【長谷部恭男】間違いだらけの憲法審査会【自民党】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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流行に浮かされずに独り立ち止まり、素朴に真っ直ぐに物事を観てみたい。
そういう想いのブログです。

「安保法制、3学者全員「違憲」 憲法審査会で見解」 朝日新聞デジタル2015年6月5日
http://www.asahi.com/articles/ASH645JDYH64UTFK00K.html

「 衆院憲法審査会で4日、自民党など各党の推薦で参考人招致された憲法学者3人が、集団的自衛権を行使可能にする新たな安全保障関連法案について、いずれも「憲法違反」との見解を示した。国会の場で法案の根幹に疑問が突きつけられたことで、政府・与党からは、今国会中の成立をめざす法案審議に影響を及ぼしかねないと、懸念する声が上がっている。

 参考人質疑に出席したのは、自民推薦の長谷部恭男・早大教授、民主党推薦の小林節・慶大名誉教授、維新の党推薦の笹田栄司・早大教授の3人。

 憲法改正に慎重な立場の長谷部氏は、集団的自衛権の行使を認める安保関連法案について「憲法違反だ」とし、「個別的自衛権のみ許されるという(9条の)論理で、なぜ集団的自衛権が許されるのか」と批判。9条改正が持論の小林氏も「憲法9条2項で、海外で軍事活動する法的資格を与えられていない。仲間の国を助けるために海外に戦争に行くのは9条違反だ」との見解を示した。」


「「違憲」参考人、推薦は「自民のみ」 船田氏が訂正」 産経ニュース2015年6月9日
http://www.sankei.com/politics/news/150609/plt1506090011-n1.html

「 衆院憲法審査会の船田元・与党筆頭幹事(自民党)は8日、憲法審の参考人質疑で安全保障関連法案を「違憲」と指摘した長谷部恭男早稲田大教授の推薦会派について「自民党のみ」だったと訂正した。船田氏は当初、自民党のほか、公明と次世代の両党も推薦したと説明していた。」


 自民党が推薦した長谷部恭男参考人が、4日の衆議院の第3回憲法審査会において、安全保障関連法案を違憲と言い、混乱を招いている。


「勉強が足りぬ国会議員」 産経ニュース2015年6月6日
http://www.sankei.com/column/news/150606/clm1506060005-n1.html

「 開いた口が塞がらない、とはこのことです。衆院憲法審査会は4日、学者を招いて参考人質疑を行いましたが、与党推薦の学者が安全保障関連法案は「違憲」との見解を示したのです。

 確かに学界では「違憲」論を唱える人の方が多いようですが、「合憲」論者も少なくありません。それなのに、安保法案に反対の姿勢を明確にしてきた長谷部恭男早大教授を与党が推薦するとは不勉強にもほどがあります。

 かつて中曽根康弘元首相をはじめ有力な政治家は、どんなに忙しくても毎朝、新聞各紙に目を通し、少し時間が空けば分厚い専門書を開いていました。

 いま、汚いヤジが横行している議場が象徴するように、国会議員の知的水準は相当低下しています。ツイッターでくだらないことをつぶやく前に、活字にもっと親しんでもらいたいものです。(編集長 乾正人)」


