吉田神道【4】

仏教に対する日本的な三教一致思想を吉田神道は取り込み、

それまで仏教に対するこのような理解は両部神道家の間では通説となっていたようですが、兼倶が強く主張した事で、僧侶ばかりでなく、朝廷をはじめとした広い範囲に伝わる事になりました。

 

 

  三壇行事

吉田神道の祭儀の一つに三壇行事と呼ばれるものがあります。

十八神道行事・宗源行事・神道護摩行事のことを言い、

正面に向かって左に十八神道壇、中央に護摩壇、右に宗源壇を設けて行われていました。

他にも北斗祭などがあり、「護摩」は密教的「北斗」は陰陽道的で、そうした要素が取り入れられていた事が分かります。

 

  無双の才人

また、兼倶に影響を与えた同時代の人物として「無双の才人」と称えられた

「一条兼良(かねよし)」がいます。

『源氏物語』の注釈書『花鳥余情(かちょうよじょう)』や

有職故実書の『公事根源(くじこんげん)』などでも有名ですが、

三教一致思想を基調とした『日本書紀』神代巻の注釈書『日本書紀簒疎(さんそ)』を著しています。

 

『神社のいろは・続』より

 

ここで出てくる三壇行事壇のうち復元された神道護摩行事壇は國學院大學博物館に展示されています。

手前の座る所が八角形。縁取りの畳で陰陽道の八卦を意味しているのようです。