【完全保存版】『映画 抱きしめたい』 北川景子が演じる「つかさ」は僕の心友 | バースカフェ公式ブログ

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誕生と命の大切さを分かち合うバースカフェの活動記録

 

【完全保存版】

『映画 抱きしめたい』 北川景子が演じる「つかさ」は僕の心友』

 

みんなに見て欲しい映画がある

それは、2月1日から全国一斉公開となった『抱きしめたい‐真実の物語‐』 

予告編→https://www.youtube.com/watch?v=tzx1KcK_kAE

 

僕が生まれ育った『網走』を舞台に、交通事故で左半身マヒと記憶障害を背負いながら、

前向きに生きるつかさ(北川景子)と、つかさと恋に落ち結婚したタクシードライバーの雅己(錦戸亮)が、

困難と向き合いながら結婚を決意し、幸せな家庭を築こうと奮闘する姿が描かれたものです

 

2月1日、イオン千歳個展の初日が終わったその足で、レイトショーで僕も観に行ってきました

 

 

サブキャストも豪華で、上地雄輔、風吹ジュン、寺門ジモン、平山あやなどで

主題歌は安室ちゃんが書き下ろした新曲『TSUKI』

 

撮影シーンで出てくる背景は、ほとんど僕の家から徒歩5~10分圏内で、1つだけ隣町の北見で

撮影されたショッピングのシーンすらも僕が毎回、北見で個展をする東武イーストモールで

どこもかしこも、馴染みのある場所ばかりで、本当に不思議な感覚と嬉しさがあった

あと本当にちょっとだけだけど、女優業を頑張っている妹のももえも出演してて、エンドロールには

しっかり名前が入っていて、それも不思議だった

 

ももえの思いは日記を見てやってください
http://ameblo.jp/peach-e/entry-11755701246.html…

 

実は妹にとっても、すごい出来事がその撮影の時に起きていて、それはまた続きでシェアします

 

何より、久々につかさとの思い出がいっぱい、いっぱい溢れてきて、やっぱり涙が止まらなかった

この機会につかさとの思い出を自分のために書き残そう

(長いので興味がある人だけ、ぜひ、読んでやってください)

 

つかさとの思い出はいろいろあって、中学の時から僕が出ていたライブとかも見に来てくれていたり

高校になってからは網走一の学生のたまり場だった僕の家にも遊びに来たり、泊まっていくほどだった

 

お酒が好きで、悪酔いした時に 

「リバース!!」 「リバース!!」ってパンクバンドのシャウトみたいに

やたらと叫んでいたことをフッと思い出して笑っちゃった

 

映画の酔っ払ってるシーンはそのまんまだ!!

とにかく、明るく元気すぎるつかさ

これは今だから言える2人の思い出だけど、高1の冬休みにつかさが僕に告白してきたことがあって、

そもそも奈良県の高校に行ってた僕は

「いやっ!! つかさは遠距離無理やろ!」

「そんなことない!!大ジョブ!!」

「いやぁ~ 絶対無理だわーー!!」

「いやっ!! 無理じゃない!!」

「よしっ! そしたら、その想いがとりあえず3ヶ月続いたら、本気で考えるわ~」

「うん! わかった!!」

と言ってあっさり3ヶ月持たなかった という2人の裏笑い話もある

 

まあ、記憶では結構、恋多き女で、でもすっきり、さっぱりしてて、

うーーん・・・まあ、でもどことなく当時から魅力はある子だった

 

翌年に、つかさが交通事故に合って、2ヶ月間 昏睡状態で目覚めるかもわからないという中

友人たちが必至で毎日声をかけに病室に通って、面会ノートにメッセージを残し、

みんなでテープに声や歌を吹き込んで、毎日聞かせたりした

僕は奈良(天理)で毎日、毎日、神殿に通って神様に目覚めてくれるようにお願いした2ヶ月間だった

こんな奇跡もあるんだ!!みんなの想いや、祈りは届くんだ!!

