神武天皇紀【3】布都御霊とヤタガラス | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

熊野で毒気にあたって病み伏せってしまった磐彦尊の一団。

その時、熊野に住んでいた高倉下(たかくらじ)が夢を見ていました。

天照大神と高木神(=高御産巣日神)が、建御雷神(武御雷神・武甕槌神とも書く鹿島神宮の主祭神)をお呼びになって

『葦原中つ国はたいそう騒がしい。私の御子たちは苦戦しているようだ。この国はお前が平定した国であるから、そなた、今一度降(くだ)ってまいれ』

と、仰せになりました。

すると建御雷神は

『私が降らなくても、この国を平定した時の太刀・布都御霊(ふつのみたま)を降ろすと良いでしょう。この太刀を降ろすには・・・』

そして高倉下の方を見て、

『高倉下よ、お前の蔵の屋根に穴をあけて、そこから落とし入れよう。朝起きてこれを発見したならば、天つ神の御子に献上せよ』と仰せられたのです。

 

高倉下が、夢の教えの通り、朝起きて倉に行ってみると、本当に太刀がありました!

 

※この太刀は佐士布都神(さしふつのかみ)、またの名を甕布都神(かめふつのかみ)、布都御霊(ふつのみたま)と言い、

現在、奈良の石上(いそのかみ)神宮に祀られています。

 

そこで高倉下がその太刀を持って、

神日本磐余彦(かむやまといわれびこ)尊が倒れている所へ行き、

その太刀を献上すると、たちまち正気を取り戻し

「長い事、気を失っていたことだ」と仰せられました。

そして太刀を受け取ると、ひとりでに熊野の荒ぶる神は斬り倒されたのでした。

倒れていた軍勢も皆、目を覚ましました。

 

尊が高倉下に太刀を得た経緯を尋ねたので、高倉下は夢を見て本当に倉に太刀があった話を伝え、さらに高木大神から

『天つ神の御子を奥の方に進ませてはならない。荒ぶる神が沢山いるのだ。今、天からヤタガラスを遣わす。道案内をするから、そのあとについて進むが良い』と教えられた事も申し上げました。

 

お教えの通りにヤタガラスのあとを進まれると、

吉野川の上流に至った時、魚をとる人がいました。

尊が「お前は誰だ」とお尋ねになると、

「私は国つ神、名を贄持之子(にえもつのこ)といいます」と答えました。

※これは阿陀(あだ)=今の奈良県五條市の、鵜飼たちの祖です。

 

さらに進まれると、尾を持つ人が光る井戸から出てきました。

そこで「お前は何者だ?」とお尋ねになると、

「私は国つ神、名を井氷鹿(いひか)と申します」

※これは吉野首(よしのおびと)たちの祖です。

 

そのあと、山に入ると尾の生えた人に出会いました。

この人は大岩を押しのけて出てきました。

そこで「お前は何者か?」とお尋ねになると、

「私は国つ神、名は石押分之子(いしおしわくのこ)と申します。今、天つ神の御子がおいでになったとお聞きしたのでやってまいりました。」と答えました。

※これは吉野の国巣(くず)たちの祖です。

 

こうしてヤタガラスに先導され難路の熊野を進軍して行き、宇陀(うだ)にやってきたのですが、そこには・・・。 

(つづく)