新書野郎 -214ページ目

ジャーナリズムとしてのパパラッチ

内田 洋子
ジャーナリズムとしてのパパラッチ イタリア人の正義感
この著者はいつもイタリア人男性をパートナーとしているのだが、今回は珍しく単独執筆だ。何か「環境の変化」があったのか気になるところだが、そんなこと は本の中身とは関係ないのでここまで。さて、本題に戻ると、これも珍しいパパラッチがテーマの本。かつて日本でも、フライデーとか、フラッシュとか(エン マとかいうのもあった)が仁義無き戦いを繰り広げた時代があったが、結局、お決まりの非難轟々とおなざり主義に破れ、この手の写真はインターネットという 解放区に主戦場を移している様だ。つまり、日本も一度はパパラッチが「文化」の領域まで昇華する可能性があった訳だが、やはり、そこは本場イタリアの「文 化力」には及ばなかったというところだろう。そんなパパラッチの世界を極めて肯定的に描いたのが、この本なのだが、それは著者自身の「同業種の者としての 務め」でもあった様な感じがした。その辺りの「産業」としてのパパラッチについても詳しいので参考になるが、やはり、マスコミが率先して「写真雑誌」を非 難したというところに、自分たちが知識人が大衆を指導すべきという、マヌケな勘違いに囚われた日本の「同業者」の貧困さが垣間みられる。ところで、中国語 では広東語起源の「狗仔隊」というのが定着しているが、日本で、その職に従事している者たちは、日本語がないばかりか、パパラッチという外来語ですら呼ば れない。これも日本のソレは文化の香りがするパパラッチと呼ぶにも値しないということなのか。それとも、撮る側も撮る側で、「不肖」の人とかもそうだけ ど、「仕事」はするが、「カメラマン」はあくまで「写真家」であって、写真は銭勘定できんと考えているフシがあるのだろうか。
★★

路上観察で歩くパリ

稲葉 宏爾
路上観察で歩くパリ 角川oneテーマ21 (C-101)
イマイチこれといった目玉が出ない角川の新書だが、最近はカラー版で勝負している。とはいってもカラーもカラーで、どこの新書もそうだが、値段が高いわり にはパッとしないものばかり。これも1992年に出た本のリサイクルが元だとか。たしかにパリの街なんざ、10年どころか100年も変わらん様なものが多 いのだが、今時「トマソン」なんか持ち出している様じゃイカンだろう。この手の本が好きな人も多いかと思うが、「硬派」の私が唯一、感ずるものがあったの は、パリ名物交通ストの時に、軍隊が出した代替輸送トラックに乗ったという話。私も別の某国で、同じ経験があるのだが、こういうことは日本では絶対不可能 だと思った。幌付き荷台に人を乗せてはならいというのは自衛隊車両には適用されないだろうし、災害救助などでの自衛隊投入にも反対するアホも少なくなった が、やはり「ストする人たち=労組=サヨク=自衛隊違憲」という図式が思い浮かんでしまう。「こどもたちを軍事トラックで通学させた」とかなんとかいって 朝日なんかが問題にしそうだ。フランスの労組は体制化した日本のソレなんかと比べものにならないくらいのバリバリ左翼だが、当然ながら軍隊アレルギーなん てものはないから、自分たちがストして、軍隊が代替輸送したところで、「敵を利する」なんて発想は出てこない。私はかつて南米で、よく軍隊経営の航空会社 を利用していたのだが、ストにも遭遇したことがある。ご察しの通り、代わりに渡されたのが民間航空のチケットだったというのオチ。



