【歴史】イスラムの寛容性【安倍晋三】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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「内外記者会見」 首相官邸HP平成27年1月20日
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2015/0120naigai.html

「【冒頭発言】
 まず始めに、ISILにより、邦人の殺害予告に関する動画が配信されました。
 このように、人命を盾に取って脅迫することは、許し難いテロ行為であり、強い憤りを覚えます。2人の日本人に危害を加えないよう、そして、直ちに解放するよう、強く要求します。政府全体として、人命尊重の観点から、対応に万全を期すよう指示したところです。
 今後も、国際社会と連携し、地域の平和と安定のために、一層貢献していきます。この方針は、揺るぎない方針であり、この方針を変えることはありません。
 これから、同行中の中山外務副大臣を、ヨルダンに急きょ派遣して、ヨルダン政府との連携・情報収集に当たらせます。また、現地に残り、現地対策本部の責任者として、対応に当たらせます。松富大使には、現在、イスラエル政府からの情報収集に当たらせています。これから、私自身、パレスチナのアッバース大統領とも、話し合います。急きょ本日の日程を変更し、本件の対応に全力を尽くします。菅官房長官にも、その旨電話で指示をいたしました。
 今、「過激主義」が、国際社会にとって大きな脅威となっています。フランスのテロ事件では、4名のユダヤ人を含む、17名もの方々が犠牲となりました。犠牲となった方々の、そして御家族の皆様に、改めて、心から哀悼の意を表します。
 卑劣なテロは、いかなる理由でも許されない。断固として非難します。そして日本は、国際社会と手を携えてまいります。
 国際社会への重大な脅威となっている過激主義に対し、イスラム社会は、テロとの闘いを続けています。
 その先頭に立つ、ヨルダンのアブドッラー国王陛下に、心から敬意を表する次第であります。
 日本も、イラクやシリアからの難民支援を始め、非軍事的な分野で、できる限りの貢献を行ってまいります。
 我が国が、この度発表した2億ドルの支援は、地域で家を無くしたり、避難民となっている人たちを救うため、食料や医療サービスを提供するための人道支援です。正に、避難民の方々にとって、最も必要とされている支援であると考えます。
 そもそも、「過激主義」と「イスラム社会」とは、全く別の物であります。このことは、明確に申し上げておかねばなりません。
 「中庸こそ最善である」。この中東の言葉のとおり、この地域は、古来、多様な宗教や人種が共存しながら、悠久の歴史を刻んできました。
 互いを受け入れ、尊重する。「寛容」こそが、この地域の平和と安定、そして、更なる繁栄をもたらす、と信じます。
 中東和平の実現は、今なお未解決の課題であります。今回は、この課題についても、ネタニヤフ首相と率直に話すことができました。
 この後、パレスチナを訪問し、アッバース大統領とも、胸襟を開いて語り合いたいと思います。
 お互いが、これ以上、状況をエスカレートさせない。寛容の精神を持つことが、解決の糸口になると考えます。
 かつて、杉原千畝という日本の外交官が、自らの心に従い、6000人ものユダヤ人の皆さんに、日本に渡るビザを出しました。長い旅を経てたどり着いた、日本の港町・敦賀では、町を挙げて、皆さんを歓迎したそうであります。
 時代や世の中は変わっても、人々の中にある「寛容」の心だけは、決して変わらない。私はそう信じています。
 そのためにも、貧困などの「争いの芽」を摘み取っていかねばなりません。この地域に、誰もが安心して暮らせる豊かな社会を築き上げる。そのために、日本は、積極的な役割を果たしたいと思います。
 2006年、日本は、「平和と繁栄の回廊」という構想を提唱いたしました。パレスチナ に、農産品の加工団地をつくり、イスラエルとパレスチナ、ヨルダン、そして日本が協力して、パレスチナが自立するための基盤をつくろう、という構想であります。
 その建設は、着々と進んでいます。今後、観光資源の開発でも協力を進め、パレスチナの皆さんの経済的な自立を後押ししてまいります。
 今年も、引き続き、地球儀を俯瞰する視点で、積極的な外交を進めてまいります。
 戦後、日本は、自由で民主的な国をつくり、基本的人権を尊重し、法の支配を重んじ、ひたすらに平和国家としての道を歩んできました。
 その歩みを胸に、今後、一層、国づくり、人づくりに貢献し、「日本ならでは」の役割を果たしていく。そして、より平和で、繁栄した世界を創り上げていく。こうした外交を、世界を舞台に展開していく考えであります。
 私からは、以上であります。

【質疑応答】(省略)」


 安倍晋三内閣総理大臣は、イラク及びシリアの難民支援を決断した。
 これに噛み付いたのがテレビ朝日の「報道ステーション」で、物議を醸している(http://www.j-cast.com/2015/01/28226467.htmlhttps://twitter.com/YoichiTakahashi/status/560659258438479872)。テレビ朝日は正真正銘の「テロ朝」だ。朝日新聞も同じである(https://twitter.com/yamagiwasumio/status/562236249285468161)。
 社民党の福島みずほ参議院議員などもこれに同調していると言ってよいだろう。
 中国の新華社通信がISILによる拉致事件にかこつけた安倍批判をしており、彼らは心の宗主国様のご意志を忖度しているのだろう(https://twitter.com/smith796000/status/562026820120621057)。

