泉守道者は黄泉の道の番人か?時の番人か?
それでは当ブログで根強くアクセスされている
「泉守道者(よもつもりみちびと)」について。
この方は、黄泉平坂(あるいは黄泉比良坂とも書く)という黄泉国(よみのくに)と現実世界の境界にある坂の
「道の番人」であるそうです。
また黄泉平坂(又は黄泉比良坂とも書く)も、
黄泉国と現実世界の境界にあるという説のほかに、
そうでなく、時間軸で考えて、
死に臨んで息を引き取る間際のことであるとも考えられています。
…と、なると、泉守道者は時の番人?臨終の伝令役?
日本書紀で登場した場面を書いたブログ記事はこちら
この場面だけでも、いくつものパターンがあるんですよね。そして菊理媛神が出てくるのは日本書紀に一度だけ。
古事記には登場しないのです。
古事記は国内向け、日本書紀は対外向けに漢文で歴史書として書いたとか。
国内向け神話に出ないのも謎です。
どうやら日本人の死後の霊界を含めた世界観は、歴史と政治や天文学などの発達も影響して、時代の流れと共に変わっていったようで、それがヒントになるかもしれません。
神道の世界観
古代日本の人々にとって神は、平面的な世界に人間や自然と共にある存在で、太陽の昇る東には「生」の世界があり、
日の沈む西方には「死」の世界が想像されたが、世界はあくまで水平だった。
ところが大和朝廷の支配が全国に及んでいくと、その世界は立体的なものとなっていく。
神々の頂点に立つ天照大御神などの天津神が生み出されると、これらの神々の住処として、水平な世界の上位に「高天原」が考え出され、垂直の関係が生まれた。
世界は、天津神の支配する「高天原」
その下位に人間と国津神が住む
「葦原中国(あしはらのなかつくに)」
さらにその地下にある「黄泉国(よみのくに)」という
三層構造に変化した。
『知識ゼロからの神道入門』武光誠・著より
黄泉国は根堅州国(ねのかたすくに/大地の下にある堅い砂で出来た国)と同一視されることもある。
黄泉平坂の「平」は崖、「坂」は境界の意味。
この他、少彦名命が帰った海のかなたにあるという
「常世の国」
海神の住む「ワタツミの宮」がある…「海神の国」「綿津見宮」「海郷」と書くこともある。
高天原と葦原中国のあいだには「天(あめ)の浮橋」がある
『最新発掘調査でわかった日本の神話』監修 瀧音能之より