 私がネット保守界隈で聞いた話だと、今回の憲法審査会では、安保関連法案の合憲性は特に論じられる予定はなかったのだが、民主党の議員が長谷部参考人にこの質問を投げかけて、長谷部参考人は違憲だと答えたという流れのようだ。
 衆議院憲法審査会のHPを見てみた(http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/index.htm)。
 今回の憲法審査会の案件は、「日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(憲法保障をめぐる諸問題(「立憲主義、改正の限界及び制定経緯」並びに「違憲立法審査の在り方」))」である(http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/189-06-04.htmhttp://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/025018920150604003.htm)。
 「立憲主義、改正の限界及び制定経緯」並びに「違憲立法審査の在り方」が主題だった。こういう主題だったから、自民党は長谷部氏を参考人として推薦したのだろう。
 発言の概要を見ても、長谷部参考人の意見陳述は、「1.立憲主義とは何か①~中世立憲主義(広義の立憲主義)」「2.立憲主義とは何か②~近代立憲主義(狭義の立憲主義)」「3.近代立憲主義と硬性憲法」「4.近代立憲主義と改正限界」「5.憲法保障」という流れで、安保関連法案の合憲性については論じられていない。
 他の参考人についても同様だ(小林節参考人は違憲審査制の説明の具体例で安保法制について触れる)。
 そして、最初に質問する自民党の山田賢司議員も、安保関連法案の合憲性について質問していない。
 ところが、突如、民主党の中川正春議員が、全参考人に対し、「現在の安保法案は憲法違反か否かについて、各参考人が仮に裁判官だとするならばどのように判断するか。」という質問をした。
 不意打ちと言っていいだろう。
 中川議員の次の次に質問した公明党の北側一雄議員は質問の冒頭で「先ほどから安保法制に関する御議論が続いておりまして、きょうは私は別の質問をしようと思っておったんですけれども、あそこまで議論されましたので、少し私からもお聞きをさせていただきたいと思うんです。」と言っており、本題と違うところに議論が持って行かれているという認識があったと思われる。

 主題から外れた政治闘争的な意図のある事柄について軽々しく答えてしまう長谷部参考人もいかがなものかと思うが、長谷部参考人を選んだ船田元議員にも問題はあろう。
 確かに、立憲主義などを語らせる分には、長谷部氏で問題ないと考えられるのだろう。
 しかし、野党が主題から外れずにお行儀よく質問してくれると信じるのは、脇が甘いのではないか。
 仮に民主党を信頼するにしても、では共産党から不規則発言が出ないと信じられるのか。隙を見せたらそこを突いてくるということは考えなかったのか。
 産経新聞は船田議員の勉強不足を暗に指摘するが、むしろ「ケンカ」が下手なことの方が問題ではないか。相手はルール無用のテロリストだと思ってかからないと、簡単に意表を突かれる。
 あと、司会を務めたのは自民党の保岡興治議員だが、中川議員が主題から外れた質問をするのを制止することはできなかったのかと、素朴に疑問だ。憲法審査会では主題とあまり関係ない質問も広く許されるのが慣例なのだろうか。
 マスメディアも、場違いな質問をした中川議員を批判すべきではないか。
 ちなみに、中川正春議員は外国人参政権に賛成する北朝鮮シンパの反日極左と見られ(http://senkyomae.com/p/55.htmhttp://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4362.html)、わが国の憲法を論じるにはこの上なく不適格だ。
 中川議員は、尖閣諸島漁船衝突事件のビデオの公開にも消極的な立場で(http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010102701000557.html)、記者が中川議員にビデオの一般公開を提案すると、「それをやって、マスコミも責任をとれるのか!」などと言って、中国擁護に必死だった(阿比留瑠比「破壊外交 民主党政権の3年間で日本は何を失ったか」(産経新聞出版、平成24年)110ページ)。
 こんな敵国の手先のような男にわが国の憲法や安全保障法制を語る資格などない。

 私としては、安保関連法案は違憲だと言ったところもさることながら、長谷部恭男参考人は、本来の議題についても、山田賢司議員の質問に真摯に答えていないと思う。


「現行憲法制定の「正統性」を問う。やまだ賢司の国会質疑(2015.6.4衆議院憲法審査会)」 YouTube2015年6月5日
https://www.youtube.com/watch?v=YyLZi2zJgJg

※ 会議録
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/025018920150604003.htm


 長谷部参考人がわけのわからない八月革命説を唱えるのは仕方ない。
 日本国憲法学というのはそういうカルト宗教なのだ(倉山満「誰が殺した?日本国憲法!」(講談社、2011年)83ページ以下)。
 この黒を白と言いくるめる詭弁に帰依しないと、話が始まらないのだ。考えたら負けだ。
 山田議員は、質問の最後で、


