今日はテレビで仏教の研究者やお坊さんがお経には何が書かれているのかについて解説してる番組を観まして、
お経は生きている私達へのお釈迦様の言葉で、般若心経にはこの世のすべてのものには実体がないと言うようなことが書かれているとか何とかいう話を耳にして、
何となく『そのうち行こうか』と思いつつ行っていなかった東京の深川不動堂(不動尊ともいわれている)へ、
重い腰を上げてお礼参りに行きました。
そして昨年6月にお分かち頂いたお守りを納めてきました。
境内に入って護摩行の太鼓や僧侶の読経が響く中、
お線香をお供えしたり、龍神様にお参り、古いお守りを納めて、反対方向の深川出世稲荷で珍しい真っ赤なお線香をお供えしてお参り、そして真ん中あたりに戻ってくると、
本堂に昇る階段の前に何か特別なお参りする所が設けられていました。
近寄ってみると、それは今度の6月15日と17日が、
弘法大師と興教大師の両祖大師の誕生日なので、
お祝いする為に両祖大師像が並んで置かれていたのですが、
それを見た青年二人組のうち一人が、
両祖大師像を笑いながら指をさして、
おもむろに写真を撮って去っていきました。
私は横から見ていて
『ま、なんて失礼な!罰当たりなことを!』と
呆れました。
私だって、誰かに笑いながら指さされて、
馬鹿にしたように写真撮られて行ったら不愉快極まりない!
それから私が両祖大師像の前に進むと、
大師様それぞれ木製の屋根付きのお宮の中に、
博多人形みたいに陶器製で彩色してあるけど、釉薬をかけて無いので、つやのない陶器の座像が並んでありました。
そして、その前には願い札奉献と、
お焼香用の大きな香炉が用意されてあったので、
謹んでお焼香させていただきましたが、
両祖大師像のお顔も何だかあの無礼な輩にはムッとした様子に見えたから不思議です。
昨年は靴を脱いで本堂に入る事も出来なかった気がするけど、今年は中に入れました。
深川不動堂の案内書には
護摩とは古代インドのサンスクリット語の「ホーマー」に由来し、不動明王を本尊として祭壇を設け供物を捧げ、護摩木という特別な薪を焚き上げる真言密教の秘法です。
護摩の炎は不動明王の智慧を象徴し、
護摩木は煩悩を表しています。
ご修行を通じて、ご信徒皆さまは、
その煩悩を不動明王の智慧の炎で焼き尽くし、諸願成就をご祈念するのです。
…と、書いてありました。
今日は私も自分の煩悩を護摩木に託して置いて参りました。