 安倍政権の外交は良好だ。
 これがおもしろくない反日サヨクとしては、ISILによる拉致事件を見て「外交ネタで安倍を叩くチャンス!ラッキー!」とでも思ったのではないか。
 いくら安倍憎しとはいえ、テロ勢力に同調するなど言語道断である
 共産党の小池晃参議院議員も安倍総理の上記演説が「イスラム国」を刺激したという旨を言って安倍外交批判をするが、安倍総理に一蹴された(https://www.youtube.com/watch?v=ofCHQT3A4Ac)。
 民主党の辻元清美衆議院議員も、お粗末なことを言って返り討ちに遭っている(https://twitter.com/smith796000/status/562869002616451074)。

 それにしても、「報ステ」で下衆な発言をした古賀茂明はひどすぎる。
 小川榮太郞氏は古賀を名指しで批判し、湾岸戦争の教訓を踏まえよと言う(http://youtu.be/QTNzwhYKZHQ?t=6m40s)。
 安倍総理は、湾岸戦争についてこのような認識を持っている。


安倍晋三「美しい国へ」(文藝春秋、2006年)134~137ページ

『大義』と『国益』
 二〇〇三年十一月の特別国会の予算委員会で、日本政府がイラクに自衛隊を派遣するにあたって、私は、小泉総理にこう質問した。
「イラクが危険な状況にあるかないかはまずおいて、最高司令官である総理は、国民と自衛官、そしてそのご家族に、この派遣は、日本という国家にとってどんな重要な意義があるのか、つまり『大義』をしっかりと説明する必要があるのではないか」
 というのも、このとき、ともすると多くの国民に、日本はアメリカにいわれて、いやいやながら自衛隊を派遣するのではないか、と思われていたからだ。
 では、自衛隊派遣の大義とは、なんだったのか。
 第一に、国際社会が、イラク人のイラク人によるイラク人のための、自由で民主的な国をつくろうと努力しているとき、その国際社会の一員である日本が貢献するのは当然のことであり、それは先進国としての責任である。イラクが危険な状況にあるかないかが問題だ、という人がいるが、自衛隊は、戦闘にいくのではない。給水やインフラ整備などの人道・復興支援にいくのである。治安が悪化しているのだったらなおのこと、日ごろから訓練をつんでいる自衛隊にこそ可能なのではないか。
 第二に、日本は、エネルギー資源である原油の八五パーセントを中東地域にたよっている。しかもイラクの原油の埋蔵量は、サウジアラビアについで世界第二位。この地域の平和と安定を回復するということは、まさに日本の国益にかなうことなのである。
 二〇〇三年十二月九日、小泉総理は、イラク復興支援特別措置法にもとづいて自衛隊派遣の基本計画を閣議決定した。そして派遣の理由を、テレビカメラをとおして、直接国民に語りかけた。
 自衛隊派遣は、けっしてアメリカの要請に諾々としたがったのではなく、日本独自の選択であり、内閣総理大臣自ら発した命令であることを印象づけることになった。

 お金の援助だけでは世界に評価されない

 自衛隊が初めて海外に派遣されたのは、湾岸戦争のあと停戦が発効した一九九一年四月のことである。ペルシャ湾にはまだイラクが敷設した機雷が数多く残っていた。日本のタンカーを含む各国の船舶は危険にさらされていて、その除去のためだった。
 湾岸戦争では、クウェートに侵攻したイラクに対して国連決議による多国籍軍が派遣されたが、憲法上の制約から軍事行動のとれない日本は、参加しなかった。そこで、かわりに、と申し出たが百三十億ドルという巨額の資金援助であった。
 しかし、湾岸戦争が終わって、クウェート政府が「ワシントンポスト」紙に掲載した「アメリカと世界の国々ありがとう」と題した感謝の全面広告のなかには、残念ながら日本の名前はなかった。
 このとき日本は、国際社会では、人的貢献をぬきにしては、とても評価などされないのだ、という現実を思い知ったのである。
 ところが、日本と同じように軍事力の行使にきびしい枠をはめられているため多国籍軍に参加できなかったドイツは、停戦成立後、ただちに人道支援の名目で掃海部隊の派遣を決めていた。人的貢献の意味をわかっていたのだった。
 機雷除去は、船舶が航行するための安全確保であって、武力行使を目的としていないことは明らかである。すでにアメリカ、フランスなど数カ国が掃海作業に当たっていたが、日本も遅ればせながら掃海艇部隊の派遣を決めた。それほどドイツの派遣決定の衝撃はおおきかった。
 政府が海外派遣の根拠にしたのは、日本周辺の「船舶の航行の安全確保」を目的につくられた、自衛隊法第九十九条の「海上自衛隊は、長官の命を受け、会場における嫌いその他の爆発性の危険物の除去及びこれらの処理を行うものとする」という規定だった。
 もちろん野党は、こぞって反対である。「なし崩し的に海外派兵につながる」というのがその理由だ。社会党は、当時、自衛隊の存在を憲法違反としているにもかかわらず、まず自衛隊法を改正すべきだと、理解に苦しむ議論を展開していた。
 日本は、戦後ただの一度も武力行使をおこなったことはない。機雷除去がどうして武力行使の危険のある海外派兵になるのだろうか。しかも日本は、終戦直後に、周辺海域の機雷一万個を掃海した実績があって、掃海では世界でも一級の技術をもっているのだ。
 賛否うずまくなか、掃海艇四隻、母艦、補給艦各一隻のペルシャ湾掃海艇部隊がようやく組織され、五百十一人の自衛隊員によって、九十九日間にわたる機雷除去作業が行われた。この結果、日本は三十四個の機雷を処理するという成果をあげることになった。

