周分を移動し、積極的な外交を展開している。マリオのように土管でワープできれば一瞬だが、そういうわけにもいかない」と言及。国内には「五輪の政治利用」との批判が一部にあるものの、「マリオ」ネタをフル活用している。」

 

 

 「スーパーマリオブラザーズ」は1993年にハリウッド映画にもなっているし、海外でも人気があるということはわからなくもない(http://qq4q.biz/yJzZ)。

 しかし、「マリオ」があそこまで国際的に通用するものかと、私には驚きだった。

 ところで、先日、MEGWINという日本人YouTuberが渡米し、YouTube本社で開かれるサミットに参加するという動画を見たのだが(https://www.youtube.com/watch?v=-PXxiM61MPA)、ひょっとして今年のRewindに出演するのかなと思い、過去のRewind動画を見返してみた。

 Rewindとは、その年にYouTubeで注目を集めた動画などの大まかな流れを振り返る動画だ。

 すると、2014年のRewindに、「マリオ」の土管が取り上げられていた(3分53秒~)。「マリオ」がゲーム実況動画の定番だったのだろうか。

 「マリオ」の土管は世界中で相当認知度が高いらしい。

 この動画は、昨年12月24日の記事にもリンクを貼ったもので、当時も見返していたのだが、その時は土管など気にも留めていなかった(http://ameblo.jp/bj24649/entry-12105304784.html)。

 

 

「YouTube Rewind: Turn Down for 2014」 YouTube2014年12月9日

https://youtu.be/zKx2B8WCQuw?t=3m53s

 

 

 安倍総理大臣がマリオ役を務める決め手となったのは、森喜朗元総理大臣の「鶴の一声」だったようだ。

 マリオ役探しは難航したが、こういう時に大物がいると話がまとまる。

 

 

「【リオ五輪】 “安倍マリオ”の人選は「ギリギリだった」 レジェンド、マリオに似た選手…安倍晋三首相を提案したのは森喜朗会長 閉会式企画者が内幕明かす」 産経ニュース2016年9月9日

http://www.sankei.com/rio2016/news/160909/rio1609090009-n1.html

 

「 “安倍マリオ”の人選はギリギリだった-。リオデジャネイロ五輪の閉会式で、次期開催都市の東京をアピールするパフォーマンスを企画したクリエーティブディレクターの佐々木宏さんが9日、任天堂の人気ゲームキャラクター「スーパーマリオ」に安倍晋三首相が扮した経緯などについて説明した。

 リオデジャネイロ・パラリンピック閉会式のコンセプト発表の記者会見で9日、報道陣の質問に答えた。

 佐々木さんによると、五輪閉会式で土管が日本からブラジルにつながり、閉会式の会場にマリオが現れるアイデアは企画当初からあったという。

 北京五輪ではベッカム氏、ロンドン五輪ではペレ氏が、次期開催地のアピールのために登場していたことを踏まえ、マリオ役については当初、日本人アスリートで調整。しかし、スポーツ界のレジェンドや、マリオに顔が似た選手の起用なども検討されたものの、いずれも調整は不調に終わるなど、人選は難航し、「ギリギリまで決まらなかった」(佐々木さん)という。

 大会組織委の森喜朗会長からマリオ役に安倍首相の提案があったのはそんな時で、佐々木さんは、「最初はびっくりしたが、実現するならすごいこと。チャーミングで、すてきなものになるのではないかと思った」と振り返った。

 結果的に国内外で高評価が相次いだことについては「話題となってホッとしている。ずっとドキドキしていた」と安堵(あんど)の表情を見せた。」

 

 

