まだまだ1998年は続く。
ОPナレーションは「…つらい事もあるけど、神あすか、がんばります!」と続く。
神あすか…30歳になろうとする吉井怜さんは今も映画を中心に本格派女優として活躍中。すっかり大人の女優になられたが、はにかんだ笑顔は今も変わらない。
あすかももう30歳。そろそろ次の仮面天使(神仮面?)をホルス神から授かる頃か。
久々に「ロゼッタ」を数話見直してみて、改めて各回の監督の偉大さに驚かされる。特に清水厚監督の鬼才ぶりに。
清水監督が担当した最終12話、13話。12話はヘンタイ度MAXの異色編(これ観てると俺はまだまだまだまだ女優に甘いと思う)、13話は叙情感あふれる感動編で、これを同時に撮っていた監督の偉才に驚く。
13話は自ら脚本も書いた。
「人を蹴おとし、偉くなるより、人の痛みがわかる人間になりなさい。私たちが特別な力を与えられているのは人を傷つけるためではない、護るためだ」
最後に父ファラオン健一郎の台詞として書いた。当時の自分にこそ言い聞かせたい(笑)
これは自分の亡父がいつも言っていた事だった。後半は違うけど。
こうして畑澤デビュー作は3ヶ月の短い放送を終了する。今でも撮影現場の空気、照明部さんの怒声(笑)、着ぐるみの匂い…鮮明に思い出せる。
意外にこのbiog、当時の監督諸氏やライターさんなんかも見て頂いているらしい。…が当時の事を(自分の主観ではあるが)これからも赤裸々に書いていくつもり。
思えばこの『仮面天使ロゼッタ』がこれまでの作品の中で一番楽しくや(らせてもらえ)った作品だったと思う。
この後、ビデオ化など想定していなかった(もともとテレビ番組というのはそういうものである)が、なんと!大東宝さんからビデオ化のオファーが来た。
「かわいいキャラクターだと思って」「全編長いコントみたいで」等など言われながら……
そして、劇場公開!すらも考えられていた(実際イベント公開はした)新作オリジナル作品の製作の話にまで発展していくのである。その作品についてはまた。
かくして畑澤の妄想から始まった作品は円谷で創られ、東宝作品になった。(『ゴジラ画報』にも東宝作品として紹介されていて感激!である)
東映大好き少年の夢はますます遠ざかっていくのである(T_T)が……
『ロゼッタ』の製作とほぼ同時進行で次なる企画が進んでいた!
次回 1999 7の月