実はご縁があった少彦名命ー大宮氷川神社にも古札を納めにー | 心の鏡

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天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

今日は大宮氷川神社にお参りして来ました。

 

明日、12月10日大宮氷川神社とその参道、大宮駅に至る道の一部では「十日市」と書いて「とうかまち」と読むお祭りが行われます。

神社の公式サイトでは神事として正式には「大湯祭」といって、

もう既に神社内では11月末ごろから神職の方々は潔斎をして儀式が行われていて10日は本祭ということでした。

 

ここ2年くらいは感染症の流行が元で参道の出店も無くて寂しい感じでしたが、

今年は参道にも色々な食べ物の出店が沢山準備されて、三の鳥居内にも豪華絢爛な熊手が掲げられ、コロナ禍前の賑わいを取り戻していました。

実は、今日は行くかどうか朝から散々迷って、

疫病防除札を入れていたお札ケースを、

一度外して、やっぱり戻して、その時にフックを替えて、

でもやっぱり今日行く事にしようかと思って壁の高い所から取ろうとしたら、

お札をケースごと落としてしまいました!

(一部割れてしまったので、帰宅後ボンドで接着しましたが。)

『ごめんなさい』と思ったあと

『もうこの御札もうちにいるのが疲れちゃったんだな、帰りたいんだな』

と感じたので迷うのは止めて、本当に行くことにしました。

今年はとうとう8月に息子と私がコロナに感染してしまったもんね…防除するのも大変だったということでしょう。

 

そして今年お世話になった氷川神社の神札と疫病防除札を納め、

新しい氷川神社の神札とお守りを授かってきました。

氷川神社は、私が幼い頃からのご縁なので、お参りしていると目には見えない存在感・気配を感じる事があります。

しかも、中央の本殿前じゃなくて、そこの東門を出たところにある摂末社のうち、

御嶽(みたけ)神社と言う大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱が祀られている所で、です。

 

お参りしても、な~んにも感じない時もあるけど、隣の門客人神社で手を合わせていたら、隣でものすごい巨漢の男の人の気配、エネルギー、存在感がしたので見たけど、誰もいない。向きとして神社の扉から前を向いている感じがしたことがありました。

それでずっと大きいから大国主命=大己貴命だとばかり思いこんでいたけど、

今年は祈っていたら背後に誰かぴったりいる感じで、振り返ると誰もいない。

でも背中上部に誰か(何か)負ぶっているような密着感は続いていました。

 

私も神社の事を学び出してから祖父母や両親の産土神社の見当をつけたりもしました。

そして「式内社」という社格の神道が確立した時代からず~っと存在している神社のうち、私の両親・祖父母の出身地に近い所にあった式内社である神社の御祭神も調べたところ、母方の祖父母の出身地の地域の式内社の主祭神が少彦名命であることが分かりました。

今までは何となく参拝していた少彦名命の祀られている(大宮氷川神社境内にある)天津神社もその御嶽神社も、とてもご縁のある御祭神だったんですね。

私が生まれた時にはもう既に祖父母は他界していましたが、

祖父母がその土地で生まれたという事は、曽祖父母もそこに住んで暮らして見守って頂いていたんだろうし、もしかすると、もっと前の先祖からのご縁だったのかもしれませんね。

それを考えると、以前、御嶽神社から感じた大きな男の人のエネルギー体というか存在感は、ずっと大己貴命だと思っていたけど、もしかしたら少彦名命だったのかもしれません。

いや、でもいつも少彦名命だけが祀られている天津神社前では、特に何とも感じたことが無いんですよね。