 話があちこちに飛ぶが、小池百合子都政が始まった。

 小池知事は、今まで積み重ねてきた行政を覆したり差し止めたりしようとしているように見える。

 これは既成政治とは違うという対決姿勢を示す劇場型の人気取りであり、また、安倍政権や自民党を揺さぶる権力闘争ではないかと勘ぐる。

 築地市場の豊洲新市場への移転は、延期など必要なく、粛々と進めればよかったはずだ。

 盛り土をする・しないの情報公開に問題ありとしても、豊洲新市場自体が重大な危険を有する欠陥品だという根拠も特にない。少なくとも築地市場よりは安全だ。

 移転延期、ましてや中止には、合理的な説明はつかないと思う。来年の都議選を見据え、何かしらのわかりやすい成果を欲しているのだろう。

 「豊洲は危険」という風評被害が拡大してしまっているが、小池知事は一体どうやって収拾するつもりなのだろうか。

 また、東京五輪の準備についても、小池知事は森元総理大臣らと対立する姿勢を見せ、今まで積み重ねてきた準備を覆そうとしているように見える。

 これにはIOC副会長から苦情が出た。

 わが国の信用に関わる。

 信用と言えば、築地にしても豊洲にしても、もはやそのブランド力・信用力が傷つくことは免れまい。江戸前の魚の信用が落ちれば、江戸前寿司の信用も落ちるだろう。食文化にしても観光業にしても、影響はないのだろうか。

 信用を築き上げるのには時間がかかる。しかし、崩れ落ちるのは一瞬だ。気をつけないといけない。

 

 

「東京五輪の3施設見直し、IOC副会長が不快感」 読売オンライン2016年10月1日

http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2020/20161001-OYT1T50001.html

 

「 2020年東京五輪・パラリンピックの開催費用の妥当性を検証している都の調査チームが小池百合子都知事に提出した報告書に盛り込まれた3競技施設の見直しについて、国際オリンピック委員会(IOC)副会長で東京大会の準備を監督する調整委員会のコーツ委員長が、都に対して不快感を示したことが30日、関係者の話で分かった。

 コーツ委員長は同日、大会組織委員会の武藤敏郎事務総長、東京都の山本隆副知事と電話会議を開いた。報告書ではボートとカヌー会場を宮城県に移すなど、施設の規模縮小や会場変更の案が示された。コーツ委員長は、宮城への移転案について「このような変更は東京の信頼を傷つける」と疑問を呈した。さらに、「これまでの説明と食い違っている。このような提言は信頼関係を壊しかねない」と話したという。」

 

 

 ところで、下記動画で、加瀬英明氏が新著を紹介する時、興味深い話をしていた(1時間49分36秒~)。

 安倍総理大臣の祖父である岸信介総理大臣が、フランスのムーラン・ルージュの舞台で「チャールストン」を踊り、「プライム・ミニスター・キシ」と喝采を受けたとのことだ。

 安倍総理大臣は夏休みはゴルフをよくしているという印象があるが、本書によると、岸総理大臣もゴルフをよくしていた。

 

 

「8/19(金)加瀬英明×倉山満『日本らしい国づくり』vol.2 〜岸信介と日本の安全保障〜 安保のここだけは押さえておいて!」 YouTube2016年8月19日

https://youtu.be/ZZqFdeiteeA?t=1h49m36s

 

 

加瀬英明監修 「岸信介 最後の回想 その生涯と60年安保」 (勉誠出版、2016年) 70~77ページ

 

パリでチャールストン

 

 加地(悦子) そういえば、煙草をやめるとおっしゃってから、もう十五年ですか、その日から、ライターも全部あげられて、帰ってらしたと、うかがいました。それっきり、二度とお吸いにならない。

 (信介) 動機はね、簡単なんです。風邪ひいて咳をする。私は鼻粘膜が弱いんですよ。

 加地 アレルギー体質?