「何か、八月革命説にしても、現状の日本国憲法というのは正しいものだ、その正しいものの正統性を証明するのが憲法学なのかなと思ってしまうぐらいで、我々政治家が現状肯定するというのは、これは政治判断としてあるんですけれども、ぜひ学界の先生方におかれては、純粋な学問的な見地からおかしいものはおかしいと言っていただいて、むしろ、憲法学界の方から、自主憲法を制定すべきだということをぜひ声を上げていただきたいなと思いながら、私の質問を終わらせていただきます。」


と言う。
 実にすばらしいと思う。

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 私が長谷部参考人が真摯に答えていないと感じたのは、ここだ。


「○山田(賢)委員
(中略)
日本国憲法は、日本国民の総意に基づいてというふうに書いてあるんですけれども、日本国民の総意が本当にあったのかということを大変疑問に思っております。
(中略)
長谷部参考人 御指摘の、日本国民の総意に基づくというその文言ですが、これは日本国憲法の第一条、天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基づく、この点を御指摘のところなんだろうと思います。


 山田議員がそんな質問をしていないことは明白だ。
 山田議員は、日本国憲法は国民の総意に基づいて制定されたことになっているのではないかと言っているのに、長谷部参考人の返答は、天皇の地位についてのもので、話がかみ合っていない。
 確かに、日本国憲法1条は、こうなっている。


「第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」


 しかし、山田議員が言っているのはここではない。
 御名御璽の前の部分だ(何て呼ぶんだろう。詔?<7月7日訂正>上諭)。


「日本国憲法」 国立国会図書館HP
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j01.html

「 朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
御名御璽
昭和二十一年十一月三日」


 確かに、この部分は日本国憲法を構成してはいない(イーガブの条文検索では、この部分が出てこない。http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html)。厳密に考えれば、長谷部参考人の答え方も理解できる。
 しかし、市販の六法を見ればわかるように、「日本国憲法」の項目の冒頭にこの部分が書かれており、これを見た者が「日本国憲法は、日本国民の総意に基づいてというふうに書いてある」と認識するのはやむを得ないところがある(正直、私もこの部分が日本国憲法を構成しているかどうかなど、今まで考えたことがなかった。)。
 長谷部参考人ともあろう大学者で、多くの学生と接してきた教授であれば、山田議員が何を言わんとしているか、文脈で分かるだろう。
 意図的に話をはぐらかしたと推測される。
 しかも、はぐらし方にも問題がある。


「○長谷部参考人
(中略)
 何か具体的な人が、天皇が日本という抽象的な存在のシンボルであるかどうかというのは、それはとりもなおさず、多くの人々、まさに多くの日本国民がそのように考えているかどうか、そのことに基づいている、そのことを素直に言っているということでございまして、天皇が日本国の象徴である、その地位は主権の存する日本国民の総意に基づいている、そのことをまさに正しく述べていることだろうと思います。」


 一見すると、もっともらしいだろう。天皇を尊崇する保守的な人こそ、頷いてしまうかもしれない。
 しかし、長谷部参考人のこの発言は、裏を返せば、民意のいくらかが天皇を象徴として認めなくなれば、天皇は象徴の地位を失い、天皇制を廃止するという憲法改正も可能だということだ
 よりによって保守系の山田議員の質問を曲解した上で、天皇制廃止に通ずる見解を述べるとは、長谷部参考人に底意地の悪さを感じる。
 勘繰りすぎだろうか(なお、「天皇制」は共産党が使い始めた左翼用語)。


倉山満 「口語訳 日本国憲法・大日本帝国憲法」 (KADOKAWA、2015年) 10ページ

[1条のポイント]
日本国憲法学では、後半の「この地位は~」の部分(みんながやめてもいいと思うんだったら、天皇制をやめてしまってもかまわない)のほうが大事ということになっています。

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「『憲法無効論など生ぬるい!①』倉山満 AJER2012.2.10(1)」 YouTube2012年2月9日 (9分27秒~)
https://youtu.be/cDFrtPYyEcI?t=9m27s



