お盆に父方の先祖を想い南北朝時代を学び直す | 心の鏡

心の鏡

このブログは主に神道について書いています。ブログタイトルの心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

お盆ですね。

私はまだコロナに感染して自宅療養中で、

室町幕府草創の立役者『高一族と南北朝内乱』という本を読み始めました。

お盆やお彼岸というと、ご先祖様を敬い感謝しましょうと言われますが、

私の場合、そんなに歴史的に名高いご先祖様ってわけでもないし、祖父母4人のうち私が生まれた時点で3人は他界しており、

一人だけいた父方の祖母も普段は離れて暮らしていて、

私が小学2年生ごろに亡くなってしまったので、

自分のご先祖様について、あまりよく分かってません。

でも2013年の晩秋に自分が子宮体がんになって手術した後、精神的にもダメージを受けまして、エンディングノートを書いて、

そこに家系図を記すページがあったので祖父母までは記入して、ご先祖様に想いを馳せたことはありました。

そして今時は出かけられなくてもインターネットで見る事ができるので、父方の祖父母が眠る寺院と墓地をグーグルマップや地域の観光史跡巡りのホームページなどで見ていた事がありました。

 

今年は父方の本家の伯父が1月に(たぶん享年91~92歳くらい)亡くなられた事もあって、最近また、父方の祖父母と伯父が眠る寺院と墓地を改めてネットで検索して見て、気持ちだけ供養。

 

そのお寺は元々、足利尊氏の執事の「南宗継」の館で、

私の父方の先祖も眠る同じ寺の境内には、

南宗継の孫の「宗氏」の五輪塔があるとのこと。

 

それで子供の頃は親に連れられてお墓参りして、

そう言えば大人たちから「昔の偉い人のお墓だよ」って教えられたような?本当にかすかな記憶も蘇ってきました。

 

しかしまあ日本史はあまり興味が無くて不勉強だったので、

学び直してみることにしました。

 

うちのご先祖様は、そうした歴史に残る名将一族の家系図には入ってませんから、

身分が違い過ぎて関係ないっちゃ関係ないんですが(笑)

それでも、今、私がこの世に生きているのは、

親~祖父母~曽祖父母…と時代を遡って考えても、

ご先祖様が命を連綿と繋いできたからであります。

 

昔は戦や疫病や飢饉もあって医学も発達しておらず短命だった人達も多かった訳ですよね。

でも、そこを生き抜いて子をなして何とかその子らが無事に育ち、また次世代の子をなすという繰り返しで、現代人は存在している。

 

ご先祖様が歴史上の人物だと、資料が残ってて大河ドラマにもなるけど、

うちのご先祖様はどういう身分でどこで何をして何を考えて喜怒哀楽を感じてらしたのか?よく分からない。

 

でも歴史上の人物でも戦で負けて断絶したりして、現代まで続いてない家系がある一方で、私が今ここに居るというのは、

ご先祖様が戦乱の時代も勝った方についていたか、

あまり高くない身分ゆえに首切られず、

負けたほうについていたとしても、その後、勝った方の領民として治められて、疫病だの飢饉だのの難を避けて生き抜けたからだろう。たぶん。

 

父方の同姓の人を調べたら、江戸時代には悪政に苦しむ領民を救うため直訴したら磔になった義人や、伊勢御師をしていた人で茶人もいた。

でも住んでいる場所も違うので、その家系じゃないかもしれない。

うちの母なんて、明治時代に苗字なんて平民でも好きにつけられるようになったんだから、苗字が同じだからってご先祖様じゃないよと夢もロマンも無い事を言っていた。

 

家紋についても、父方は、よくある片喰紋で、

母方は少し変わった六つ槌車だった。車紋は源氏車の分類か?

これも後世は庶民でも適当につけていたかもしれない。

夫の母の実家は下り藤でもお公家さんではなく農家だったぐらいですから。

 

何はともあれ、少し日本史を学び直そうと思っています。

神社仏閣巡りも、歴史を学ぶとまた理解が深まりそうですし。