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 テロとの闘いから独り遁走するわけにはいかない。
 かといって、日本には憲法9条の縛りがあり、人的支援が困難だ。金銭的支援では感謝の意すら表明してもらえず、税金の無駄遣いに終わるおそれもある。
 安倍総理は、速やかに、堂々と、中東に対ISIL支援をすると表明した。
 アラブ諸国の外交団は早速、感謝の意を表した。クウェートも過去数十年間の支援に感謝すると表明している。

 湾岸戦争の教訓を活かした、安倍外交の成果だと言ってよいだろう。
 こういうことの積み重ねが、国益を増進するのだ。
 それは、資源の獲得のみならず、北朝鮮による拉致事件の解決にも関わってくる。もしもISILに遠慮したならば、テロ支援国家と似たようなものであり、こんな日本が北朝鮮による拉致の被害者を取り戻したいと言っても、理解を示してくれる国はほとんどあるまい。ペルシャ湾のみならず、日本海にも関わってくる(安倍総理が身につけているブルーリボンバッジは、空と日本海の青を意味する。http://www.nippon-blueribbon.org/document)。


「「安倍首相演説はイスラム国を挑発する内容にあらず」駐日パレスチナ代表」 産経ニュース2015年2月1日
http://www.sankei.com/politics/news/150201/plt1502010044-n1.html

「 在京アラブ外交団代表を務めるシアム在京パレスチナ常駐総代表(大使に相当)は1日夕、日本人2人が殺害されたとみられる、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」によるテロ事件について、安倍晋三首相が事件前に外遊先の演説でイスラム国対策の支援を表明したことに起因するしたとの見方を否定した。 シアム氏は「(イスラム国を)全く挑発したとは思わない。そのように信じたい人がいるのは確かだが、間違いだ」と述べた。外務省で岸田文雄外相を表敬訪問後、記者団の質問に答えた。

 また、「安倍首相が(演説で)話した『中庸』は美徳で、アラブ諸国に対して適切な表現だ。首相の中東訪問が今回の事案を引き起こすマイナス影響はなかった」と指摘した。その上で「事案が間違ったタイミングで起きただけで、訪問自体は適切な時期だった」と強調した。」

「在京アラブ外交団による岸田外務大臣表敬」 外務省HP平成27年2月1日
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_001717.html
 
「 本1日午後5時30分から約15分間,岸田文雄外務大臣は,在京アラブ外交団大使の表敬を受け,シリアの邦人拘束事案に対する在京アラブ外交団の声明(PDF)を受け取り,会談を行ったところ,概要は以下のとおりです。

1 岸田外務大臣から,この悲しみの日に,在京アラブ外交団が迅速に声明を発出し,日本及び被害者の御家族への連帯の気持ちを示して頂いたことに感謝申し上げる,このような非常に残念な結果になったことは極めて遺憾であり,許しがたい暴挙を断固非難,日本はテロに屈することは決してない,中東の平和と安定のためアラブ諸国を始めとする国際社会と連携していくとの考えを伝えました。

2 これに対し,在京アラブ外交団長のワリード・シアム駐日パレスチナ大使より,湯川遙菜氏及び後藤健二氏の御家族と日本国民に深いお悔やみを申し上げたい,日本との連帯を表明する,日本が過去数十年間行ってきた人道的な支援に感謝する寛容,平和及び中庸という価値を日本と協働して推進していきたい,との発言がありました。

(参考)
 参加した国・地域は,パレスチナ(在京アラブ外交団長),バーレーン,クウェート,ジブチ,ヨルダン,カタール,モーリタニア,スーダン,エジプト,イラク,チュニジア,モロッコ,オマーン,イエメン,リビアの15名の大使等