って、見えない力を感じることができる体験の始まりだったように思う

(この後すぐに、同じクラスの松岡が同じように昏睡状態になり

祈りの力で目覚めた奇跡も体験したのだ)

 

奇跡的に目覚めたつかさは、左半身マヒと記憶障害との戦いの中で、

むちゃくちゃ努力をして、頑張って、頑張って、頑張っていた

だいぶ元気になりはじめた時に高3の冬休みに帰省したときに、仲良し3人組の谷とタクミと3人で

ピザを作って持っていったのが、写真の画像

 

 

金髪のちょいロン毛で細眉毛な僕も、かなり若いね(笑)

 

高校卒業後、僕はほぼ2年間は網走に帰らず神学の勉強の道に進み、

19歳の時に友人を自殺で亡くしたことをきっかけに、人助けに動きまくる日々を送り出していました

 

つかさは、リハビリと自分らしい道の模索とチャレンジに動いていました

そして、22歳の時に僕が北海道に戻り札幌で活動していた時に再会したんです

めっちゃ頑張っていたつかさは何と、網走から単身で札幌に出てきていて、

江別のマンションで一人暮らしを初めて、学校に通ってました

 

車椅子でむちゃくちゃ努力してて、半身不随で、こんなに頑張ってる人を見たことがなかったから、

僕の中では衝撃でした

 

「こいつすげーー!!!負けてられない!!」

ってそう思ってがんばれた自分もいた

会う度に、足にヒーリングをさせてもらって、いっぱいお互いの想いや夢を語り合った

 

つかさのマンションは駅からも、それなりに距離もあって、よく頑張っていた

何回か遊びに行ったし、そしたら、パソコンもだいぶ使いこなすようになっていて、またもや

「こいつすげーー!! やっぱり負けてらんねーー!」 って、そう思って勇気をもらってた

 

しばらく会っていない時も、たまたま 『ガイアシンフォニー』という自主上映映画のスタッフをしていたら、

つかさもその札幌の責任者をしていた村松弁護士が専属弁護士さんで、

その縁で、一緒にボランティアスタッフをして、ばったり再会したり

そこで、久々に つかさのお母さんとも再会したなあ

やっぱり、いつもつかさとは縁があった

 

その時から、つかさを『心友』だと思って、ずっと意識して生きてきてました

それが、また僕にとってはめっちゃ嬉しいことだったんです

どっちかというと網走で悪の中枢的なイメージもあるくらい、やんちゃなメンバーばかりが

集まる家だったし、

そんな僕がやたら、社会貢献活動だの、環境活動だの、神様だの、ヒーリングだのと、

生き方が19歳から大転換してて

網走の友達たちからは一時期

「えいたは変わった」 
「えいたと今話しても面白くない」 
「まじめになった」

みたいに言われたり、思われてた時期でもあったから、実はどこかで不安やおそれがあった中で

つかさの生き様と夢や思いがすごく共感できて

つかさも 

「えいたはすごいね」
「えいたは優しいね」

っていっつも言ってくれてたから、それも支えになっていた

 

つかさと過ごした時間はむちゃくちゃ自分らしくいれて、めちゃくちゃ楽しかった思い出しかないし、

本当に魂の友、心の友で、すごく縁があるって僕は思っていた

 

札幌から出て、四国や関西で住み始めてからは、つかさと会う機会はたぶん、ほぼ無かったけど、

結婚の報告をきいて感動して、赤ちゃんができたことを聞いて楽しみにしていました

 

そして、2011年2月

僕は札幌に行くことがちょこちょこあっても、札幌から6~7時間もかかる網走までは 

ほんと~にたまにしか帰らない中

2月11日に兄貴分である「てんつくマン」(山崎邦正の元相方)が道東初で、

不思議にも網走のエコーセンター(うちから徒歩5分以内)で講演会が決まり

僕もトークさせてもらうことになって、帰省したら、帰ったその日が奇しくもつかさのお葬式となったんです

僕は完全につかさに導いてもらった!って思いました

だって、本当にたまたま帰った日にそんなことが起こるなんて、ありえなさすぎるから!!

でも、悔しくて、悔しくて、悲しくて、辛くて、なんで、こんなに頑張ってきた つかさが??

