コラムニストの尾藤克之です。
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家族のように、友のように、病児に寄り添い、最期まで支える。日本ではまだ少ない「こどもホスピス」の設立のために活動する著者が、わが子を亡くした自分や患者会遺族の体験を踏まえ、「こどもホスピス」とは何か、その必要性とともに語ります。
「こどもホスピス―限りある小さな命が輝く場所」(田川尚登著)新泉社
■デリカシーのない主張が蔓延する日本
最近、「生産性」という尺度で人の価値を測る風潮が強くなっています。とくに障害者を「お荷物」とみなす主張を目にすることもあります。先日も、あるニュースサイトで「ダウン症は幸せか否か」という投稿が話題になりました。
「ダウン症や障害者は生きてる価値はあるんでしょうか?」
「私たちが税金を支払って、障害者を助けなければならないのですか?」
このようなデリカシーのない主張する人が増えています。
しかし、
「障害者は不幸ではない」
「誰にでも幸せに生きる権利がある」
という説明をするのも簡単ではありません。
2015年、ハフィントンポストに掲載されたダウン症の娘をもつ、キャロライン氏のメッセージに注目が集まりました。
「これが私の娘、ルイーズです。娘は生後4か月で、2本の腕、2本の足、2つの素晴らしいふっくらした頬、そして1つの余分な染色体があります」
キャロライン氏は「ダウン症」を可哀想だと決めつけることで、多くの親が苦しんでいると訴えます。
「障害」とはいったい何なのでしょうか――。アカデミックでは、インペアメント(個人の障がい)とディスアビリティー(社会の障がい)について、系譜や概念から区別しています。
米国と英国では研究が盛んですが、米国では「社会の偏見」「健康な者を中心とした価値観」、英国では「社会制度上の障害者差別や排除システム」などが該当します。
障害を「個人の属性」ではなく「社会の障害」として捉えることは、日本で話題になる「障害」を「障がい」と表記することの議論にも似ています。
しかし、障害の問題とは、「障害」を「障がい」に変えれば解決するような問題ではなく、このようなことが議論になること自体が「社会的障害」であるといえるわけです。障害者が、障害のない人と同じように生活するには、周囲の人が障害を正しく理解することが大切です。
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