 さらに、

「○山田(賢)委員
(中略)
確かに、皆さんが受け入れたということでいえば、それは、その後六十八年間受け入れているんですから総意はあったんでしょうけれども、当時は言論統制のもとにありまして、日本国憲法に対する批判は許されなかったということがいろいろな資料で明らかになっています。

 私がまた陰謀論にくみしていると思われてもいけないので、GHQが出している資料というのがありまして、これの中を見ると、「クリティシズム オブ スキャップ ライティング ザ コンスティチューション」と書いていて、スキャップ、連合国最高司令官がこの憲法を書いたということに対する批判は書いちゃいけない、そういったことを書いたものは削除しなさいという指令が連合国においてなされているんですね。

 日本国憲法というのは、今まで大日本帝国憲法下においては、いろいろな人権が、国民の人権が制限されてきた、あるいは言論の自由がなかったといっているんですけれども、日本国憲法が施行された後も言論統制が行われていて、日本国憲法の制定過程に対する批判は許されなかった。そんな中で日本国民の総意があったと果たして言えるのか。この点について、長谷部先生、御見解がもしありましたら教えていただけますか。」


という山田議員の質問に対し、


「○長谷部参考人
(中略)
憲法の制定の経緯について情報が余り外に漏れないようになっていたというのは、これはいろいろな国の憲法についてある話でございます。

 例えば、アメリカ合衆国憲法。アメリカ合衆国憲法の制定の経緯がどのようなものであったのかということは、これは実は、マディソンという、この人も、大統領も務めた、そして憲法制定の経緯にも主要な役割を演じて携わった方ですけれども、この人のとったメモが実は頼りでありまして、かつ、マディソンのとったメモというのは、マディソンが亡くなるまでは公開をされておりませんでした。したがいまして、アメリカ合衆国憲法の制定の経緯がどういうものであったのかというのは、制定以降、非常に長期の間、公開されていなかったわけですね。

 ただ、そのことと、現在のアメリカ合衆国憲法が正統なものとして多くの人に受け入れられているか、あるいは内容が正統なものだというふうに評価されているか、それは全く別のレベルのものではないかというふうに私は受け取っております。」


と長谷部参考人は答えている。
 長谷部参考人は山田議員の質問に正面から答えているとは言い難い。
 なぜなら、アメリカ合衆国憲法の制定過程など、日本国憲法の制定過程の問題を考える上で参考にならないからだ。
 確かに、アメリカ合衆国憲法制定に当たり、アメリカ人民はマディソンのメモを知らず、制定過程の一部について批判する機会が与えられなかったとしよう(この歴史について参考になる書籍を持っていないのでよくわからないが)。
 しかし、アメリカは他国に占領されて、占領者による言論統制が行われて、国際法に反して憲法を押し付けられたのではない。むしろアメリカはイギリスから独立して憲法を制定しているのであり、占領下で憲法が制定された日本とは状況が逆だとも言える。
 また、マディソンのメモは公開されなかったかもしれないが、それ以外は公開され、さらに、人民は憲法について自由に議論できただろう。
 アメリカ合衆国憲法の制定経緯と日本国憲法のそれとは、全く別物で、参考にならない。
 それに、小林節参考人が「不完全な人間が、歴史の曲がり角で、半ば一種興奮した中で、ジョージ・ワシントンに言わせると、余り時間をかけずに憲法というのはつくらないと、とっ散らかってまとまらない。」と述べているが、当時のアメリカは州ごとにバラバラで、独立宣言を出してから12年間、イギリスが独立を承認してからでも5年間、連邦政府を作るかどうかという議論すらまとまらず、連邦憲法を作ることができなかったという事情も考えた方がいいと思う(藤井厳喜「日本人が知らないアメリカ人の本音」(PHP研究所、2011年)34~42ページ参照)。当時のアメリカは今のEUみたいなもので、州ごとに独立した国のような有様で、アメリカ合衆国憲法は州同士が結んだ条約に等しかった(倉山満「嘘だらけの日米近現代史」(扶桑社、2012年)19ページ)。TPP交渉を見てもそうだが、多国間交渉は時間がかかる。しかし、これは私見だが、対イギリスを考えると、当時のアメリカは一刻も早く憲法を制定して国を一つにまとめた方が安全保障上よかったのではないか。それで、半ば強行的だが、一部の情報を非公開にした、と。
 とにかく、長谷川参考人はあまり関係のない例を挙げ、誤魔化している。
 事例を引く時は本質を同じくするものを引くのが法学者の基本なのに、長谷部参考人はこの基本から外れ、日本国憲法の正統性を守るのに必死のように見える。