終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ

木村 元彦
終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ
好き嫌いが分かれそうな本だ。著者はユーゴ問題を追っかけている人で、「紛争」より仕事になる「サッカー」方面でも知られている。(同業同種のU氏とは微 妙な関係の様だが)そうしたこともあるのか、徹底した現場第一主義で、「現場を見ないでモノを書く」学者には憎悪に近い感情を抱いている。ただ、やはりマ ズイと思ったのか巻末に自分の意見に近い学者との対談(というか非難大会)を載せてもいる。また、理想主義の「平和団体」や、官僚主義、商業主義に侵され ている諸々の見解などはハナから相手にしない、正義感溢れたちょっと古いタイプのジャーナリストとも言える。旧ユーゴ問題は複雑過ぎて、素人の私にはこと の本質を見極めるのは困難である以上、現場第一主義は大変貴重なのだが、こうした「現場を見ているオレが正しいのだ」という姿勢には違和感を感じないでも ない。もちろん「現場を見ない学者」が正しい筈もなかろうが、日本の場合、著者の言うようにセルビア悪玉論一色という訳でもなかった様な気がする。「絵に なる」ことが第一のテレビなどは置いとくとしても、活字の世界ではむしろ反米、親セルビアの方が多かったのではなかろうか。著者の言うところの「被害者の 痛みに対する想像力」が、既存メディアの「無理解」に対するアンチテーゼに発するものなのか、「被害者」に対する感情移入に発するものなのかは分からない が、いずれにしても、それらは相対的見方を可能にするものではなかろう。ただ、この本は読み物として大変優れていることは事実であり、あえて問題点を露に することは読み手の想像力を掻き立てる。それを狙ったのであれば高度なテクニックとも言えよう。いずれにしてもいろんな意味で考えさせられる本であった。
★★★

安田講堂 1968-1969

島 泰三
安田講堂 1968‐1969
一瞬、ブントの人かと思った。いずれにしても総括はなし。

歴史を学ぶということ

入江 昭
歴史を学ぶということ
この著者はハーバード大学教授(退職しても元教授とはならないらしい)で、アメリカ歴史学会の会長を勤めた人で、日本人研究者の出世頭というか、学者の最 高峰に登り詰めた人と言ってよいだろう。この新書は若い読者向けに自身の歴史観を如何に養ったかについて書いた本とのことで、著者「初」の回想録と、「歴 史研究」の指南書を併せた様な構成になっている。回想録はその半世紀以上に及ぶ米国生活が中心で、1953年という時期に渡米したとは信じられない快適な 留学生活を送っていた様だ。その後も、そんな順風満帆な人生があるかいなと思うくらい順当な出世街道を歩み、国内外の学者が羨望する地位までに達すること となる。もっとも、日本がまだ発展途上国だったら、外務大臣くらいには起用されただろうから、何を以て順風満帆とするかは微妙なところだ。という訳で、苦 労話はボストンからカリフォルニアまで車で2週間かけて行ったことくらい程度しか書いておらず、当然あっただろう諸々の差別話や、競争社会で這い上がって きた努力話はナシ。その代わりたっぷり書かれるのは恩師と学友の親切話と、その感謝の気持ちで、この辺に著者の外国人として生きる上での人生訓を感じた し、それが著者の成功の否決でもあろう。で、肝心の「歴史研究指南」の方はごくオーソドックスな話なので、今さら「歴史を学ぶ」つもりもない私は特にコメ ントなし。まあ名前だけ知っていて、実際に何の研究をしているかよく分からなかった著者の研究遍歴を知れたことは収穫だったが。
★★

村が消えた

菅沼 栄一郎
村が消えた―平成大合併とは何だったのか
祥伝社なのに、朝日イズム。クイズはいらん。

腎臓放浪記

澤井 繁男
腎臓放浪記―臓器移植者からみた「いのち」のかたち
たしかに鬼気迫るものはあった。
★★

千里眼事件

長山 靖生
千里眼事件―科学とオカルトの明治日本
有名な話だが、著者の意気込みと裏腹に、表面を準えただけの様な気がした。

知床に生きる

立松 和平
知床に生きる―大船頭・大瀬初三郎とオホーツクの海
立松もだんだん仕事が投げやりになってきたな。

沖縄・奄美《島旅》紀行

斎藤 潤
沖縄・奄美《島旅》紀行
ものすごく凡庸な旅行記。