  アレルギーね。すぐ、くしゃみをする、鼻水が出るっていう。ちょうど風邪ひいておりましてね、咳を少ししたら、お医者さんが「さっきから見てると、煙草が多いようですね。少し節煙したらどうですか」「節煙っていうのは、なかなか難しい、やめたらどうでしょう?」「そりゃ結構ですけど、やめられるもんじゃないですから」「私はやめますよ」というのが、事の起こりで。

 当時、総理やめてからですけれども、新聞記者を集めて「私はやめる。ついては君たちこの中の好きなものがあったら、持っていってください」って言って、パイプとライターをみんなくれちまいましてね。それっきり、ピシャと(力を込めて)やめたんです。

 やめるって、ひと言宣言してから、ちょっと具合が悪いからっていうんで、ハッカパイプ吸うたりなんかする人があるけれど、そんなこともしませんでね。

 加地 朝起きる時間を、ちゃんとお決めになっている。起きたら、ベッドの上で足の指をマッサージされると、うかがいました。

  指を一本一本ね。それが終わると、寝て腰を動かす機械がある。それから半分に割った竹を踏むのを百回か、二百回。それが終わると、七時のニュースですね。そして、顔を洗いにゆく。

 今年になって、ぶら下がり器もするようになった。竹踏みすんで、食事の前にぶら下がる。

 加地 朝、何時ごろお出になるんですか。

  東京が十二時になるぐらいに、十時から十時半ぐらいの間に出ます。

 加地 日石ビルのオフィスにお出になって。

 五時から日石ビルを出て、お帰りになるとずいぶん遅くなられますね。

 先生、東京にお泊まりになることもありますでしょう? 安倍先生のところに。

  ええ。たまに、朝早く用事のある時とか。

 この間、島原から小浜温泉に行きましてね。台湾の張群先生(中華民国の行政院院長などを歴任。蔣介石主席の側近)が当時、九十一歳になられる。まだ、お元気ですけどね。

 かねてから、もういっぺん日本へ行きたいと。日本に行くと、いろんなところへ連れていかれるが、特に京都と小浜温泉に行きたいと、おっしゃる。どういうことかっていうと、張群先生は京都で結婚されているんですよ。奥さんは長崎の高等女学校を出ておられる。あそこの華僑のお嬢さんじゃないかと思う。

 新婚旅行に小浜にいらした、そういうことでね。それで小浜温泉に行きましてね、そうしたら、古い名前だったのが、今、第一観光ホテルになってる。そこに大事にしてる張群先生の額と、蔣介石――蔣中正の書と額があって、見せてもらいました。両方とも立派な字です。

 今度、APU(アジア国会議員連盟)の会議があって、私が十月に台湾へ行かなきゃならん。そこで、小浜温泉の張群先生の額を、写真に撮って持っていくのと、小浜温泉にね、手焼きの煎餅があるんですよ。塩煎餅らしいけど、もう手焼きが二軒だけになってるんですね。ずっと手焼きだったんだが、みんな機械焼きになっちゃった。

 その手焼きのなにを、町長さんが九月の終わりごろ、東京へ持ってくるから、張群先生はお好きだったから、たいへん喜ばれるだろうと思ってね。

 加地 この前、奥様がお亡くなりになられたとき、お膳を差し上げなきゃいけないでしょう。お団子をお孫さんと先生が作られたそうですね。お上手でした?

 付人の方からうかがいましたが、先生のお心の広いというか、その方がまだ来たてのころ、十八ぐらいの時に、宴会があってお座敷にたくさん台を並べていた時に、慣れないもんで、粗相して何かこぼされたんです。先生それを御覧になって、すぐお座布団で隠されて、その上にお座りになったんですよ。先生はもう憶えてらっしゃらないでしょう、そういうことは、しょっちゅうしてらっしゃるからね。

