今回は極めてプライベートな話。
けっこう重い話になるかも。
こういう話題こそアメンバー限定記事にすべきかもしれませんが…。
こっち(関西)へ戻った理由は、前回書いた神戸ロケハンと…
父親を見舞う為(どっちかというと、こっちがメイン)です。
こんな事を公の場(?)で言うのも何ですが、もう父は長くないようです。
もう年齢も年齢(76歳)だし、大往生なのかもしれませんが…
いつかは自分の番も来るのだと思っていても…
やっぱりツラいものです。
40年以上前の……僕が産まれた朝の事を話してくれました。
無事には産まれず、10日以上生死をさまよっていたらしい事。始めて泣き声を上げた時の喜び…
その後も入退院を繰り返し、「成人するまで生きていられるか分からない」子供だった事。
実際、高校受験前にも大手術をしました。
何年か前にも生死を分ける手術を。
ずっとずっと心配のかけ通しだった…。
「これまで生きていてくれてありがとう」と言ってくれました。
父は今、昔僕が何度も入院した病棟の隣にいます。
結局、楽しみにしていた孫の顔どころか、嫁の顔も見せられなかった…。(嫁候補の顔は何人も見せた(笑)けど)
ずっと昔から仕事一筋で、自分の好きな仕事を倒れるまでやり抜いた父。
それでいて僕ら子供には本当に優しく、強く叱られた記憶もない。
やっぱりサラリーマン生活が続かず、自営業をして、より仕事のクオリティに拘り続けた…
進んだ道は違うけれど、僕はやはり、ずっとそんな父の背中を追いかけて来たのかもしれません。
昨日、始めて父が泣いているのを見ました(「さらば宇宙戦艦ヤマト」を観に行った時、一緒に泣いてたっけ(笑))。
映画好きで、「寅さん」シリーズが大好きでした。
「ヴェッカーDNS」には、”父と子”というテーマも入っています。
なんとかして、元気なうちに間に合わせたかった!
まだ間に合うかもしれない…
間に合って欲しい!
……そんな監督の、超個人的な理由に引っ張られてる皆さん、ごめんなさい。
そんな理由もあって、いつもより本気です。いつもより必死です。
形振り構っていられません。
俺は(たぶん)孫(子供)も遺せない。
だったら作品を一本でも多く残していくしかない。
父が、母がくれた命。
何度も亡くしかけて救われた命。
無駄にしてなるものか!!