 安倍総理は、上記会見でイスラムの寛容性を述べた。
 在京アラブ外交団もこの点を重視している。
 アルカイダによるテロ事件以来、「イスラム=原理主義=なんか恐い」という印象が広まっているように思う。
 しかし、私は世界史の勉強をしていた時、イスラム教社会はキリスト教社会に比べて寛容だなという印象を持っていた。
 税金を払えば異教の信仰を許されるからである。
 「信仰を維持するのに税金を課せられるのかよ」と、現代日本人の感覚で考えてはいけない。


「詳解世界史B」(三省堂、1995年)98ページ

正統カリフ時代

 イスラムよってアラビア半島をひとつにまとめたムハンマドの死後(632年)は、その後継者(カリフ)たちによって、周辺地域への征服事業がつづけられた。東方では、ネハーヴァンドの戦いでサーサーン朝軍に壊滅的打撃をあたえて中央アジアにまで達した。西方においては、ゆたかな穀倉地帯であるシリアとエジプトをビザンツ帝国から奪った。これらの征服事業は、アッラーの教えを伝える聖戦(ジハード)であると同時に、不毛で人口過剰のアラビア半島からよりゆたかな地域への、アラブ人の大移動でもあった。
 こうして獲得された広大な征服地は、全権をもつ総督(アミール)により統治され、中央には財務をつかさどる役所があらたに設置された。征服地の住民でイスラムに改宗しない人びとは庇護民(ジンミー)とよばれ、地租(ハラージュ)や人頭税(ジズヤ)の支払い義務を負ったが、それぞれの宗教や習慣は容認され、兵役の義務は免除された。


 アッラーの教えを伝えるために戦って征服しているのにイスラム教を押しつけないというのはなかなかわかりにくい。
 オスマン帝国も、イスラム教という大きな枠がありつつも、宗教には寛容だった(16世紀)。


同上201ページ

「オスマン帝国の制度と社会

 スレイマン大帝時代に確立するオスマン朝の国家組織は、中央集権的性格の強いものであり、君主は親任の大宰相以下、膨大な官僚機構の頂点に立つ絶対専制君主であった。広大な帝国の版図は、州と県に分けられ、中央から官僚と軍隊が派遣された。また、イスラム法による司法秩序の維持のため法官(カーディー)が任命・派遣された。そしてこれらの官僚や軍隊は、奴隷として徴用され一定の教育を施された征服地のキリスト教徒の子弟で形成された(デウシルメ制)。
 オスマン帝国は領内に多くの宗教と民族をかかえる複合国家であった。これらの非ムスリムは、宗教ごとに分類された宗教共同体(ミッレト)を構成し、固有な信仰と生活習慣を維持しつつ、自治的な生活を営むことを許された。


 対して、欧州諸国では宗教的不寛容が続いた。
 外に対してはもとより、内においてもである。
 「異教徒・異端は殺さなければならない」が常識だった。
 17世紀に至るまでそうだった。