 そういうところが、私が五つの時にちゃんとして下さったわけ。子供に恥をかかせないように。

  フフフ。

 加地 終わられた後、濡れたお座布団を乾かすようにって言われて、その方が涙が出るぐらい嬉しかったといわれていました。

 私が五つの時に、経験してる(笑)。本質的な人間のやさしさを、おもちですよね。

 今は写経以外、碁とか、ゴルフはなさるんですか。

  碁は昔、打ったんですけどね、このごろはありませんね。まあ、新聞の碁を読んだりしますけどね。ゴルフは一週間に一ぺんずつ、やることにしてる。

 歩くのはね、私の健康のもとだと、思ってる。一昨日、久しぶりにやってね。割り合いよかったですよ。ハーフが四十八。

 (加地)正英 でも、四十八はすごいですね。

  四十八、五十だった。

 正英 とにかく足が速いんですね。お散歩にもタッタタッタ歩かれるんで、ついていくのが大変ですよ(笑)。

  歩くのはね、のろり、のろりと歩いたんじゃ、効果がないんですよ。やっぱり散歩でも、すっすすっす歩かないとね。

 それでも、やっぱりみんな足が弱くなってるね。この間、中学校の同窓会でゴルフやったらしい。おれはやらなかったんだが。

 それで聞いてみると、カートに乗っていくんだ。「あんなのに載ったらだめじゃないか」と言ったら、「いや、楽だ」って言う。「そりゃ楽だろうけれども、それじゃゴルフやる意味なさんじゃないか」と。

 加地 先生は、器械体操は苦手だったんですけど、スキーとか水泳もおできになるそうですね。若いころは、運転もなさったんですって。

  私のゴルフは、アメリカへ行きましたのが、一九二六年、大正十五年ですよ。

 その年に、アメリカ建国百五十年のお祭がありましてね、フィラデルフィアで博覧会があった。フィラデルフィアが建国したもとですから、独立の鐘もある。私が博覧会事務官で行かされましてね。

 その時、アメリカの生活をエンジョイするために、三つのことをしよう一つはゴルフ、一つはやっぱり自動車を運転しなけりゃと。

 このごろのなにからいうと、珍しくないでしょうけど、ひとつダンスを覚えよう。この三つを、アメリカの若者の生活をエンジョイするためにやる決意をして、やったんですよ。

 ゴルフは一九二六年からですから、日本でもゴルファーをしちゃ、古いね。自動車の運転免状までとらなかったけれど、我々の事務所で雇ってる運転士がおりましてね、それに習って、アメリカ中を相当ドライブしたこともある。

 それから、ダンスも。そのころダンスはチャールストンていう、あれが流行っとった。

 加地 なさいます?

  (にっこり笑って)ええ(笑)。これがまた、非常な思い出話があるんですよ。いつだったかな、日本航空のアメリカのニューヨーク経由イギリスまでの航路が、できたんですよ。

 そのファースト・フライトに招かれましてね、イギリスでファースト・フライトが終わって、その後、イタリーやあっちこっち回って、フランスで一夜、ムーランルージュに行ったんです。

 これは田舎者の行くところだが、そうしたらある場面で、舞台のおばさんが下りてきてね、「上がってくれ」とか言う。最後に、私にも「上がれ」と言う。

 何をさせられるか、分からんけれども、上がったんですよ。アメリカの兵隊さんだとかなんとか、いろんなのが上がってね、「一番初めに、チャールストンを踊ってもらいたいが、みな踊れますか」と、こういうわけだ。

 「私は若い時、踊ったことがある」ちゅうわけで、チャールストンを踊った。その次に、パリのカンカン娘を踊らされた。たいへんよくできたとか、なんとかいう評点をくれましてね。

 とにかく、お土産に香水かなんか一瓶ずつもらって、おばさんに頬べたに、キスしてもらって、赤い口紅のあとが、残ってるんだよ。下りてきたら、アメリカの観光客がだいぶん入っておった。「プライム・ミニスター・キシ」って言って、飛びついてくるやつが、おるんですよ(笑)。

 その時にね、日本人で上ったのは俺とパリの日航のやつだったが、それはチャールストンを知らないんだ。

 正英 チャールストンって、とても忙しい踊りですね。」

 

 

 

 

 ムーランルージュの舞台でチャールストンを披露して外国人に喝采される岸総理大臣。

 リオ五輪閉会式の舞台でマリオに扮して外国人に喝采される安倍総理大臣。

 国や舞台の規模も全然違うのだが、なんとなく二人の姿が重なり合うように思った。

 

 

◆ 3日追記 ◆

 

 

「『(推薦書籍紹介番組)「岸信介最後の回想」』藤井実彦 AJER2016.10.3(cm1)」 YouTube2016年10月2日

https://www.youtube.com/watch?v=2YLwQnE12R4