【解散】言論人の一貫性【大義】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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 21日、衆議院が解散された。
 解散が確実視された頃から、政界やマスメディアでは、解散に大義はあるのかということが盛んに取り沙汰された。

 私が信頼している政治家や言論人を見ても、解散の大義の有無につき両論あった。
 ここまで意見が割れるということは、はっきり言って、どっちでもいいということなのだと思う。
 解散して国民に信を問うもよし、解散せずに粛々と進めるもよし。
 安倍晋三内閣総理大臣の判断次第だ。

 安倍総理は今回の解散をアベノミクス解散と名付け、デフレ脱却に向けて決意を見せる。
 しかし、解散の発端は、消費税再増税先送りである。
 安倍総理が消費税再増税を先送りするために解散するらしいと、解散風が吹き始めると、全野党が先送りに賛成した。
 与党内にも先送り賛成が広がった。
 だとすれば、解散せずとも消費税再増税先送りは可能であり、解散の大義はないのではないか。

 私は解散の大義という仰々しい言葉を使うより、解散の必要性という言葉を使った方がよいのではないかと思うが、これについて19日の記事で書いた(http://ameblo.jp/bj24649/entry-11954018866.html)。
 この記事を書くときには迷いがあって書かなかったのだが、山田宏衆議院議員(次世代の党幹事長)の20日の記者会見を見たら、私が考えていたことを言っていた。
 つまり、国民に信を問うていない増税をする時に解散するのはわかるのだが、減税や増税先送りにはその必要はないということだ(http://youtu.be/vLK7PcgLm1k?t=1m14s)。
 持ち込んでよい考え方かどうかに迷いがあるが、行政法学の侵害留保原則に合っていて、受け入れられやすい考え方だと思う。

 しかし、現実問題として、消費税再増税先送りに今は表向きは賛成をしている議員でも裏切ることはあり得るし、先送りに賛成することの見返りを求められて今後の政権運営に支障を来すかもしれない。
 財務省は政界工作を進めているわけで、何が起きてもおかしくない(http://www.sankei.com/politics/news/141117/plt1411170054-n1.html)。
 消費税再増税先送りを円滑かつ確実なものとするためには、解散総選挙が必要だったと考えられる。
 そう考えると、解散総選挙には大義があるということになる。
 しかし、他方で、与党内で増税派を抑えつけることができたならば解散総選挙は必要なかったと考えると、与党の内輪の事情で解散総選挙をするとも考えられ、そんなものに大義はないだろうということにもなる。
 自民党が財務省に転ばされず、安倍総理とともに財務省と闘っておれば、解散総選挙など必要なかったはずだ。
 ただし、民主党も財務省に転ばされたわけで、自民党だけを責めるのも酷なものがある。

 消費税再増税先送りをして日本経済を延命させる解散総選挙だから大義がある。という考え方もできる。
 与党の内輪の事情で行う解散総選挙になど大義はない。しかし、日本経済を延命させるためにはやむを得ず、義がないわけではない。という考え方もできる。
 どちらの考え方でもよいと思う。
 しかし、言論人については、言論の一貫性が問われることになると思う。

 安倍総理を支持する言論人の話を聞いていると、解散に大義ありと言う人がいる。
 その結論はそれはそれで構わない。
 しかし、そう言うのであれば、昨年の消費税増税政局にあたり、消費税増税先送りには解散が必要だということを言っていたのかが疑問視される。
 消費税増税先送りについて、昨年は解散が必要だと言っていなかったのに、何らの説明もなく今年は解散が必要だというのであれば、一貫性に欠ける。
 解散が必要だと言ってしまうと消費税増税反対運動の士気が下がるから、解散の必要性に気づいていながら言わなかったのであれば、それもよいだろう。1つの考え方だと思う。
 しかし、安倍総理を支持するから安倍総理に同調するというのでは、言論人としていかがなものかと思う。

 小川榮太郞氏は、安倍総理を描いた三部作を著した安倍支持者だが、安倍総理が消費税増税するから安倍支持者としてこれに賛成するという態度をとってきた(https://www.youtube.com/watch?v=zBL5ifQep-g。本ブログ関連記事としてhttp://ameblo.jp/bj24649/entry-11733146146.html)。
 しかし、こんなに本を書けるくらい安倍総理に関する取材をしていたら、安倍総理が消費税増税に反対しているということくらいわかるだろう(ていうか、「新しい国へ」を読んでいればわかると思うが。http://ameblo.jp/bj24649/entry-11875914413.html)。
 安倍総理が消費税再増税先送りを決めた今、小川氏は消費税増税に賛成してきた今までの言論との一貫性を保てるのだろうか。

 高橋洋一教授は、解散に大義ありとする立場だ(https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/536387495525494784)。
 では高橋教授が昨年どういう発言をしていたかというと、消費税増税を止めるためにはこれを凍結させる新法の制定が必要であるところ、かかる新法が成立するような政治状況にはないという旨を言っていた(http://ameblo.jp/bj24649/entry-11572107424.html)。
 この発言を聞いた当時はよくわからなかったのだが、政界には増税包囲網が敷かれていて、これを突破するには解散総選挙くらいしか手段が残されていない、が、政権発足後1年足らずで解散するということはあり得ない、ということだったのかなぁと今にして思う。
 高橋教授は一貫性が認められると言ってよいと思う。

 他方、倉山満先生は、解散に大義なしとする立場だ(http://www.kurayama.jp/modules/wordpress/index.php?p=1325)。
 私の記憶している限り、昨年、倉山先生が消費税増税阻止には解散が必要だと言ったことはない。
 消費税再増税先送りに解散は不要であり、大義はないとする倉山先生も、一貫性が認められると言ってよいと思う。

 神ならぬ人は間違えることがある。
 特に政局の読みにおいては見えない部分が多い。
 だから間違えること自体は仕方ないところがある。
 重要なのは、一貫性だ。
 一貫性があるかどうかは、その言論人の言論に対する真摯さの目安になり、信頼性の目安になると思う。
 もちろん、明らかに肯定できない説を一貫して不合理に後生大事に維持する言論人は信頼できないし、逆に、説を変えたとしてもその理由が明らかにされていれば信頼に足ると思う。

 消費税増税政局に関心のあるネット保守界隈を見るに、高橋教授と倉山先生が全く異なる見解を示していることに戸惑っているところが見られたが、私はこのように考えている。



 ・・・・・・。
 水島総氏が一貫性を欠きまくってひどいことになっているそうな。
 → https://twitter.com/yumikw1/status/538179005849944066
   https://twitter.com/ProCube_/status/538211954578317312
   https://twitter.com/ProCube_/status/538215330292580352
 まぁ以前から一貫性がない主張はしてるけどねぇ。