国譲りと天孫の天下り/天孫降臨章 第九段 一書(第四) | 心の鏡

心の鏡

天の霊妙不可思議な法則、神道について書いているブログ。心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

 高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)は、真床覆衾を、

天津彦国光彦火瓊瓊杵尊(あまつひこくにてるひこほのににぎのみこと)に着せられ、

天磐戸を引き開け、天八重雲(あめのやえくも)を押し分けて天下らせられました。

 

この時、大伴連(おおとものむらじ)の先祖である天忍日命(あめのおしひのみこと)が、

来目部(くめべ)の先祖である天くし津大来目(あめくしつのおおくめ)を率い、

背に天磐ゆきを背負い、腕にはいかめしい高鞆(たかとも)をつけ、

手には天(あめの)はじ弓と天羽羽矢(あめのははや)を持ち、

八目鳴鏑(やつめのかぶら=多くの穴が空いた矢じりで射た時に鳴り、相手を射すくめるもの) も添え、

また頭槌剣(かぶつちのつるぎ=柄頭(つかがしら)が槌のような形をした剣)を帯びて、

天孫の前に立って進み降り、

日向の襲の高千穂のくし日の二上峯(ふたがみのたけ)の天浮橋に至り、

浮島のある平地に降り立ち、不毛の地を丘伝いに国を求めながら進み、

吾田(あた)の長屋の笠沙(かささ)の御崎(みさき)に到着されました。

 

そこに神がおり、名を尋ねると事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)と言いました。

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の御子で、またの名を塩土老翁(しおつつのおじ)と言います。

 

天孫が「国があるか」とお尋ねになると

「ございます。御意のままに奉りましょう」と答えられたので、そこに留まられました。

 

【私のつぶやき】

一書の第四はこれでおしまいです。

でも、この章の一書は、第八まであります。

来目部は、今の久米氏。

大伴氏と共に軍事面で朝廷に仕えた氏族で、この一書は彼らの間で伝えられてきた内容と思われるそうです。

 

ここでは、天孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妃の父親神が、山の神様の大山祇神(おおやまつみのかみ)じゃなくて、

塩釜神社の御祭神、導きの神、知恵の神、製塩、航路安全の神様になっていますね。

私も25年位前になりますか、塩釜神社を参拝したことがありました。

当時はあまりよく知らずに観光コースに組み込まれていたので行ったのですが、

それから後の個人的な人生航路を振り返ると、まさに導きの神だったんだなぁと想いを馳せました。

そして当時は不勉強で申し訳なかったと恥ずかしく思うとともに、そんな私でも導いてくださった事に感謝にたえません。