敏達天皇の次の第31代・用明天皇は、
敏達天皇の異母兄弟で、母は蘇我の賢塩姫(きたしひめ)です。用明天皇の姉か妹が敏達天皇の皇后で、
のちの推古天皇になる炊屋姫(かしきやひめ)なのですが、
元年(西暦586年)
その敏達天皇の皇后・炊屋姫を穴穂部皇子は凌辱しようとしました。
ところで穴穂部皇子って誰?といいますと
用明天皇と炊屋姫の母方のいとこで、
父親が同じ第29代・欽明天皇ですから異母兄弟でもある。
そして穴穂部皇子の姉か妹の穴穂部皇女は用明天皇の皇后で、
厩戸皇子、のちの聖徳太子の母になります。
この同母兄弟に第32代・崇峻天皇がいらっしゃいます。
蘇我馬子から見ると、
敏達天皇・炊屋姫(推古天皇)・用明天皇・穴穂部皇子・穴穂部皇女・崇峻天皇は皆、甥か姪です。
みんな蘇我氏の血を引いている訳ですね。
しかし先帝の皇后を凌辱しようとした穴穂部皇子は、
先帝の寵臣であった三輪君逆(みわのきみさこう)に阻止されます。
そこで穴穂部皇子は策謀をめぐらせ、
物部守屋に命じて三輪君逆を討たせました。
2年
用明天皇は群臣に仏法への帰依を宣言し、
物部守屋と中臣勝海(なかとみのかつみ)はそれに反対し、
蘇我馬子は賛成して、物部氏と蘇我氏の対立がさらに深まります。
そんな中、用明天皇は崩御しました。