倉山満「歴史問題は解決しない 日本がこれからも敗戦国でありつづける理由」(PHP研究所、2014年)33~36ページ

「 七百年も戦い続けたキリスト教徒

 さて、教皇権を絶頂に高めたインノケンチウス三世は、「教皇は太陽、皇帝は月」と豪語した。事実、その通りだった。しかし、教皇・教会、皇帝、国王、貴族が常にせめぎ合いを続けるのがヨーロッパ中世である。暗黒の中世における混沌は続く。
 インノケンチウス三世が育てた神聖ローマ皇帝が、フリードリッヒ二世(フェデリコ二世)である。フリードリッヒ二世は、インノケンチウス三世の死後、教皇グレゴリウス九世と激しく対立する。フリードリッヒ二世は、「最初の近代人」と呼ばれることもある合理主義者だった。だからこそ、「結果のためには手段を選ばない」を実践し続けた。
 一二二八年の十字軍において、フリードリッヒ二世はアイユーブ朝の第五代スルタンであるアル・カーミルとの交渉により、聖地エルサレムの返還を実現する。戦わずして戦争目的を達成したのであるから、完全勝利である。
 しかし、グレゴリウス九世とローマ教皇庁は、「なぜ異教徒を殺してこないのか」と激怒した。そして皇帝を破門した挙句に十字軍を差し向けるのだ。こうしてグレゴリウス九世とフリードリッヒ二世は、二十年に及ぶ飽くなき殺し合いに突入する。
 ここで注目すべきは、「暗黒の中世」そのもののグレゴリウス九世と、「最初の近代人」ことフリードリッヒ二世の論理である。
 グレゴリウス九世は「目的のために手段を選べ」と命じている。つまり、聖地奪還だけでなく、イスラム教徒の皆殺しを伴わなければならないのだ。これでは完全に、嗜虐趣味の殺人鬼である。
 このとき、教皇庁では「交渉で奪還できるのならば、敵が弱っている証拠なので、もっと強気に出ればよかったではないか」との批判もあった。エルサレム奪還という戦争目的を達したうえで、それ以上、何を求めようとしたのか。
 フリードリッヒ二世は、戦争は政治目的を達成する手段であると理解し、不必要な殺戮は忌避している。近代政治学の祖であるニコロ・マキャベリは、この歴史を知悉している。だからこそ、「結果は手段を正当化する」と政治における結果責任を強調したのだ。
 また、現代の戦争観に照らせば、教皇は相手を征服しないと満足しない総力戦志向であり、皇帝は目的限定戦争観に立脚している。後の章で詳述するウェストファリア体制以降の合理主義に基づく世界観の萌芽が見えるからこそ、フリードリッヒ二世は「最初の近代人」と呼ばれるのだ。
 ただし、フリードリッヒ二世も「赤ん坊に言葉を教えなければどうなるか」という実験により、母親の愛情を得られなかった子供は生きることができずに死ぬ、という結果をもたらしている人物ではあるのだが。
 十字軍は、ただただ凶暴だったが、最も凄惨を極めたのはイベリア半島だった。地中海を制圧したイスラム教徒は沿岸のサハラ以北アフリカを領有し、さらに現在のスペインとポルトガルにあたる地域を占領した。
 そして王朝の興亡はあれど、七百年の間イスラム教徒がイベリア半島を支配することとなる。実に、日本の鎌倉から江戸まで幕府が置かれていた期間と同じ長さである。それほどの間、異教徒異民族に支配されていれば、文化的影響を色濃く受けないはずがない。現に、スペインはいまでも建築を見ればわかるように、最もイスラム文化の影響が強いヨーロッパの国である。
 しかし、キリスト教徒は七百年間、何度負けても戦い続けた。十字軍と異端審問によってである。教皇庁は「失地奪還(レコンキスタ)」を宣言し、何度もイベリア半島に対する十字軍を差遣した。
 後ウマイヤ朝をはじめ、イベリア半島の支配者であったイスラム帝国は、キリスト教徒にも信仰の自由を認めた。貢納する限り、信教の自由を認めるのが、ムハンマド以来の商人的伝統である。強制改宗させれば、貢納が少なくなるし統治が面倒になる。この合理性に、被支配者であるキリスト教徒はどうしたか。
 ひたすら裏切り者を拷問によって殺し続けたのである。
よく知られる魔女狩りは異端審問の一種である。「疑わしきは拷問により苦しめて殺す」「主の名によって疑われたこと自体が有罪の証拠である」「異端の罪は異教の罪より重い」「改心させて殺すことが、天国に送る善行」「拷問により苦しめているときに歓喜しないのもまた有罪」など、教会の言葉こそがイベリア半島のキリスト教徒を支配した。
 そして一四九二年、最後のイスラム教徒の支配地であるグラナダを攻略した。七百年の屈辱を撥ね返し、勝ったのだ。
 韓国人は「恨の民族」などと言われるが、ここまでの歴史を持っているのだろうか。
 日本人が歴史問題を考える場合、真の「恨み」とはどのようなものかを認識する必要がある。」

同44~47ページ

「 布教という侵略から発展する大航海時代

 第三の動きである対抗宗教改革は、このような状況で発生したのだ。教皇庁は教義の整備をするだけでなく、布教にも力点を置くようになる。
 特に、イグナチウス・ロヨラを首領とする七人の大幹部が結成したイエズス会は、全世界にローマ教皇庁の権威を広めようと宣教の旅に出る。一五四九年、日本にやってきたフランシスコ・ザビエルは大幹部の一人である。宣教とは要するに洗脳であり、侵略の尖兵ということである。
 俗に「まず貿易商人が、次に宣教師が、最後に軍隊がやってくる。貿易で関係を持ち、その土地の住民を改宗させて手なづけておけば、領主に逆らうので、簡単に軍事占領できる」と言われる。十六世紀、まさにこの手法で中南米とアフリカが侵略の餌食になった。
 第四の動きの大航海時代は、カトリックの動向と連動している。最も成功した十字軍はイベリア半島のレコンキスタだが、失地回復に成功するやポルトガル人とスペイン人はインドを目指して海洋へ飛び出した。
 当時は高級品だった胡椒を求めて地球の果てのインドへ向かったのである。貿易航路を確保する過程で、ポルトガル人はアフリカを、スペイン人は米国大陸を征服していく。
 その略奪はすさまじく、緑の大地だったアフリカは、瞬く間に砂漠と化した。スペインはメキシコのアステカ帝国やペルーのインカ帝国を滅ぼした。武力こそ少数だったが、白人の持ち込んだ射幸心と疫病は猛威を振るい、迷信深い現地人は未知の白人の行動に翻弄された。
 かくしてスペインは数百人で大帝国を滅ぼし、莫大な富を略奪する。
 白人は大航海時代に海外植民地を持つことになるのだが、植民地とは搾取する土地の意味である。白人は、富を搾取するだけでなく、文化と矜持を破壊していく。
 征服した不足の王妃や姫を野蛮な兵士の慰みものとするのは、戦利品だからと当然視された。人妻を自分の傍にはべらせ、夫を奴隷としてこき使い、老人になり使えなくなれば夫妻とも容赦なく処分することなど珍しくない光景だった。
 中南米やアフリカの国々は、いまは独立国である。では、これらの国の歴史教育で正しい事実を伝えればどうなるか。
 人殺しの正当化にしかならない。
 南部アフリカにあるジンバブエのムガベ大統領は、「白人財産没収法」を一方的に宣言した。白人の財産はすべて黒人から奪ったものであるから、政府がそれを召し上げるとの法である。やっていることは無法そのものだが、歴史事実の認定において誰も否定できないほど正しい。
 我々は歴史認識の問題を考えるうえで、現在の世界がどうなっているのかを認識せねばならない。そのためには、現実にこの数百年間、世界史の中心である白人がどのような発送をしてきたのかを知らねばならない。それすら知らなければ、国際社会で太刀打ちできるはずがない。
 日本人は誰でも、「一五四九年、フランシスコ・ザビエルによるキリスト教伝来」などと習うが、なぜ彼がやってきたのか、その背景を知ることが世界の歴史、ひいては日本の歴史を知ることになるのだ。日本史と世界史のどちらかだけを知っていればよいというのは、歴史リテラシーとして間違っている。
 ところで、「一五四九年、フランシスコ・ザビエルによるキリスト教伝来」という表現が、価値中立的でも何でもなく、極めてイデオロギー的に偏向した政治的表現であることに気づいたであろうか。」

