危うい年の瀬と正月 | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

今日は、先日東京大神宮にお参りした時に、境内にご自由にお取りくださいと置いてあったので貰ってきていた年末年始のご案内の中に入っていた、

年越し家祓い・迎春隆昌のお札を神棚の方の御札入れに祀りました。

嬉しいことに年越大祓用の紙の人形や祈祷申込書などの他に、そのお札と屠蘇散まで入っていたのです。

最初、玄関に貼ろうかと思いましたが、玄関に掛けてあったお札入れが落下破損してしまった事もあり、やはり神棚の方にしました。

 

神社今月の【生命(いのち)の言葉】は、

 

 

生かされて 生きるや今日の このいのち 天地(あめつち)の恩 かぎりなき恩

 

でした。

生かされている御恩に感謝いたします。お願い

 

 さて、昨日は未明に自宅の固定電話が鳴りまして、介護施設に入所中の90歳の父が前日午後から発熱して手が震え、血中酸素濃度が低くなったということで、「これから救急車を呼んで搬送します」との連絡が介護士さんからあり、

それから夜明け前の4時頃まで、実家の母と兄に電話やメールやLINEなどするも全く応答がなくて、こんな時間に付き添って下さっている介護士さんに感謝しながら、

一方で『母はいつも父の心配しているけど、いざという時にこれじゃあ』と身内の頼りなさと老いを諦めつつ、介護士さんと電話連絡を取りながら緊迫した時間を過ごしていました。

 

私の同級生で生年月日が同じ友人も今年1年内に両親を亡くしたと喪中欠礼はがきで知りましたし、うちの父も90歳ですから覚悟はしていたつもりでしたが、

いざその時になると、突然で、手元が暗くて気が動転していたのか、介護士さんからの複数回あった電話のうち通話ボタン押したつもりが電話切ってしまったこともあって、しかも、それを謝るのも『申し訳ない』と思っているのに、すぐに言葉が出てこなくて…。

 

結果的に父は血中酸素濃度も救急車に乗ってから回復し発熱だけになったので、

CT検査だの色々診てもらって入院の必要なしとのことで、私が出向く必要も無く済んだのですが、

こうした時間帯は電車やバスが動いて無くて、

自家用車も私はペーパードライバーだし、家族も晩酌していて運転できないから、タクシーを利用するしかない。

受け入れ先の病院までの時間や深夜割増料金を調べたりしていましたが、結構、うちからはお値段も時間も掛かります。

実家の方が近いので、そちらが駆けつけたほうが断然早くてお金もそんなにかからないのに、起きて電話に出ないっていうのがねぇ。

夜が明けてから母は施設にも私にも謝罪して、今後は枕元に電話の子機や携帯電話を置くことにしておりました。

でも、今回は出向かなくて済んだけど、父も高齢ですから、これからもまた容体が悪化する事があるでしょうし、他の家族が間に合わない時には誰かをあてにしてないで、一人でも対処できるようにしないといけないなと思って、

母が加入している互助会の、もしもの時に24時間受付している連絡先をネットで調べて、母にも教えておきました。

 

そんな訳で、突如、神社には一定期間お参りできなくなるかもしれない危うい年の瀬と正月になりそうです。