国生みでの太占の考察
『古事記』で伊邪那岐尊と伊邪那美尊が「国生み」の初めに上手く事が運ばなかったことを天つ神に報告すると、「布斗麻邇爾卜相(ふとまににうらな)ひて詔(の)りたまひしく」とありました。
この段の太占(ふとまに)について江戸時代末期から明治初期の国学者らの考察を少しだけ紹介したいと思います。
本居宣長は、己(おの)が私(わたくし)を用いずして、天つ神の命(みこと)のまにまに行い賜う事は道の大義なり。
という事と、太占の「まに」は「占の」漢字があてがわれているが、「占」という義ではない。(現代語の口調に直すと)なんか日本書紀の文字は日本語に当たってないんだよなぁ~。卜(ぼく)と占(せん)は別…というような意味の事が書かれてました。
それから、この鹿の骨を使った日本固有の卜法である「鹿卜」が早くから廃れたことを嘆いたとか。
飯田武郷は、この神話のシーンにおいて、高皇産霊尊がこの時に現れて2神の悩みを聞きながらも、自らの心は答えかねて、天之御中主神の大御心を太占をもって占い問いたまえることになりました、としている。
平田篤胤は、ここで天之御中主神の他にも複数の天つ神の存在を述べて、広く、天つ神の心としている。
鈴木重胤は、宣長の意見に賛同しながら天つ神が授けられた「太占」とそれによって教えられた意義が深く悟られてない点を指摘。(私にも悟れない)
この時の卜はまだ鹿卜もなくて、いとも奇しき神術(かみわざ)だった。
など、理論的考察は様々ですが、
私はやはり、この段では、天之御中主神の神意を占ったのだと思う。
だから、宇宙や占いの御神徳のある神様は天之御中主神だ説を唱えたい。
確かに他にも複数の神々が存在したかもしれませんが、
何か悩み事を相談する時に、色々な人の様々な意見をあまりに沢山聞いていると、異なる、対立するような提案もあって、どちらの道にすべきか?余計に訳が分からなくなってくる事があるから。
まあ、いくつか方法・見方・提案を比較検討するのもより良い道が選べるかもしれませんが、この段の「国生み」の太占の場合、神意(答え)は何パターンか選択肢を用意されたものではなく、こういう方向に柱を回りなさい、声をかけるのは男性からというようなことでしたから。
何はともあれ、日本の古代の方法は、神意を伺って行動の道を知ろうとしたのですね。
これに対し、神意・天意の発見によって吉凶を知り、生活の禍福に対処しようとする「卜筮」の方法が中国から伝わったのも古く、これは陰陽道と関連して行われたそうです。
その話はまた今度。