同68~70ページ

「 宗教原理主義の超克で生まれる近代国家

 三十年戦争は最後の宗教戦争であり、その和約であるウェストファリア条約により、現代の我々が想像する近代国家ができあがった。
 ただし、一六四八年に突如として近代が始まったわけではない。それ以前から前近代的な宗教原理主義を超克しようとの動きがあった。反動とのせめぎ合いの中で行われた総決算が三十年戦争なのである。
 三十年戦争と言っても、毎日戦っていたわけではない。一番多い数え方だと三十年間に一三度の戦争が行われ、一〇の平和条約が結ばれた。
 戦争の原因は、ドイツ地方にも領土を持つスペイン・ハプスブルク家がプロテスタントを弾圧したことであるが、そのことが反対勢力をかえって結束させ、ネーデルランド独立戦争と同時並行で、ヨーロッパ中の勢力を巻き込んで大戦争に至った。ドイツ地方は三十年戦争最大の激戦地であり、土地の三分の二が焦土と化し、人口の四分の一が消滅したとも言われる。
 戦場の中心は、ボヘミア、デンマーク、スウェーデンと移り、最終局面でフランスがスウェーデンについたことで、大戦は終結に向かう。この政治過程を主導したのはリシュリューを継いで宰相となったマザランだった。
 リシュリューが死んでから二年後の一六四四年十二月四日、ドイツのウェストファリア公国で和平会議が開かれる。世に言う、ウェストファリア会議である。この会議には六六カ国が参加した。ヨーロッパの目ぼしい国はほとんど参加している。
 当時はヨーロッパに数えられていなかったトルコやロシア、東方の大国であるポーランドと清教徒革命真っ最中だったイングランド以外がすべて参加したことになる。参加した一四八人中、四分の三はドイツ諸侯だった。
 会議は最初から一カ所で開かれたわけではない。新教徒はオスナブリュックに、旧教徒はミュンスターに集まった。そして席次を決めるだけで半年をかけた。現代人は「何を馬鹿な」と笑うかもしれない。
 しかし、当事者能力のある有力者がノコノコと出ていって暗殺されないとも限らない。まず不信感を取り除く、そのためには敵(すなわち悪魔)とも話し合うことを双方が了解しなければ、会議そのものを始められない。
 また、外交席次は国家の格付けを意味する死活問題である。これまた、参加当事者すべてが納得する理屈をひねり出さねばならない。
 こうした「格付け会議」は、現在に至る外交儀礼の確立をもたらす。「大使は公使より格上である」「陛下は閣下よりも格上である」「君主は対等であるが、席次は就位順にする」などである。
 さらにこの会議では、当時まだヨーロッパ公用語であったラテン語の不使用が提議され、各国の代表は自国語を使用した。こうした格付けや言語の問題の決定的な変化によって、「主権国家は対等である」という事実が積み重ねられていく。
 会議の間も戦闘は続き、一六四八年夏にフランス・スウェーデン連合軍が、神聖ローマ帝国とバイエルン軍を撃破し、オーストリア・ハプスブルク家の要衝プラハを包囲して、戦局は決定的にプロテスタントとフランスの連合軍に有利となった。」

同84~87ページ

「 ヨーロッパの近代が始まる画期的な一言

 ウェストファリア会議において、戦勝国スウェーデンのクリスティーナ女王が人類史に残る画期的な一言を言い放った。
 「異教徒を殺さなくてよい」

 本書をここまでお読みいただいた読者諸氏は、この一言以前のヨーロッパ社会がどのようなものだったか、そしてなぜ画期的だったかが理解できるだろう。
 「異教徒は殺さなければならない」
 敵に対する魔女狩りや十字軍は言うに及ばず、裏切り者は異端審問にかけて苦しめて殺さなければならない。これがローマ帝国末期から三十年戦争にかけて、ヨーロッパの暗黒の世紀において支配的だった価値観である。