 他に、長谷部参考人は、


「○長谷部参考人 現在、憲法学界の通説と申しますか、標準的な見解によりますと、大日本帝国憲法には改正に限界がございました。それは、大日本帝国憲法のまさに基本原理と言われる天皇主権の原理、これもドイツの君主制原理を日本に導入して、天皇主権というふうに、その当時の日本の学界、それから政治の世界では呼んでいたものでございますが、これは変えられない、明治憲法の改正手続を経ても変えられない、そういう考え方がとられておりました。」


ということも言っている。
 これは日本国憲法学者のほとんどが言っているようなものなので、仕方ないと言えば仕方ないのだが、大日本帝国憲法の時代に、天皇主権が基本原理とされ、学界でも通用していたというのは、非常に疑わしい。


倉山満 「帝国憲法の真実」 (扶桑社、2014年) 35~39ページ

「 帝国憲法の時代、上杉慎吉東大教授のような極右国粋主義者は「天皇に主権がある」と考えていましたが、多数派は「天皇主権」を認めませんでした。
 そもそも「主権」には二つの意味があります。一つは国際法で「外国の干渉を排する力」とする場合の意味です。もう一つは、「その国を絶対的に支配する力」のことであり、憲法学において論じられるのは、こちらの意味です。
 右翼の親玉だった上杉や徳富蘇峰は、「日本の主権者は天皇陛下である」との主張を押し立てます。日露戦争までは、上杉の師匠である穂積八束が言いだした、「天皇主権説」が主流派です。「天皇様の下で臣民は一致団結し、戦争を勝ち抜こう」という時代には都合がいい学説だったからです。
 しかし、大正以降になると、美濃部達吉が穂積・上杉師弟に論戦を挑み勝利します。美濃部のほうが理路整然としていたからです。
 そもそも「主権」という概念は、絶対王権を正当化するためにひねり出されたフィクションです(中略)。主権が天皇にあるとするならば、天皇は日本の支配者であり、人民を煮て食おうが焼いて食おうが構わないということになります。これは比喩ではなく、「主権」とは地上において主(God)の権力を代行する力にほかならないからです。西欧の絶対君主たちは人民に対して、本当にこのように振る舞いました。
 翻って我が国の歴史では、民に対して横暴に振る舞った天皇など、神話時代の武烈天皇くらいしかいません。日本国の民は「大御宝」であるとの建前が連綿と受け継がれます。律令で定められた「公地公民」の原則は生き続けます。古代には摂関家による荘園制、中世には幕府による封建制が生まれますので、土地は臣下のものとなります。一方で、民は生かすも殺すも自由、とはならないのです。民は「大御宝」ですから、領主が勝手に家畜のように扱うわけにはいかないのが、日本なのです(中略)。
 そして、幕末に尊皇家が唱えたのは「王土王民」「君民共治」です。「天皇は民を愛し、民は天皇を慕う」のが、尊王論の根幹です。「君民共治」は西欧の絶対主義とは真逆の概念です。大日本帝国憲法の起草者である伊藤博文はこうした歴史を熟知しているので、帝国憲法の条文で一度も「主権」という言葉を使っていません。天皇は「統治権の総覧者」であって、主権者ではないのです。
 普通の人は「主権者」と「統治権の総覧者」のどこが違うのか、よくわからないと思います。これは現実的には問題ありません。
 政治学者の吉野作造も「どうでもいい」と言い切っています。吉野は「予の民本主義論に対する北氏の批評に答ふ」(『中央公論』一九一八年四月号)という論説で、君主を主権者と言おうが最高機関と言おうが同じ。ただ、通俗的には主権は君主に。そのような俗解と民本主義の関係を明らかにすることが啓発として重要と考えたと述べています。
 もちろん吉野の言説は、外国との比較で主権者をあえて探せば天皇陛下しかいないという意味です。実際には、天皇が絶対君主として権力を行使するのを戒めています。観念論にすぎないから、「主権者」でも「統治権の総覧者」でもどちらでもいいというだけです。
 これに対して、美濃部達吉は法律家として厳密に議論すべきだとの立場から、「主権」という言葉が本来持つ危険性を考え、慎重に「天皇主権」という言葉を避けました。対外的にはもちろん国家そのものに主権があるのは当然として、国内法においては主権という言葉を使う必要がないと主張したのです。
 観念論として、天皇が主権者か統治権の総覧者かでは、吉野と美濃部は立場が違います。厳密には美濃部のほうが精緻なのですが、吉野からすれば、「わかっているが、そんな細かいことは観念論なので実際にはどうでもいい」ということです。
 現実には、天皇が政治の責任を負わされることには、二人とも警鐘を鳴らします。つまり、天皇の周囲に野心家が集まり悪政を行えば、怨嗟が皇室そのものに向きかねない危険性があります。「天皇親政」を声高に叫ぶ穂積八束や上杉慎吉の学説では、天皇に責任問題が生じかねません。美濃部と吉野は「上杉説では、天皇の名前を利用した官僚政治家の悪政が生じかねない」と徹底的に論破します。
 このような経緯で、帝国憲法では「天皇主権説」は否定されました。伊藤は「主権」という言葉を帝国憲法に書き込まなかったですし、実際の運用でも天皇が主権者として人民に対して圧政を振るうということは一度もありませんでした。」