憧れていた花嫁さんになれて、

夢だったお母さんになれた、その直後。

これからさらに幸せいっぱいの赤ちゃんとの日々が始まるはずのところで。。。

心の中では

くそーーー!!!!!!

なんでつかさんなんだよーー!!!!

ちくしょーーーーー!!!!!

うあーーーーー!!!!!

て叫びまくっていた

 

もうっ、どこにもぶつようの無い気持ちと共にただ、ただ
何度も亡骸に「ありがとう」を伝えた

 

でも、全く納得がいかず、当時は障害があったから、出産は難しかったんだろう。。。的な

イメージがまわりにあったんですが

僕の中ではちょうど、出産関係の医療のズサンなところをいっぱい知り始めていた時で、

バースカフェを全国でスタートさせた時だったので、正直、病院を疑いました

 

つかさに近しい方から、病院の対応も遅い部分があったことをすぐに聞いていたので、

死因を聞いて無かった僕は、その時の悔しさもあって

「絶対にこんな苦しいこと、こんな悲しすぎること、こんなに悔しすぎることは2度と起こしたくない!!!」

って、命の大切さを広げることと、バースカフェをもっともっと全国に拡げて行って

つかさの生き様も知ってもらって出産のことについても、一人一人がもっと知っていける時代を作って、

つかさにも喜んでもらいたい!!って決意したことを今でも忘れません

 

ただ、その1ヶ月後に東日本大震災が起き、僕は被災地、南三陸町に入って、

1年半活動させてもらったので、バースカフェの活動は延期させてました

 

それが2014年、どんどん盛り上がってきている時に、この『抱きしめたい』の公開となりました

僕の中ではすべてが繋がっています

勝手な思い込みもあるかもしれないけど、でも、いつも不思議なことが起こるんです

有り得ないシンクロがいっぱい起きるんです

 

映画のロケをスタートする数ヶ月前に、突然、父から

「今、萩田つかさちゃんの映画を撮影するってことで、ロケ地にうちの元幼稚園だった建物や敷地を

使えないかって、担当者の人がうちにきてるんだ!!」

と電話が来て、制作の担当の方といろいろ電話でお話しをした

そんなことだって、なかなか無いと思う

うちが普通の一般家庭だったら絶対にないよね

その後、網走では顔の広い父が網走市長や、網走のキーマンを紹介していって、

いろんな流れがおきたり、

妹が映画にちょっぴりだけど、出演することになったんですね

しかも、台本が渡された日に妹から電話が来て

「えいた兄ちゃんやばいよ!! きいて きいて!! 

その役がさ、 

《つかさの同級生の妹の妊婦役 》 

だってーー!!」

「へーー!! つかさの同級生の妹ね!!

んっっ?? 同級生の妹??

って、おいっ!!! おまえ そのまんまやんけーー!! 

つかさの同級生の、俺の妹やんけーー!!! 」

って、これも有り得ないよね

 

実際には、セリフが無いから、そういう配役だってわかるわけじゃないんだけど、

だからこそ、余計になんで そういう役名があるんやろ??

って思うほど、それもシンクロでした

 

それ以外に、僕と妹のももえの中に度重なる不思議なことが起きているんだけど

長くなりすぎるので、続きは次回に。。。

 

僕は、書き下ろしをスタートする時にいつも

命をつかさどる『十柱の神様』の神名と、僕の人生を後押ししてくれ、応援してくれている

亡くなったみんなの名前を呼び上げて、

「僕を使ってください」 

そう願って開始するんですが、いつも、いつも、つかさの名前も呼んでいます

だからこそ、僕の中では 常につかさは生きていて、心の友で有り続けているんです!!

 

ありがとう つかさ 

つかさの 命 

つかさの 生き様

つかさが やりたかったこと

つかさが 今 導いてくれること

できる限り 僕は この肉体を使って チャレンジしていきます!!

ずっと、ずっと 応援してくれなーーーー!!!

つかさ ありがとーー!!!

続く。。。

 

伝動詩人えいた