 だから、クリスティーナの一言は画期的だったのである。敵であるカトリックはもちろん、味方のプロテスタントも三十年戦争に疲れていたために、受け入れられやすい環境があったのだ。
 彼女の一言は、宗教的寛容と呼ばれる。「心の中では何を考えてもよい」とする精神である。以後、まともな国はこれを通義として尊重している。憲法典に書いていようがいまいが、実質的に守らねばその国はまともではない。政府権力が個人の内心に干渉してならないことが、文明国の第一条件なのである。これは魔女狩りや異端審問で「心の中で違うことを考えているかもしれない」という理由だけで、多くの人々が殺された反省である。
 先にウェストファリア条約で見たように、領民は領主と違う宗教を信じてもよくなった。国王そのものも、自由に宗教を選ぶことができるようになった。ヨーロッパの近代は、実にクリスティーナの一言から始まると言っても過言ではないのである。
 しかし、あくまで「殺さなくてよい」である。「殺してはいけない」という価値観がヨーロッパで定着するには、まだ数百年の殺し合いを経ねばならない。
 なぜならば、クリスティーナは当時の価値観では奇人変人の類にすぎないからである。
 たまたま、その後の歴史の流れの中で、彼女が示した価値観が勝っただけである。

 法治主義の端緒となった世俗主義の確立

 それまでにも、中世キリスト教の価値観を真っ向から否定する立場はあった。前章で見たように、中性的価値観と非宗教的な価値観の複雑なせめぎ合い中で、総決算としての三十年戦争を迎えたのである。まだまだ、反動勢力は健在だったのである。
 確かに、ローマ教皇使節は宗教的不寛容を叫んだが、無視され、教皇の条約無効宣言は何の権威も持たなかった。それでも、大航海時代の対抗宗教改革の流れの中で世界中に散ったカトリック勢力は、近代の植民地抗争の時代に隠然たる影響力を保持するのである。
 何より、フランスやドイツのようなヨーロッパの主要国が、カトリックという内政問題を解決するのは二十世紀のことなのだ。フランスでは教育権をめぐりカトリックと第三共和政政府が争い、ドイツでは常にカトリック国教化を目論む中央党が政局の中心にいた。
 また、十七世紀当時、ヨーロッパのマイナー民族であったアングロ・サクソン人の間では、反動的な動きが目立った。
 イングランドでは三十年戦争が終わろうかという一六四二年、清教徒(ピューリタン)と呼ばれる狂信的なカルバン派が革命を起こして国王を処刑するという暴挙に出て、オリバー・クロムウェルが独裁政治を敷いた。その後のブリテン島における国教会とピューリタンとカトリックの三つ巴の殺し合いの集結は、四十年以上先の一六八九年の権利章典制定を待たねばならない。
 何より、近代化の波が訪れたヨーロッパから逃れ、独自の信仰生活を求めて新大陸アメリカにメイフラワー号が向かったのは、三十年戦争初頭の一六二〇年である。カルバン派の信仰に燃える彼らは、善良な現地人を殺戮し植民により土地を奪っていった。そして、キリスト教原理主義の色彩が強く残る国、アメリカ合衆国を建国することになる。
 ウェストファリア条約は近代の始点とされるが、この段階で中世宗教法と完全に決別できたわけではない。ただし、この条約以降は大きな反動に対して結果的に近代化勢力が勝利した点で重要なのである。
 西欧の近代化とは、キリスト教の穏健化による世俗主義の確立である。これは法治主義(英米法では、法の支配と呼ぶ)の原初である。主(God)による支配から、人の定めた法による支配、そしていかなる権力も個人の心の中に介入してはならないとする原則の確立により、文明を築いていくのである。」

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 キリスト教文化と比べると、イスラム教文化の方が寛容性を有していると言える。
 税金を払えば異教が許されるイスラム教社会の歴史と、異教徒は殺すキリスト教社会の歴史とでは、内心の自由の寛容性において大きな隔たりがある。

 ところで、共産党の小池議員は、ISILを「過激武装組織イスラム国」と呼ぶ(https://twitter.com/hazukimayu/status/562427875727380480)。
 一応「過激武装組織」という枕詞がついているので、ISILが国ではないことはわかる。
 しかし依然として、「過激」と「イスラム」が結び付いた印象を与える。
 名古屋モスクは、「イスラム国」という呼び方がイスラム教に対する誤解を招くからやめてほしいという声明を出している。
 

「「イスラム国」という名称の変更を希望します」 名古屋モスクHP2015年1月25日
http://nagoyamosque.com/3107.html

日本のメディアにおいて「イスラム国」と称されている過激派組織の行いは、イスラームの教えとはまったく異なるものです。イスラームにおいて、テロ行為や不当な殺人、迫害は禁じられており、また女性や子どもの権利は尊重されなければなりません。
「イスラム国」という名称にイスラムという語が入っているために、本来の平和なイスラームが誤解され、日本に暮らす大勢のムスリム(イスラーム教徒)への偏見は大変深刻です。