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 美濃部達吉の名前は、今の法学部生でも知っているし、高校生でも知っているかもしれない。
 日本国憲法学においては、美濃部氏は、天皇機関説を唱えたところ、政府によって迫害され、かかる過ちの反省に基づいて日本国憲法に「学問の自由」が盛り込まれた、という文脈で紹介される。
 この天皇機関説だが、標準的な基本書では、「天皇機関説は、天皇が主権者であり、統治権の総覧者であることを否定する理論ではない」と書かれている(芦部信善「憲法 新版補訂版」(岩波書店、1999年)21ページ)。
 美濃部氏は天皇主権説に反論したわけで、真逆の説明になっている。
 日本国憲法の「学問の自由」の正統性を語る時は美濃部氏を持ち上げるが、帝国憲法における主権者の理解を語る時には美濃部氏を無視ないし曲解し、日本国憲法学はこの憲法の正統性を言うために美濃部氏の権威をご都合主義的に使っているのではないかと思う。
 それにしても、大日本帝国憲法では天皇主権だった、と言うから、主権者の交代という話が出てきて、改正の限界というややこしい問題が出てきて、八月革命説という詭弁をいう必要が出てくるような気がするのだが、なぜ東大憲法学はこういう理解をするのだろう。美濃部や吉野が懸念していたように、天皇に戦争責任を負わせようという魂胆なのだろうか。

 長谷部恭男参考人は、本題の日本国憲法の制定経緯等について自分を推薦した自民党の質問にまともに答えず、他方で民主党から出た安保関連法案の合憲性という本題から外れた質問にはサービスよく答えて、一体どういう了見なのかと思ってしまう。
 ていうか、本題にもまともに答えてくれない長谷部教授を参考人に推薦した自民党は一体何だったのだろう、東大憲法学にコケにされただけではないか、とあらためて思う(長谷部教授は、今は早稲田大学の教授だが、東京大学法学部卒で、同大学の教授を務めていた。)。
 よく考えてみると、安倍自民党は自主憲法制定を目指すが、長谷部教授はこれに非協力的だ。
 とすれば、本来の議題についても、自主憲法制定につながる質問を長谷部教授に対してしたところで、積極的に答えてくれるとは期待できない。
 安保関連法案のみならず、本来の議題との関係ですら、長谷部教授を推薦するのが適切だとは考え難い。
 やはり長谷部教授を推薦した自民党の人選はおかしいと思う。

