【三橋貴明】出典?【典型的な新古典派的な政策】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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 以前、倉山満先生が、三橋貴明先生に対し、出典を問うたことを紹介した(http://ameblo.jp/bj24649/entry-11803435509.html)。



「三橋貴明殿への質問状(付・結果発表)」倉山満ブログ2014年3月23日

http://www.kurayama.jp/modules/wordpress/index.php?p=1209

「 たった今、以下の質問状を三橋メルマガのお問い合わせアドレスに送りました。
 ここに公開します。

三橋貴明殿

 本日届きましたメルマガに関して、疑問点がありましたので、ご質問させていただきます。

一、下記の部分を、出典をご教示いただきたい。
  新自由主義者の誰の、どの著書の何頁で述べられているのかということにございます。

安倍政権は産業競争力会議や経済財政諮問会議の「民間議員」の意 見を取り入れ(もしくは民間議員を利用し)、
外国人の移民や外国人労働者の増強、扶養控除の縮小、法人税減税、所得税に上限設定、道州制、雇用の流動性強化といった、典型的な新古典派的な政策を怒涛の勢いで進めていっています。

 なぜこれらの政策が「典型的な新古典派的な政策」になるのかも合わせてお知らせいただければ幸いにございます。
(後略)」



 結局、出典が示されることはなかった。



 ところで、ちょっとネットで検索してみたら、竹中平蔵教授の政策提言の記事が引っかかった。



「規制緩和なき成長戦略はない」竹中平蔵のポリシー・スクール2009年10月1日

http://www.jcer.or.jp/column/takenaka/index156.html

「 民主党政権がスタートした。ようやくこれから政策の姿を明らかにしてゆくわけだから、今の段階で問題点ばかりをあげつらうのは生産的ではない。これまでの日本の政策、政策決定プロセスが抱えていた問題を解決するための努力を期待したいと思う。

 そうしたなかで、とりわけ注目されるのが成長戦略のあり方だ。選挙時の各党のマニフェストのなかには、明確な成長戦略は読み取れない。以下では、経済政策と経済成長の関係を整理して考えよう。

重要なサプライサイド政策 

 当然のことだが、経済を成長させるには需要面と供給面の双方が拡大していく姿を描かなければならない。しかし、需要は供給を上回って中長期に伸び続けることはできない。その意味で成長戦略の基本は、サプライサイドの強化でなければならない。

 そこでまず、生産関数の枠組みで考えるのが出発点になる。通常の生産関数は、国内総生産(GDP)をアウトプットとし、そのためのインプットとの関係を示すものだ。インプットとしては、資本、労働、技術を考えることができる。したがって成長戦略の基本とは、こうした要素投入を中長期的に増やす政策である。例えば、労働投入を増やすには実質リターンを高める所得税減税が考えられるが、日本の場合は人口減少に対応するために移民を受け入れるという政策も理論的にはありうる。労働の質を向上させるための教育投資も極めて重要だ。

 資本投入を増やすための方策は、典型的には法人税減税や投資減税である。インフレ時には加速度償却の強化が有効と考えられる。金融面に問題がある場合は、政策金融の活用もありえよう。一方、技術進歩のためには研究開発投資が重要になる。ただし、これを政府が直接行うのか、R&D( 研究開発)投資減税のようなやり方がよいのか、考慮する必要があろう。最後に、同じような資本と労働の投入があっても、それが効率的に配分されているかどうかでアウトプットは異なってくる。資源を効率配分する最大の方策は、競争政策の促進である。具体的に、規制緩和、民営化、分権化などが極めて重要なのである。

 このように見てくると、政策としての成長戦略を考えるにあたって、現状の2つの問題点が見えてくる。第1は、こうした供給サイドの議論は1980年代初頭米国での議論が参考になるが、その際に実証研究を基にした、いわゆるエビデンス・ベースのきちんとした政策論議がほとんどなされていない。もちろん米国においても実証研究の結論は多様であり、最終的には一定の“判断” が必要になる。筆者なりに整理するなら、労働供給に対する減税効果については不明な点が多いが、法人税減税や投資減税についてはそれなりの効果が確認できる。R&D投資の効果は認められるが、効率的な資金配分のためには競争メカニズムの導入が必要である。こうした点も含め、規制緩和など競争政策の促進は極めて重要であると考えられる。

 第2の問題点は、以上を総括して「法人税減税」や「規制緩和」が成長のために不可欠であるにもかかわらず、総じて現状の政治は、民営化・規制緩和には極めてネガティブな姿勢を見せていることだ。しかし、法人税減税と規制緩和なき成長戦略は、ありえないことを認識しなければならない。
(後略)」



 三橋先生の挙げる「典型的な新古典派的な政策」とかなり重なり合っているように見える。
 分権化という道州制に通じることも書かれている。移民についても書かれている。

 ということは、竹中教授が「典型的な新古典派的な経済学者」であれば、これらの政策が「典型的な新古典派的な政策」となり、遂に念願の出典をゲット!?
 やった!!\(^O^)/
 ていうか、リフレ派からは小泉竹中の量的緩和が好意的に評価されている割に、この政策提言には量的緩和への言及がないような。

 さらにインターネット検索を続けてみた。



「竹中平蔵は「新古典派」か!?」間政論ブログ2005年4月1日


「 某掲示板で、竹中が「新古典派」であるにもかかわらずなぜ市場介入を積極的に行おうとするのか、という質問があった。質問者によれば、答えは次の三つの中にあるだろうという。

>1.新古典派経済学は、貴方の言われるような学(※市場不介入的)ではない。
>2.竹中氏は、新古典派経済学に属さない。
>3.竹中氏は、新古典派経済学の一派だが、多少アレンジがある。

