こんにちは 桜井もえです。
いつまでも生きていて欲しかったのですが、6/13に母が亡くなりました。82歳でした。
年に1度会うか会わないかでしたが、いつまでも後ろ盾でいてくれるような存在がなくなり、電話で話すことも、一緒に出かけたりも一切なくなるのは、寂しいです。
といっても、私に対しては、やることなすことすべて非難ばかりで、楽しい話題や甘えたこともほとんど記憶になく、半面はいわゆる毒母でした。
実の親とはとても思えない言動をいつも悲しく思い、ある時、前世がわかる先生に見てもらいました。
その結果は
「私が嫁で、母が姑の前世があり、その時もやはりひどい仕打ちをされていた。」とか。
また別の前世では、
「私が母で、母が私の娘の時代があり、家の事情で恋人と結婚させてあげることができず引き離し、説明がよくできていなかった為にとても恨まれた。」とか。
どうりで、意地悪な姑が嫁に言うようなひどい言葉をいつも言われたわけだ とすごく納得しました!
普段の生活での母は、とにかくまじめで、働き者。
母の子供時代に戦争があり、貧しい生活の中で親、兄弟の面倒をみて、結婚してからは子供やいとこたち、孫の面倒を見て、晩年は介護福祉士の資格をとって、障害者などのサポートをして苦労しながら、人の面倒をみてきた人でした。
まっすぐで、正直で、頑固に意思をつらぬく母は、色に例えると白です。
故人を忍び、また私の心の浄化にもなる白い花を、今、部屋に飾っています。
母は、80歳までは元気で、仕事やハイキングによく出かけていたこともあり
「忙しいから帰ってこないで。。。」
お正月も「旅行に行くから帰ってこなくていい。。」
最近では、入院しても「コロナだから来なくていい。。。」と
前世からのつながりで、お互いに苦手、嫌悪、仕返しされたりなど思い出したくない記憶が多々ありますが、
そこは、血のつながった親なので、父が亡くなった後は、国内も海外も随分と一緒に旅行にいって、我慢しながらの面もあったけど、行っておいてよかったなと今は思います。
会わなくても、元気でいてほしかったです。
「食べ物と健康」に関するうんちく、こだわりがすごくあった母ですが、最後には食べなくなり、腎臓の病気もあったのですが、食べないことによる全身の衰弱が、死期を早めることにつながりました。
女性で運転する人はまだ少なかった時代に車の運転免許を取ったり、50代から介護福祉士の資格をとったり、友人や家族と国内も海外も随分と旅行して、会いたい人に会い、最後には病人の「心と体」も体験して、やりたいこと、学ぶべきことをやりきって、本人は満足だったのではないかなと思います。
母の死に直面し、私自身の人生の残り時間も少なくなっていることを改めて実感しています。
やりたいことはすぐにでも始めるべき!今までにも増してそう思うようになりました。
また、食べ物は、やはり生きる力なんだなぁ~ということもよくわかりました。
私が小さい頃には、洋裁が得意でたくさんの洋服を作ってくれたこと、いつも見栄えのいい美味しいお弁当を作ってくれたことが、私のセンスを育み、また健康に育ててくれたことに感謝しています。
この白い花を見ながら、冥福を祈るとともに、過去の母への怒りやうらみを洗いながして母から「卒業」し、やりたいことを自由に思いっきりやる新しい自分のスタートにしたいと思っています。
現在、<<毒母と戦っている方>>にお伝えしたいのは、
いつか終わりがきます。
自分がどう感じているのか、言いたいことはきちんと伝え、
期待をせずに、人生の修行、前世からのつながりだからとあきらめ、割り切って、
聞きたくない話題は淡々とやり過ごし、
挨拶など、できる範囲でつきあっていくのがよいと思います。
終わった後には、ちゃんとご褒美が用意されていますよ!