エジプトにあるイスラームスンニ派最高権威のアズハルからは、昨年9月、この過激派組織に「イスラム国」の名称を使用するのは不適切であり、イスラームとムスリムに対して不当であるとの声明が発表され、海外のメディアに「イスラム国」の名称を用いないよう要請がありました。
しかし、日本のメディアでは、この要請が実現されておらず、国際社会が国家と認めていないただのテロ集団に対して「イスラム国」の名称が使用され続けています。

この過激派組織はアラビア語で「الدولة الاسلامية في العراق والشام‎= ダウラ・アルイスラーミヤー・フィー・アルイラーク・ワッシャーム」であり、その省略形は「 داعش=ダーイシュ」です。
アメリカ軍は昨年の暮れに、この過激派組織を「ダーイシュ」と呼ぶよう公式に発表しました。
フランス政府も昨年9月、「ダーイシュ」の名称使用を決定しています。

海外では、上記アラビア語の英語訳「Islamic State of Iraq and Syria」の省略形である「ISIS=アイシス」や「Islamic State of Iraq and Levant」の省略形である「ISIL=アイシル」を用いるメディアもまだ多いようですが、日本のように「イスラム」を連呼することはありません。
日本においても自民党や外務省が「イスラム国」という名称をやめ、「ISIL」の呼称に統一したことに基づき、各報道機関においても名称の変更がされるべきであると考えます。
日本の皆さま、どうか「イスラム国」という名称の使用中止をお願いいたします。

※なお、ISILの行いがイスラームの教えに沿っていないことは、世界中のイスラーム学者たちが連名でISILに送った公開書簡に具体的に記されています。
 (日本語での要約はこちらのブログに掲載されています)

<2015年2月1日追加>
本日、宗教法人マスジド大塚にてモスク・マスジド代表者会議が開かれ、「イスラム国」という名称が妥当ではないこと、イスラームと差別化されるべきであることを総意で確認いたしました。
上記内容へのご賛同をいただいた出席者の方々、および出席者以外にもご賛同いただける他のモスク・マスジド・イスラーム団体の方々は以下の通りです。従いまして、今後は連名による要望といたします。(敬称は省略させていただきます)

 ・宗教法人名古屋モスク 代表 クレシ アブドルワハブ
 ・宗教法人マスジド大塚 代表 クレシ ハルーン
 ・行徳ヒラーマスジド 代表 ジャミール アハマド
 ・イスラミックサークルオブジャパン 日本人部代表 前野直樹
 ・新居浜マスジド 代表 浜中彰
 ・別府マスジド 代表 カーン ムハマドタヒルアバス
 ・一宮イスラミックセンター 代表 カルディン ハニーフ
 ・静岡ムスリム協会 代表 アサディ ヤスィン
 ・ハサナスマスジド豊田モスク 代表 モヒディーン ニザール
 ・宗教法人アンヌールモスク新潟 代表 ムハンマド ヒッシャム
 ・NPO子どもと女性のイスラームの会 代表 マリアム戸谷玲子」


 イスラム教徒の大多数にとってISILは迷惑である。
 イスラム教そのものは、別に過激思想でも何でもない。
 イスラム教は世界三大宗教の1つに挙げられるが、かかる宗教の誤解や偏見を深めることが得策だとは思えない。
 「イスラム教徒は過激で危ない。じゃあ中国がイスラム教徒であるウイグル人を弾圧するのもわかる気がする。」などと、中国による民族浄化に理解を示すところにも繋がりかねない。
 アンジェリーナ・ジョリーが監督を務める映画「UNBROKEN」が、日本人は食人文化を持つ野蛮な民族という反日歴史捏造プロパガンダをし、日本人への誤解と偏見を流布している(http://youtu.be/ycr4-JE7au8?t=6m50s)。日本人は野蛮で殺されても仕方ない民族というところにも繋がってくる。
 おそらく、イスラム教徒にとっての「イスラム国」は、日本人にとっての「UNBROKEN」であり、誤解や偏見を招く迷惑な存在であり、やめてほしいと思うものだろう。

 「日本は世界の孤児になってはいけない」などと言う連中が、「安倍の中東支援は許せない」などと言う。
 しかし、中東情勢を見て見ぬふりをし、何らの支援もしなければ、テロと戦う欧米諸国やアラブ諸国から孤立する。
 アジアは中国・韓国・北朝鮮だけではない。インドネシアなどのイスラム教徒を多数抱えた国も存在することを忘れてはいけない。
 ムスリムとも啓典の民とも連帯し、テロリストに対処する。
 啓典を持たぬ神道の日本人に、その役割を果たす覚悟が問われているのだろう。
 積極的平和主義という、歴史的使命である(安倍晋三「日本の決意」(新潮社、平成26年)27ページ)。

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