「京都太秦物語」という映画に、つい最近出会いました。
かの山田洋次監督のもと、京都立命館大学の学生たちが作った映画、だそうです。
同じころ畑澤和也監督のもと神戸芸術工科大学の学生たちが作った映画(笑)もありましたが…
僕は京都太秦に生まれ育った事もあり、いろいろシンクロする作品でした。
この映画に中国で出会ったのは何か天啓のようなものも感じます。
作品は(半分は京都立命館大学物語…という感じだけど)文字通り京都太秦大映通り商店街を舞台に、実在のおっちゃんやおばちゃんがそのまま出てきたりするセミドキュメンタリ作品です。
エグザイルの人がお笑い芸人を目指している…とかけっこう無理な配役もありつつ、山田洋次監督らしい(ここは東京葛飾区か?と思える)画が続出。
物語は大映通り商店街(実家がほんのすぐ近くにあった!)の中に実在するクリーニング店の娘さん(主人公)と豆腐屋の息子でお笑いを目指してるエグザイルの人とのラブストーリーです。
お笑いを目指しているが芽が出ない彼に「家業を継ぐべきだ」と主張する主人公。
約23年前に同じような事があったなぁ…と思いだす。僕はしばらく家業を継いでいて、途中、いきなり上京したのだけど。
歴史とか伝統とかそういう重苦しい空気が、あの街に住む人たちをあの街に縛り付けていた。僕はその息苦しさに耐えられず上京したのだ。
…という事も思い出す。
葛飾区風の(笑)の下町人情だけではない、京都ならではの重苦しさも描かれていたと思う。
その二人の間に突如、「東京から来た」違和感の塊が登場する。立命館大学の客員教授?で、彼は標準語で(この映画では登場人物はほとんどリアルな京都弁を話す)、主人公への愛を真剣に語る。叫ぶ。
みんなに「変人」扱いされ、しまいには主人公に「狂ってる」と言われてしまう。
僕はイタイ程、この彼に感情移入できた。
僕はもう既に「京都太秦の住人」ではなく、「東京から来た」違和感の塊の方なのだ。
物語のクライマックスは主人公にこの人が無理やり東京行の新幹線の切符を渡し、主人公が新幹線のホームに来るのか!?という展開。
しかもこの人は東京へ帰るばかりか、中国(!)に移り住むらしく、そこで主人公と暮らしたい!などと熱く語るのだ。
…ああ、だんだん他人事ではなくなってきた(笑)。
主人公も、この変人に何か強烈に惹かれていっている(はずだ。…そんな描写はない)
でもやはり、主人公は京都の重力に勝てなかった…というか、当たり前のようだが、主人公は彼を見送りにさえいかない。
クリーニング店の後継ぎをし、一生京都太秦で暮らしていく事を(嬉しそうに)決める主人公。
エグザイルの人もお笑い芸人になる事を諦めてダンサーに…いや豆腐屋の主人になるんだろう。
別にそれが悪い事ではない(でも、当然でもない)と思うけど…
山田洋次監督に寅さんなみのファンタジーを期待したのだけど…
寅さんなみに現実に引き戻された。
やっぱりこの作品は「京都太秦物語」なのだ。
かつて「東洋のハリウッド」と呼ばれ、映画撮影所が犇めき合っていた京都太秦。
この町が「映画の都」だった事はほとんど物語の中で語られないけど、僕はこの町に生まれ育った事を誇りに思う。
もう実家もないけど、何十年経っても、たとえ佇まいが変わってもここは僕の故郷なのだ。
この町の方が「違和感の塊」となった僕をもう受け入れてくれないとしても。
それにしても…哀しい映画だったなぁ…。