 質問者は、この三つの答えのどれが適切かと問うのである。『経済財政白書』はセイ法則を受け入れているようだから、セイ法則を受け入れるかどうかがケインズ派と新古典派の決定的な違いとすれば、政府は新古典派だと言わざるを得ない。
 しかし竹中の議論に関しては、これは三者とも正解ではない。新古典派経済学と竹中平蔵の「構造改革」は次元が異なるし、距離もあるからである。
 竹中の主張する「構造改革」と一言で言っても、その中身をバラバラに分解してみると、いくつもの議論が混ざり合っていて、その幅はかなり広い。 
 例えば財政赤字の削減などは昔からマネタリストのフリードマンも主張している。これはケインズ以前の新古典派の流れを汲む人間の発想だろう。
 フリードマンの議論はいうまでもなく、政府の市場介入はあらゆる意味で有害無益だから、自然に任せておけ、という。
 政策には遅れが伴うし、そもそも財政支出は金利上昇を招いて投資をクラウド・アウトするから無効である。
 彼らはケインズが「発見」した非自発的失業の存在を認めない。失業者を、より高い給料を求めて職探しという「投資」をしている人々なのだと説明する。彼らの議論ではハローワークに集う人はかなりの野心家なのだ(笑)。
 フリードマンの議論に基づけば、あの世界大恐慌であろうと、FRBのマネーサプライ抑制が原因だということになり、ケインズ政策ではなくマネーサプライを正常に戻すことによって通常の経済水準に戻すことは可能であった。
 近年の「構造改革ブーム」を思想的に支えているものがこのような新自由主義であることは大嶽秀夫も述べているが、このような消極的な改革も多い中で、いくつかの改革論はその様相が異なっている。例えば不良債権処理は、政府が銀行という民間企業の経営に口出しするものである。
 この不良債権処理の議論は、おそらく小林慶一郎の議論に影響されているのだろうが、彼は一般的な「構造改革論」とは距離を置いている。あれは通産省の役人の発想だろう。小林の議論は国家と市場の中間部分を拡大させよというものであった。
 そもそも小林の意図は、構造改革論でもなく、ケインズ政策論でもなく、需要不足の原因を取り除く「第三の道」を提示するというものだったはずだが、今や彼の議論は構造改革論者に呑み込まれてしまっている。
 また、竹中が数年前に主張していたITなどの成長分野への人的資本の移動という提言は、経済学の理論に存在するのかどうか甚だ疑問だ。
 このような政策はおそらくフリードマンが聞いたら反対するだろう。フリードマンは企業への補助金の給付そのものに反対しているからである。補助金を製造業の企業に与えて、そこで作られた商品が外国に輸出されると、税金を外国人に貢ぐことになってしまう。
 あるいはケインズだってこれには反対するだろう。どの産業が発展していくかなどという問題は、個々の市場取り引きによって決まるのであって、政府がのこのこ出て行って特定の産業を応援するなど何の意味があるのか、と。
 さらに竹中はインフレ・ターゲット論者でもあった。確かにマネーサプライと物価が比例的に動くという貨幣数量説を受け入れている点で一見するとマネタリストに近く見えるが、こんなものIS/LM曲線を信奉するアメリカのケインジアンの発想そのものだ。
 日銀がインフレ宣言の後にハイパワードマネーを増大させて、インフレ期待を煽り立てる。k%ルールを主張するフリードマンはまたインフレ大災害を予測するだろう。
 流行った議論には節操もなく何でも食いついていく。そしてすぐに前言を翻す。竹中を「新古典派」だと定義すれば、新古典派の立場に立つ論客は一緒にするなと怒ることだろう。



 ・・・えっ?( ゚д゚)
 まぁ、このブログ主の言っていることがどの程度正しいのかはわからないけど・・・。



 竹中教授には、そうではない側面もあるが、新古典派的な側面も、新自由主義的な側面も大いにあるのだろう。
 三橋先生が挙げた政策は、典型的な新古典派的なもので当たっているのかもしれない(出典は示されていないが)。
 我々としては、「新古典派だからダメ」というレッテル貼りに終わらないことを心がけるべきなのだろう(https://twitter.com/hasegawa24/status/198050568781053955https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/42063642946052096)。






 それにしても、三橋先生はケインズ経済学を基礎としているが、三橋先生の考え方は典型的なケインズ的な考え方なのだろうか。
 三橋先生は、「まずは、デマンドサイドに注力し、デフレギャップを埋めましょう。その後、デフレを脱却したらサプライサイドを引き上げる政策を打ちましょう」という(「サプライサイドとデマンドサイド」三橋貴明ブログ2012年7月18日http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11305537239.html)。
 そして、三橋先生は、この考え方が「わたくし(というか、デフレ対策を求める多くの方々)の立場」であると言う。

 素朴に疑問なのだが、「まずは」「その後」という順序を截然と付けずとも、サプライサイドを引き上げる政策とデマンドサイドを引き上げる政策を同時に行い、インフレ期には前者を多くし、デフレ期には後者を多くすれば足りるのではないか。
 順序を付けるのは硬直的で柔軟性を欠くと思われ、こういう考え方が経済学の主流なのかと疑問に思う。

 私の考えなど、所詮は経済学を学んだことのない素人の思いつきに過ぎない。
 が、三橋先生のこの立場が本当に「デフレ対策を求める多くの方々」のものなのか、出典がちょっと気になるところではある。



<6月24日追記>
「生産性向上などの成長戦略はインフレ対策か?それとも?」akiraブログ2014年6月24日
http://ameblo.jp/akiran1969/entry-11883396621.html
 本記事の問題意識に答える記事。