太占ー鹿占神事ー | 心の鏡

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天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

 

太占ー鹿占神事ー

 

占いとは

占いとは、古代より行われてきた神意の認識、発見、感得の方法の一つ。

公事・私事ともに用いられ、特に神事に関連して重視されてきた。

「うら(卜・占)」「うらえ(卜合)」ともいう。

この他、「うらかた(占状、占兆)」、「うらとふ(卜問)」、「卜庭(うらば)の神」、「うらばみ(卜食)」、「うらべ(卜部)」、「うらやさん(卜や算)」などの類語も挙げられる。

 

「うらなふ」とは、「未来のこと、見ぬ所のことを知らんがために卜筮のことを行うことを言う」『倭訓栞』の「増補語林」より

 

太占(ふとまに)

『大言海』にもあるように、上代の占いの中で最も重要とされていたものは、

「太占(ふとまに)」と呼ばれるものだった。

 

太占とは鹿の肩の骨を焼いて行うもので、

現代でも群馬県にある上野国一之宮 貫前(ぬきさき)神社で

「鹿占習俗」「鹿占神事」と呼ばれる無形民俗文化財/関東として残っていまして、

他に武蔵御嶽神社(東京都青梅市)でも行われているとか。

弥生時代に始まって、古代では盛んに行われていたそうですが、

意外にも現代では京都・奈良ではなくて関東の神社が伝承していたんですね。

 

この貫前神社の御祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)と比売大神(ひめおおかみ)で

経津主神と言えば日本神話で国譲りの時に高天原から豊葦原中つ国へ行って平定した刀剣の神・香取神宮の主祭神でもあります。

物部姓磯部氏の氏神様として531年に祀られたのが創建の由来とか。

石上神宮の布津御魂神・物部氏に関連しているようです。

もう1社、太占祭を伝承する武蔵御嶽神社の御祭神も大己貴命・少彦名命です。

 

亀卜・易占など

後に韓国から亀の甲羅を焼いて占う亀卜(きぼく)や筮(めどぎ)…と言って易占いの筮竹の前にあった植物の茎のようなものらしいですが…その数を数えて行う易占い方法が中国から伝来したらしい。

その他、足占い、石占い、灰占い、辻占いなどもあり。

 

古典では

『古事記』によれば、伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)と伊邪那美尊(いざなみのみこと)が「国生み」の初めに上手くいかなかったことを天つ神に報告すると、太占で占って神託を賜ったとあります。

 

伊邪那岐尊と伊邪那美尊も私達から見れば神様なんですが、

その神様も困って、そのまた上の神様の神意を伺う為に占ったと伝わるわけです。

 

その後、伊邪那岐尊から生まれた天照大御神、月読神、素戔嗚尊(すさのおのみこと)のうち、天照大神と素戔嗚尊は誓約(うけい)を行います。

誓約とは、深く祈願達成を祈り、神明の意志に基づいて現れるものから事の成否を判断する方法で、その時は互いの持ち物を交換して食べて生まれた子が男か女かで心の誠実さを証明するというものでしたが、この辺も諸説あってややこしい点であります。

さらに素戔嗚尊が起こした数々の禍に天照大神が岩戸に籠って世の中が暗闇に呑み込まれた時には、天の香具山の鹿の骨を「ははかの木」=朱(かにわ)桜で焼いて占いをしたことが記されているといいます。

 

そしてそのずっと後の世代になりますが、神武東征の折に丹生川で神武天皇が魚を使った誓約をして、その時の魚の名が魚へんに占うと書く「鮎」だったという話も以前当ブログで書いた通りです。

また、神功皇后も誓約をした記述がみられます。

 

他にも「神盟探湯(くがたち)」 熱湯で火傷するかしないかで嘘ついているかどうか?を判断する方法や、「とこい(呪詛)」にも卜占の要素が含まれています。

 

それからまだまだ本居宣長の意見やら陰陽道やら日本の占いの話はあるのですが、

話が長くなったので一旦これにて投稿したいと思います。

【参考図書】

 

 

その他、日本神話・神道関係の書籍や各神社の公式サイトの由緒を読んで文書作成