 小林節参考人は、「改正手続が存在すること自体が憲法保障」などと、おもしろい話もしていた。
 しかし、いざ「お試し改憲」の話になると、「今の日本国憲法の中にも誤字脱字はございます」と言いながら、プライバシー権などの「新しい人権」を明文化しよう、などという話になってしまう。
 「お試し改憲」なら、誤字脱字の訂正を掲げればよいのではないか。
 とはいえ、誤字脱字の訂正のためだけに憲法改正の国民投票をやろうと言うと、「そんなことのために税金を○億円使うなんて無駄遣いだ!」という反発が朝日新聞あたりから出てきそうではある(訂正せず、解釈で補うことこそ、解釈改憲のような気もするが)。


倉山満 「間違いだらけの憲法改正論議」 (イースト・プレス、2013年) 55~57ページ

「 当用憲法には一文字だけ誤植があるのをご存じでしょうか。天皇の国事行為を列挙した第七条の四号にあります。

 ◎日本国憲法
 第七条
 四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。


 衆議院には総選挙があります。しかし、参議院は三年ごとに半数の改選です。だから、参議委選挙に衆議院選挙が重なっても、必ず国会議員は残ります。よって、当用憲法が続くかぎり、「国会議員の総選挙」はありえないのです。
 ちなみに、衆議院総選挙と重なった第一回参議院議員選挙では、すべての参議院議員を選びました。当用憲法は公布されているけれども施行されておらず、まだ帝国憲法下での選挙です。この衆参同日選挙の際、当用憲法施行の日まで貴族院が残っていたので、やはり「国会議員の総選挙」ではありませんでした。
 よって、「国会議員の総選挙」の「総」の字は誤植です。
 護憲派の人たちは、この「総」の一文字を削ることも「戦争につながる」などと本気で考えているのでしょうか。誤植も含めて一字一句変えさせない、などという姿勢で憲法論議そのものを阻止するというのは、真面目に国の未来を考えていることになるのでしょうか。
 何より、圧倒的多数の日本国民は、当用憲法に誤植があることを知らないでしょう。
 だから、憲法論議の出発点は、「日本国憲法には一文字、誤植がある。それすらも変えてはならないのか」と問いかけることです。
 ちなみに、この誤植がなぜ混入したのか、を説明します。
 草案はマッカーサーとその下僚がつくりましたが、最終的に正文である日本文を確定したのは日本政府です。すなわち金森徳次郎憲法担当大臣です。金森とその部下たちは、占領下の日本国憲法制定審議に際しても「将来、国際貢献をするときのことも考えていなければならない」などと、PKOの話も話題にしているのです。PKOが現実の政治課題にのぼるのは金森たちが議論していたときから四〇年後の平成時代です。金森はもともと法制局長官を務めており、佐藤達夫ら部下たちは一文字の誤植でもあればクビになる世界に生きているのです。そんな人たちが、法律家としては簡単な誤植を見落とすでしょうか。
 これは断定できないので推測するしかないのですが、金森たちはわざと誤植を挿入したのではないでしょうか。
 当用憲法は永久不変の憲法ではなく、占領軍がいなくなったらそう遠くないうちに改正するのが大前提でした。まさか、「誤植も含めて一字一句変えたくない」とする勢力がここまで伸長するとは、誰にも予想できなかったでしょう。」

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 長谷部恭男参考人の安保関連法案違憲発言や、船田元議員の責任問題ばかりが話題になっている。
 しかし、他にも問題のある憲法審査会だったのではないかと思う。
 「戦後レジームからの脱却」への道は険しい。